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2024年10月18日

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아즈마아키(東亜樹) - 눈물이 주룩주룩(涙そうそう)|한일톱텐쇼 19회https://www.youtube.com/watch?v=PhF2LOqW4Jw
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https://www.youtube.com/watch?v=5dc5T9Et8PI

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https://www.youtube.com/watch?v=wp6LSi0ri3g&t=563s
東あき아즈마 아키「車屋さん・なみだ船・あゝ上野駅
https://www.youtube.com/watch?v=C4OOwT3f028

아즈마 아키(東亜樹) - 초혼(招魂)|한일톱텐쇼 17회
https://www.youtube.com/watch?v=R-FQxkqEiK8
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https://www.youtube.com/watch?v=wp6LSi0ri3g&t=330s
韓国歌手と共演へ
https://www.youtube.com/watch?v=slllN_xvpbw
5:53 / 11:17


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2024年09月07日

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2024年08月29日

2024年06月04日

慰安婦=性奴隷と辺野古埋め立て=海汚染は真実を捻じ曲げて自民を追い詰めるための嘘

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慰安婦=性奴隷と辺野古埋め立て=海汚染は真実を捻じ曲げて自民を追い詰めるための嘘
 慰安婦=性奴隷と辺野古埋め立て=海汚染に共通することはどちらもでったあげであるということである。
 慰安婦は戦前である。辺野古埋め立ては戦後であり、しかも最近である。二つは関係がないと思うのが当然である。慰安婦と辺野古埋め立ては関係はないのは事実である。しかし、慰安婦は性奴隷と辺野古埋め立ては海を汚染するというのは密接に関係する。
 慰安婦は戦前である。しかし、慰安婦は性奴隷であるというのは戦後に生まれた考えである。それも1991年に生まれた考えである。それ以前は慰安=性奴隷という考えはなかった。慰安婦は性奴隷ではなかったからだ。
 1991年に金 学順(キム・ハクスン)が元慰安婦として名乗り出て、慰安婦は性奴隷であったと発言したことが始まりであった。金さんに続いて慰安婦でだったと名乗り出た女性たちと1991年12月に謝罪と賠償を求めて東京地裁に訴訟した。金氏は「日本軍人に拉致され、性的暴行を受けて性奴隷にされた」と体験を陳述したのだ。慰安婦=性奴隷は1991年の金 学順の嘘から始まった。金 学順の嘘が韓国でどんどん広まっていった。
 2013年12月に沖縄県の仲井真弘多知事は米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に向けた政府が提出した辺野古沿岸の埋め立て申請を承認した。埋め立ては決まったのである。しかし、埋め立てると海が汚染され、サンゴは死滅し、魚は棲めなくなるという噂が広まった。噂はどんどん広まっていった。

慰安婦は性奴隷、辺野古埋め立ては海を汚染する嘘である。ところが嘘が本当であるという噂がどんどん広まっていったのである。沖縄と韓国は遠く離れているし、国も違う。だから、関係がないように思う。すべての人が慰安婦問題と辺野古問題が関係しているとは思わないだろう。しかし、二つの問題を起こした根っこは同じである。二つに共通することがある。
岸田首相は韓国に行き、首脳会談を開いた。すると「元慰安婦ら「屈辱外交」と抗議 日韓首脳会談の直前に…」「 ソウルでは元慰安婦らが抗議集会を開きました」というニュースが流れた。元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)は抗議集会に参加した。尹錫悦大統領は日本と「屈辱外交を続けている」とし、岸田総理に対しては「韓国のすべてを強奪しようとしている」と非難した。慰安婦団体は反自民であるのだ。
辺野古埋め立ては確実に海を汚染すると主張し、埋め立てに反対する運動が展開された。運動を展開したのは反自民の共産党、社民党などの左翼系の政党と団体であった。辺野古埋め立ては海を汚染すると嘘を広めたのは自民党が進めている辺野古移設を阻止するのが目的であった。県民を埋め立て反対から反自民にしていくのが辺野古埋め立て反対運動であった。その狙いはうまくいき県民は辺野古埋め立てに反対し、埋め立てに反対する翁長氏とデニー氏が県知事になった。

慰安婦は性奴隷を最初に主張したのが金学順であった。金学順は自分は慰安婦であったといったが嘘であった。金学順は慰安婦ではなかった。朝鮮の妓生=民間の性奴隷だった。
金学順は1939年(15歳)に40円で売られて妓生巻番の養女になったと話している。妓生の養父は少女を買って性奴隷にする業者である。買われて妓生になればずっと妓生であり、性奴隷の世界で生きていかなければならない。だから、性奴隷になった金学順が慰安婦になることはない。
金学順は性奴隷の妓生であって慰安婦ではなかったのだ。

 慰安婦は性奴隷という嘘は韓国でつくられたのではない。日本でつくられた。日本でつくられた慰安婦=性奴隷という嘘が韓国で流布したのである。慰安婦=性奴隷の嘘を作り上げ、広めたのが朝日新聞、共産党、旧社会党等々の左翼系である。

2021年8月22日(日)のしんぶん赤旗の記事である。
共産党「慰安婦」告発30年 歴史的な不正義を認めてこそ
1991年8月14日に韓国の金学順(キム・ハクスン)さんが日本軍「慰安婦」だったと初めて名乗り出てから30年がたちました。日本が起こした侵略戦争のさなかに朝鮮、中国などで旧日本軍が関与して女性を強制的に集め、性奴隷にした非人道的行為の罪は消せません。当時の国際法に照らしても違法です。被害者が求める日本政府の誠実な謝罪と償いはいまだに実現していません。菅義偉政権が過去の政府の立場からも姿勢を後退させていることが今の最大の障害です。
           しんぶん赤旗
「侵略戦争した日本軍だから女性を強制的に集めて性奴隷にした」というのである。しんぶん赤旗は日本軍は残忍であったというイメージを作り上げている。
アジアに侵略し、慰安婦を性奴隷していたとしてもそれは戦前のことである。戦後の日本は議会制民主主義国家になった。戦前とは違う。戦後の日本は売春を禁止した。自衛隊は国民が選んだ政府が管理している。戦前のような軍隊ではない。ところが慰安婦は性奴隷であったと主張する人たちは戦前の日本軍と自民党を重ねて自民党を非難するのである。
岸田首相が韓国にいくと岸田首相を非難する。自民党を非難するために慰安婦=性奴隷と決めつけているのだ。韓国の慰安婦=性奴隷と主張する団体と共産党は仲間である。

2019年2月24日(日)新聞あかはた
ずさんな計画 確実に海汚染
1級土木施工管理技士の奥間政則さんの話 私が担当した古宇利(こうり)大橋(沖縄県今帰仁=なきじん=村)の工事では、琉球石灰岩の地盤で工事は難航し、汚濁防止膜を水深13メートルの海底までしっかり張っても、潮の流れで防止膜が浮き上がる“ふかれ”という現象が起こり、濁り水を大量に流出させた経験があります。沖縄防衛局のずさんな計画では確実に海域を汚染し、環境への深刻な影響は避けられない。埋め立ては断念するべきだ。
       新聞あかはた
辺野古側の埋め立て工事は終わった。海の汚染はなかった。日本には公有水面埋め立て法があり、埋め立てるときは汚染しないことを徹底している。
奥間政則氏の工事橋の工事であり、埋め立て工事ではない。それに古宇利大橋の海流は激しい。だから防止膜が浮き上がった。大浦湾の埋め立て予定地は海流は穏やかだ。海域を汚染することはない。1級土木施工管理技士の奥間氏はそのことを知っている。知っていながら海域を汚染するといっている。つまり嘘をついているのだ。専門家が嘘をつくのも慰安婦、辺野古埋め立てである。
 反自民の左翼が団結して自民党を追い詰めているのが慰安婦=性奴隷と辺野古埋め立て=海の汚染である。
  
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2023年12月28日

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Posted by ヒジャイ at 10:48Comments(0)

2023年05月26日

5月26日の記事

和子の死


昼休み時に、和子は工場の側に植わっている桜の木の下で弁当を食べていた。
六月の桜の木は葉が青々と茂り。木の下に心地よい日陰を敷いていた。日陰には涼しいそよ風が吹き、初夏の青い空には入道雲がまばゆく輝いている。
「和子さあん。」
島倉裕美が和子の名を呼びながら駆けて来た。
「ここに居たの。工場の食堂に居なかったから家に帰ったかと思ったわ。」
島倉裕美は和子より六歳年下の三十九歳、和子とは対象的に明るくて社交的な女性だった。島倉裕美は和子の側に来ると、
「和子さんにお願いがあるんだけど。」
と言って、
「え。」
と驚いている和子に「座っていい。」と訊き、和子が、「どうぞ。」と言うと、島倉裕美は和子の側に座わった。
「和子さんは青木市に行ったことあるかしら。」
島倉裕美は和子に聞いた。青木市は和子の住む村から南に十キロほど離れた所にある人口七万人の市である。
「うんあるけど、それがなにか。」
「驚かないでよ、和子さん。」
島倉裕美は浮き浮きしていた。
「私と和子さんが作ったコピー機がね、青木市にあるんだって。」
「え。」
和子は島倉裕美の言ったことが飲み込めず首を傾げた。
「ええとね。」
島倉裕美はポケットから紙片を出して広げた。
「私が作ったコピー機は青木市の広館堂という文具専門店に設置されていて、和子さんが作ったコピー機は青木市の市立図書館に設置されているんだって。」
島倉裕美は言葉をはずませながら話した。和子は自分の作ったコピー機が青木市の市立図書館に設置されていると聞かされても驚きも感動もなかった。浮き浮きしている島倉裕美を不思議そうに和子が見ているので島倉裕美は、
「和子さんは鈍感なんだから。和子さんの作ったコピー機が市立図書館で使われているのよ。図書館よ。あんな立派な場所で和子さんのコピー機が使われていることは和子さんにとって名誉なことじゃない。和子さんが喜んでくれると思ったのにがっかりだわ。」

和子は島倉裕美ががっかりしたので戸惑った。

「ごめんなさい、裕美さん。なにが嬉しいのかピンと来なくて。」

島倉裕美は真剣な顔で、

「あのね、和子さん。」

と言い、

「和子さんの作ったコピー機が青木市の市立図書館に設置されたのですよ。とても素晴らしいことですよ。」
「そうですか。」
「和子さん。もっと感動してよ。」

島倉裕美の話に、和子はどのように応ずればいいか分からないで、戸惑いの微笑をした。

「和子さん。」
「はい。」
「来週の火曜日に二人で青木市に行きませんか。」
「え、なぜ青木市に行くの。」

和子の返事に倉島裕美は呆れた顔をした。

「もう、理由は決まっているでしょう。私達が造ったコピー機を見に行くのよ。どんな人がコピーしているか自分の目で確かめるのよ。」

島倉裕美の話に和子は苦笑した。

「自分の作ったコピー機が使われている様子を見ると感動すると思う。うん、きっと感動する。」

自分の作ったコピー機といっても、すでに出来上がっている部品を組み立てただけである。和子は給料をもらうために工場で働いているのであり、コピー機は工場の指示通りに組み立てたものであるから、自分が造ったコピー機であるという気持ちは和子にはなかった。

「そうですか。」

倉島裕美は、和子が淡々としているのがじれったくなり、

「そうですよ。絶対感動します。」

と、和子に迫り、

「だって、最初から最後まで一人で組み立てるのよ。流れ作業とは全然違うわ。自分の組み立てたコピー機のひとつひとつが子供みたいなものよ。工場長も言っていたでしょう。組み立てる人間によってコピー機にそれぞれ違う個性が出るって。」

部品は八百個近くあるが、部品の形や大きさは全部同じなのだから誰が組み立てても性能は同じであると和子は思っている。だから、倉島裕美のいうように組み立てる人間によってコピー機にそれぞれ個性が出るというのは信じていなかった。

和子たちの工場では一人屋台方式といって、数カ所の部品を取りつけるだけの流れ作業とは違い、屋台のようなボックスの中でカラーコピー機の八百近くの部品を一人で取りつけて完成品を作り上げる生産方式を採用していた。組み立てるだけではなく、完成したカラーコピー機の検査も自分でやった。検査で合格すると梱包も自分でやった。そして、自分が組み立てたカラーコピー機には取扱者として自分の名前が印字されたシールを貼った。
屋台ボックスの台の高さや数々の工具の場所はそれぞれの屋台ボックスの工員に合わせて設置されていて、工員一人にひとつの専用ボックスがあてがわれていた。だから、和子のボックスは和子が自分に合わせて、ボックスの高さや、工具の置き場所を決めた。和子のボックスは和子だけのボックスであった。

「和子さん。来週の火曜日にコピー機を見に、私と一緒に青木市に行きましょう。」

強引な倉島裕美の誘いに和子は困惑した。

「火曜日ですか。仕事が終わったら家に帰らなければならないし。青木市に行くのは無理です。」
「仕事を休んで青木市に行くことはできませんか。」

仕事を休んで青木市に行くという島倉裕美の提案に和子は驚いた。

「仕事を休んでですか。」
「ええ、駄目ですか。」

和子が困った顔をしていると倉島裕美は、「お願い。私と一緒に青木市に行ってください。」と両手を合わせて拝みながら頼んだ。
島倉裕美に拝まれて和子は恥かしくなり顔が赤くなった。島倉裕美が和子を拝んでいる様子を誰かに見られていないかと気になり、和子は回りを見た。遠くの方でバレーボールをやっている。彼女達が和子達の方を見ないかと気に掛かった。

「裕美さん。私を拝むのは止めて下さい。」

と和子が言っても、島倉裕美は止めなかった。島倉裕美に拝まれるのが恥かしい和子は、

「恥ずかしいから私を拝むのは止めてちょうだい。お願い。」

と強く言った。島倉裕美は手を下ろして、

「駄目ですか。」

と和子に訊いた。

「だって、出勤日ですもの。仕事を休むわけにはいかないわ。とても無理だわ。」
「そうですか。」

島倉裕美裕美は落胆した。

「実はね和子さん。私は来週で工場を辞めるの。」
「え、ほんと。」
「再来週の月曜日には福岡に引っ越すの。」
「福岡に引っ越すの。」
「ええ。」

福岡はとても遠い。

「旦那の仕事が急に決まったから急いで引越ししなければならなくなったの。福岡に引っ越したら二度とここには来れないと思う。遠いものね。それにコピー機を作る仕事も二度としないと思う。昨日ね。仕事を辞めることを工場長に話したら、私と和子さんの作ったコピー機が青木市に設置されたって工場長が教えてくれたの。コピー機を作る仕事は二度としないと思うと、私は私の造ったコピー機がどうしても見たくなったの。」
「そうなの。」

和子は島倉裕美の事情を聞いて、島倉裕美がコピー機を見たい気持ちを理解した。

「私は青木市に数回しか行ったことがないの。広館堂の場所も分からない。一人では心細いの。お願い、和子さん。私と一緒に青木市に行ってください。」
「考えてみるわ。」
「考えてみるということは行くことに決定ということよね。」

和子は苦笑しながら頷いた。島倉裕美はほっとした。

「ああ、よかった。実はね。」

島倉裕美はにやりと笑った。

「工場長には許可をもらってあるの。」
「え、工場長の許可を取ってあるの。私が行くこともですか。」
「ええ。だって、和子さんと絶対に行こうと思っていたもの。そもそも私と和子さんの造ったコピー機が青木市にあると教えてくれたのは工場長なんだから。私と和子さんの二人で仕事を休んで青木市のコピー機を見に行っていいですかと言ったら、工場長は笑いながら休むことを許可してくれたわ。」

和子は島倉裕美の強引なやり方に呆れたが、結局は島倉裕美の強引なやり方に負けて青木市に行くことになった。

半年前から、和子がパートで働いているコピー機組み立て工場はベルトコンベア式の流れ作業を廃止して、一人で組み立てる屋台式生産に変わっていた。
八百近くもあるコピー機の部品を全て一人で組み立て、検査から梱包までひとりでやり通すのが屋台式生産方式である。ひとりで組み立てるには組み立てる人間の能力が必要とされる。
 工場は屋台式生産方式を導入するかどうかを決める前に屋台式生産方式に挑戦する人を募集した。しかし、流れ作業になれている従業員の多くは八百近くの部品を一人で組み立てることにしり込みをした。その中で真っ先に手を上げたのが島倉裕美であった。屋台式生産で要求された目標時間はベルトコンベヤ式生産より短いことだったが、二週間の研修期間を終えた島倉裕美は見事に会社の目標時間内にコピー機を組み立てることに成功した。島倉裕美が成功したことで工場はベルトコンベア式生産から屋台式生産に変えることになった。
工場は屋台式生産方式をやるパート従業員を増やしていき、一年後にはベルトコンベヤ式の生産を止めることになった。八百近くの部品を一人で組み立てる屋台式生産方式は難しくてできないと最初から諦めて他の仕事を探して工場を辞めるパートもいた。
和子は家庭の事情でパートを辞めるわけにはいかなかった。内気な和子はスーパーなどの接客業は苦手であったし、長年勤めている工場を辞めて他の仕事をする気にもはなれなかった。和子は工場に残るために必死に勉強した。そして、屋台式生産のパートとして残ることができた。屋台式生産をやるようになって一ヶ月も過ぎると八百近くの部品の取り付けにもなれ、マイペースで組み立てができる屋台式生産の作業の方がベルトコンベヤ式の作業より楽に感じるようになった。

島倉裕美と約束した翌週の火曜日に、和子は私服に薄化粧をして家を出た。工場を休むということは家族には内緒にしていた。化粧していることを義母の千代に変に思われないか気になったが千代は気にする様子を見せなかった。ほっとした和子は軽自動車を運転して島倉由美のアパートに向かった。
島倉裕美は和子の家から車で十五分ほどの工場の団地に住んでいた。島倉裕美は団地入り口のバス停留所で和子の来るのを今か今かと待っていた。

「おはよう、和子さん。」

和子が車を停め、助手席のドアのロックをはずすと、ドアを開けて、明るい声で挨拶しながら島倉裕美が入ってきた。

「おはよう裕美さん。」
「ああ、わくわくする。昨日は興奮して余り眠れなかったわ。和子さんは眠れたの。」
「ええ、まあ。」

和子は島倉裕美のはしゃぎ振りに戸惑った。自分の組み立てたコピー機を見ることがどうしてそんなに嬉しいのか和子には理解できなかった。強引な裕美に誘われて青木市にいくことになったが、コピー機を見るのに興味のない和子は島倉裕美の運転手を任されたような気持ちだった。
和子の軽自動車は青木市に向かう国道を走った。国道沿いは田園が続き。曇天の小雨模様に稲がしっとりと濡れて青々と育っている。

「和子さん。コーヒーを飲みましょうよ。」

予期していなかった島倉由美の誘いに、和子は「え。」と驚いたが、裕美は車外の方を見ながら、

「和子さん。あれあれ。あそこに喫茶店の看板があるでしょう。」

と、島倉由美は看板を指しながら言った。看板は反対側の道路から数メートル離れた場所に立っていた。和子は慌ててスヒードを落とした。

「和子さん。あの看板の側に道路があるから、その道路に入って。」

和子はゆっくりと右折すると、看板の側の道路に入った。舗装されていない道路の道幅は狭く、あちらこちらに窪みがあった。和子は車が揺れないようにスピードを落として進んだ。国道から百メートルほど離れた小高い丘にある喫茶店は木作りのこじんまりとした店だった。

「和子さん。雰囲気のいい喫茶店でしょう。コーヒーも本格的でおいしいのよ。」
「裕美さんはこの喫茶店によく来るの。」
「時々来るわ。入りましょう。マスターも素晴らしい人なのよ。」

和子と島倉裕美は喫茶店に入った。和子は洒落たコーヒー専門の喫茶店に入るのは生まれて始めてだった。

「マスター久し振り。」
「由美さんいらっしゃい。一週間の久し振りです。」
「こちらは工場仲間の和子さん。私はキリマンね。和子さんは何がいい。」

島倉裕美に聞かれても和子はコーヒーの名前はひとつも知らなかった。

「ブルマン、モカ、モカブレンド、ジャワなど色々あります。和子さんのお好みのコーヒーはなんですか。」

マスターは丁寧に店のコーヒーの種類を披露した。披露されてもインスタントコーヒーしか飲んだことのない和子はコーヒーの名前は知らないので答えようがなかった。

「私は余りコーヒーを飲まないから。」

ともじもじしながら和子は言った。マスターは和子の戸惑いをすぐに察知して、

「それでは当店自慢のオリジナルブレンドはいかがですか。」

とやさしい声でオリジナルブレンドを和子に勧めた。

「和子さん。それがいいわ。マスターのオリジナルブレンドは軽くて飲みやすいのよ。マスター、スパゲティーもお願いします。」

和子はオリジナルブレンドを注文することになり、二人は窓際の席に座った。窓から国道が見え、細雨が霧のようになり田園がかすんで見えた。

「今日は仕事はお休みなのですか。」

マスターはコーヒーを作りながら聞いた。

「ずる休みよ。ずる休みをしてね、和子さんと二人で青木市に行くの。」
「ほう青木市になにか催し物でもあるのですか。」

マスターは二人にコーヒーを出してスパゲティーを作り始めた。マスターの質問に島倉裕美は和子に目配せしながら、

「催し物はないわ。」

と言った。

「ほう、するとバーゲンセールでもあるのかな。」

島倉裕美はマスターをからかうようにいたずらっぽく笑った。

「バーゲンセールもないわ。」
「ほう、青木市に催し物もなければバーゲンセールもない。それなのに裕美さんはとても心が浮き浮きしている。ううん、何故にお二人が青木市に行くのか、難問ですなあ。」
「実はね、マスター。私と和子さんが作ったコピー機が青木市にあるの。私が作ったコピー機は広館堂という文房具店にあって、和子さんの作ったコピー機は市立図書館に設置されているの。」

マスターは島倉裕美が浮き浮きしている理由を聞き、すぐに納得した。

「ああ、例の屋台式生産方式で組み立てたコピー機ですな。裕美さんが浮き浮きする気持ちがようく分かりました。なにしろ屋台式生産方式に裕美さんは泣かされましたからねえ。」

島倉裕美は慌ててマスターに手を振りかざして、

「マスター、その話はなしなし。言わないで。」

と顔を赤らめた。マスターは裕美を無視して和子に話し始めた。

「和子さん。実はね。裕美さんは屋台式生産方式でコピー機を組み立ての勉強を始めた時、あの奥のテーブルで組み立て表を見ながら泣いていたんです。だって、八百近くの部品を組み立てるのですから大変です。裕美さんは無謀にも私が最初にやると手を上げたらしいですね。手を上げたのはいいけどその後が大変。指定した時間内で組み立てるのを二週間で達成するようにと工場長に言われていたのです。一週間すぎても全然組み立ての手順を覚え切れなくて裕美さんはパニックになったんです。ねえ、裕美さん。」

島倉裕美は「もう、言わないでマスター。」と言いながら恥かしそうに顔を覆った。

「コーヒーを飲みながら組み立て表を見て涙を流していたね。でもよく頑張った。」
「マスターの励ましのお陰です。とても感謝しています。」

マスターは事務機専門の会社を定年退職した人だった。マスターは知識が広く屋台式生産方式についても詳しく知っていた。

ラーメンやおでんを出している屋台は仕事をする時、手の届く範囲に食材から器具まで置いて、体を移動することもしないで全てをひとりで賄う。それと同じ方式をやっているので屋台式生産と呼ぶようになったとマスターは島倉裕美に教え、屋台式生産は山田日登志という人物の考案で日本が考え出した新生産方式であり、中国などの低賃金生産にも負けない生産コストで質の高い商品を生産することができる、屋台式生産は非常に素晴らしい生産方式であり日本企業が世界に誇るものであることをマスターは説き、屋台式生産に取り組んでいる島倉裕美を励ました。島倉裕美が泣いたというのは和子には初耳だった。泣くほど苦労したのだから島倉裕美が広館堂に設置してあるコピー機を見たいという気持ちは当然だわ、と和子はマスターの話を聞きながら思った。
屋台式生産が世界に誇ることができる生産方式であることを工場長からも聞かされたが、工場とは関係のない喫茶店のマスターの口から屋台式生産が世界に誇ることができる生産方式であると語られると、和子も屋台式生産が素晴らしい生産方式であると信じることができた。
ロボットのように五、六個の部品を取り付けるベルトコンベアー方式の作業に比べると最初から最後まで一人で組み立てて完成させた上に自分で検査をしてダンボールの箱に梱包までやる屋台式生産は和子にも仕事の達成感と充実感はあった。完成させる喜びというものが屋台式生産にはあった。しかし、所詮はパートの仕事であり工場長が屋台式生産に誇りを持てと言っても和子は誇る気持ちになれなかった。そんな和子であったが喫茶店のマスターの話を聞いている内に和子にも屋台式生産をやっていことに誇りらしきものが生まれてきた。なにしろ日本が世界に誇る新しい生産方法だとマスターは言ったのだ。

島倉裕美と和子は喫茶店を出て青木市に向かった。青木市に入ると島倉裕美の作ったコピー機を設置してあるという広館堂を探した。青木市の中央通りを和子の軽自動車はゆっくりと走り、裕美は助手席から通り沿いの商店を見回し、広館堂と書かれた看板を探した。時計店、ゲーム店、レストラン、お菓子屋、質屋、スーパーマーケット、喫茶店、古本屋、銀行などの大小の看板が掲げられ、裕美は看板のひとつひとつを確かめていった。堂という字を見つけて心を躍らせたが、鶴見堂はカステラ屋、向日葵堂は質屋で、広館堂の看板を青木市の中央通りで見つけることはできなかった。とうとう和子の運転する軽自動車は中央通りのはずれに出た。裕美は和子に中央通りをもう一度走るように頼み、和子の軽自動車はユーターンして再び青木市の中央通りを走った。

「広館堂はこの通りにはないみたい。」

島倉裕美はがっかりして溜息をついた。

「和子さん、車を止めて。私、通りを歩いている人に聞いてみるわ。」

和子が車を止めると、島倉裕美は車を下りて歩道に出て、歩いている人を引き止めて広館堂の場所を聞いた。
最初に六十代の痩せた男の歩を止めて広館堂の場所を聞いた。男は知らないと素っ気なく答えて去って行った。島倉裕美は次々と前を通り過ぎようとした人に広館堂の場所を聞いたが、広館堂の場所どころか誰も広館堂を知らなかった。島倉裕美は泣きそうな顔で車に戻ってきた。

「誰も広館堂を知らないわ。どうしよう。広館堂は青木市にあるのかしら。」

島倉裕美は誰も広館堂を知らないことに意気消沈して通り沿いの看板を見る気もなくなっていたが、暫くすると意を決したように、

「和子さん車を止めて。」

と言い、和子が車を止めると島倉裕美は急いで車から下り、再び歩道を歩いている人を呼び止めて広館堂の場所を聞いた。しかし、誰も広館堂を知らなかった。中央通りで和子の車は五回停車し、島倉裕美は歩道を通る人を呼び止めて広館堂の場所を聞いた。五つの場所で広館堂を知っている人は一人もいなかった。

「どうしよう。誰も広館堂を知らない。」

島倉裕美は助手席で涙を流していた。和子は島倉裕美が泣いているのには驚いた。

「簡単に見つかるとおもっていたのに見つからないわ。工場長に広館堂の住所を聞いておけばよかった。青木市に来れるのは今日だけなのよ。どうしよう。」

島倉裕美が自分の造ったコピー機を見たいという気持ちは理解できるがコピー機を設置しているという広館堂が見つからないという理由で泣いてしまうのは大袈裟だ。四十歳になろうとしている大人の女性がそれくらいで泣くというのは異常だと和子は思った。そう思いながらも、うちひしがれて涙している裕美の涙を見、絶望の嘆きを聞いている内に島倉裕美の悲しい感情が和子にも移ってしまい和子も悲しくなってきた。

「大丈夫。広館堂は青木市に絶対あるから。裕美さん、広館堂を探しましょう。」

和子は車を運転しながら島倉裕美を励ました。島倉裕美を励ましながら和子の目からもうっすらと涙が滲み出た。自分が造ったコピー機を見ることができない位で和子は残念に思ったり絶望したりはしない。パートで給料をもらうのが目的なのだから自分が造ったコピー機への感情移入は和子にはなかった。しかし、島倉裕美は自分の作ったコピー機に感情移入をしている。島倉裕美の話を聞いて和子は島倉裕美のコピー機に対する思い入れの強さを知った。しかし、それでもコピー機を設置している広館堂が見つからないから泣くというのは大袈裟である。子供じみている。そう思いながらも和子の心に隣りで泣いている島倉裕美の悲しみの感情が移入していった。
島倉裕美にあきらめの感情が芽生えた時に和子には励ましの感情が芽生えていた。

「大丈夫。広館堂は青木市に絶対あるから。二人で絶対見つけるから。」

島倉裕美が通り沿いの看板に目を向けなくなった時、和子は運転しながら広館堂の看板を懸命に探した。中央通りのはずれに来た時、和子は車を止めた。

「裕美さん。車から下りて。一緒に広館堂がどこにあるか聞きましょう。」

和子は車を下りると助手席で落胆している島倉裕美の手を引いて島倉裕美を車から下ろし歩道に移動した。歩道に立っていると、野菜を背負った六十代の女性が歩いてきた。

「あのう。」

と言って和子は野菜を背負った女性を呼び止めた。女性は立ち止まり和子をじろりと見た。気の弱い和子は後ずさりして、

「裕美さん裕美さん。」

と島倉裕美の腕を掴んで振った。内気で口下手な和子は野菜を背負った女性に広館堂のことを聞く勇気はなかった、島倉裕美は和子に促されて、

「おばちゃん。広館堂って知っていますか。」

と聞いた。野菜を背負っている女性は訝しそうに島倉裕美と和子を見つめ、

「広館堂。知らないねえ。あんたらどこから来たのかい。」

野菜を背負った女性は言った。野菜を背負った女性は島倉裕美と二言三言言葉を交わして去っていった。数人の人に広館堂を聞いたが誰も和子と島倉裕美の期待した返事をしなかった。
 時折小雨がぱらつく曇り空の下で、三十九歳の女と四十五歳の女が寄り添い、青木市の中央通りの歩道で悲痛な顔で通りを歩いて来る人を待っている。島倉裕美は外行きの服を着て化粧もしていた。和子も薄化粧をしていたが誰が見ても田舎のおばさん姿であった。内気な和子はいつの間にか島倉裕美の後ろに立ち、島倉裕美の腕を掴んでいた。島倉裕美が通る人に近付いて行くと和子は島倉裕美の腕を掴みながら島倉裕美についていった。十人の人に聞いたが十人とも広館堂を知らなかった。

「おばさん達なにしているの。」

学校を抜け出して遊んでいる風な五人の高校生が島倉裕美と和子を囲んだ。和子は恐くなって島倉裕美の後ろに隠れて島倉裕美の腕を強く掴んだ。ゆすりやたかりをする不良高校生ではないようだ。制服の身だしなみは崩れていない。

「おばさん達ね、広館堂という文房具店を探しているの。」
「広館堂。お前知っているか。」

島倉裕美と話している高校生の隣の高校生は首を横に振った。

「文房具店は青木市に五軒あるよな。でも広館堂って名前は聞いたことがないよ。」

他の高校生が言った。高校生達は暇を持て余しているようで、通りを歩く大人達のように直ぐにその場を離れないで島倉裕美の話に耳を傾けた。

「青木市にあるって聞いてきたけど。変だわね。」
「おばさん。それ本当の話か。」
「本当よ。工場長が言ったのよ。」
「ふうん。」

高校生はちょっとしたミステリーな話に関心を持って、色々推理していたが、ひとりの高校生が突然大笑いをした。大笑いをしている高校生は腹を抱えながらその場を離れて他の高校生を手招きした。そしてひそひそと話すと今度は五人皆が大笑いした。

「おばさん達は中学卒だろう。」

と言って高校生達は笑った。

「失礼ね。私は短大卒よ。」

島倉裕美がふくれた。

「嘘だろ。おばさん。こうかんどうと書いた紙を持っているかい。」

島倉裕美はハンドバッグから一枚の紙を出し高校生に渡した。五人の高校生は島倉裕美と和子から離れて紙に書かれた文字を指差しながら大笑いした。

「おばさん達は漢字力がないなあ。これはこうかんどうとは読まないでひろたちどうと読むんだよ。」
「え、本当なの。」

島倉裕美は所長が「こうかんどう。」と言ったからそれを鵜呑みにしていた。

「君達。ひろたちどうがどこにあるか知っているの。」
「そりゃあ知っているさ。僕達の高校の近くにあるもん。」
「でも、この通りを歩く年寄り連中はひろたちどうと聞いても知っていないと思うよ。なにしろ一年前にできた新しい文房具店だからね。」
「君達の高校はどこにあるの。」
「あの十字路を左に曲がって真っ直ぐ行けば国道に出るからさ。国道を左に曲がったら僕達の高校があって、高校から百メートル進んだらひろたちどうがあるよ。」
「ありがとう。」

島倉裕美はすっかり明るくなった。和子が掴んでいた手で逆に和子の手を握り返し、「和子さん、広館堂に行きましょう。」と言って、和子の手を引いて車に戻った。

「こうかんどうではなくてひろたちどうだったんだ。ああ、おかしい。泣いたのが恥ずかしい。和子さん、工場のみんなには私が泣いたなんて言わないでよ、笑われるから。」

和子は、高校生が教えた通りに十字路を曲がった。市街から離れると家はまばらになり、三つの信号を過ぎて田園の中に目立っている大型スーパーを越すと国道に出た。左折して国道を進むと、高校生が教えた通り広館堂が国道沿いに見えた。広館堂は青木市のはずれを通っている国道沿いにあり、三階建ての大きい文房具店で駐車場も完備していた。

「和子さん。広館堂よ。」

島倉裕美は広館堂の看板を見てほっとした。「やっと、見つけたわ。」と言い、「こんな所にあったの。私たちが探せなかったのは当然だわ。高校生のぼうや達に感謝しなくてはね。あの子たちに会わなかったら見つけることができなかったかもしれない。」と言った。
和子は軽自動車を広館堂の駐車場に止めた。

「わくわくするわね、和子さん。」

と、車から下りる前に島倉裕美は言ったが、和子には島倉裕美のような「わくわく」はなかった。知らない土地のしかも一度も入ったことのない大きい文房具店に入る「どきどき」の方が和子にはあった。
和子と島倉裕美は自動ドアが開くと恐る恐る広館堂の中に入った。島倉裕美の作ったコピー機は入り口近くに設置されていた。島倉裕美はコピー機を見つけると、

「私のコピー機よ。」

と言って、コピー機に駆け寄り、まるで我が子に会ったようにコピー機を眺めたり触わったりしていたが、手馴れた動作でコピー機の蓋を開け、裏側に張ってあるシールを見た。

「やっぱり、私のコピー機だわ。和子さん、見て見て。」

と、島倉裕美は和子を呼んだ。大声で呼ばれた和子は恥かしくなり顔が赤くなった。和子は島倉裕美に駆け寄り、

「裕美さん。大きな声で私の名前を呼ばないで。恥かしいわ。」
「ほら、見て。私の名前のシールを張ってあるわ。」

和子に注意されたので、島倉裕美は声を小さくした。

「和子さん、ほらほら。」

と言って和子にシールを見せて、嬉しそうな顔をした。和子は周囲を気にしながら、

「裕美さん。お店のコピー機を勝手に開けたりしたら怒られますよ。蓋を閉めてください。」

と言ったので島倉裕美はコピー機の蓋を閉めた。
島倉裕美はコピー機の側に立ち、コピー機から離れようとしなかった。和子は人目を気にしないでコピー機の側に立ち、舐めるようにコピー機を見ている島倉裕美の側にいることが恥ずかしくなって、

「裕美さん。恥ずかしいから、コピー機から離れましょう。」

と言って、裕美を文房具が陳列されているゴンドラの方に連れていった。
和子と裕美は買う気のないゴンドラに陳列されている文房具を見ながら、コピー機を使う客がやって来るのを待った。十分程経過してスーツ姿の営業マン風の若い男が店に入って来ると、コピー機の方に行き、慣れた手つきで料金投入口に五十円玉を入れ、カバーを上げてA4サイズの紙を台の上に載せた。カバーを下ろしてからボタンを押して三枚コピーし、つり銭を取ると営業マン風の若い男はさっさと出て行った。
島倉裕美は広館堂を出て行く営業マン風の若い男の後ろ姿に深々とお辞儀をして小さな声で、「ありがとうございました。」と言った。高校生がノートをコピーして出ていく時も島倉裕美は、深々とお辞儀をして、「ありがとうございました。」と小さな声で言った。和子は回りが気になって落ち着かなかった。その内にレジカウンターの女店員が時々島倉裕美を見るようになった。和子は島倉裕美に女店員に怪しまれていることを伝えたが島倉裕美は意に介さなかった。
老夫婦が入って来た。二人はコピー機の回りをうろうろし始めた。老夫婦はコピー機の扱い方を知らないようである。夫はレジの方を見て助けを求める様子を見せたが、レジには買い物客が並んでいて店員は老夫婦に気づいていなかった。突然、島倉裕美は走ってコピー機の方に行った。老夫婦に近づくと、「いらっしゃいませ。」と言いながらお辞儀をして、、

「コピーしたいのですか。」

と、聞いた。

「ああ、愛犬のチロが二日前から行方不明でね。チロの捜索願いのポスターをコピーしたいのだ。」

老人は手作りのポスターの原稿を見せた。チロの顔写真と体全体の写真が貼られ、手書きでチロを探して下さいと書かれ、チロの特徴や電話番号が書かれていた。

「これカラーでコピーするのですか。」
「勿論じゃ。」

島倉裕美は嬉しさを満面に出して、ゴンドラの陰に隠れて様子を見ていた和子を呼んだ。

「和子さあん。」

と島倉裕美が大声を出したものだから店内に居る店員や客が島倉裕美を振り向いた。和子は顔を真っ赤にしながらコピー機の側に来た。和子が、「恥かしいから、大声を出さないで。」と言う前に、

「和子さん。これカラーコピーするのよ。」

と、はしゃいで言い、

「大きさはどうしますか、お客様。」

と言った。島倉裕美はすっかり店員になっていた。

「少し大きい方がいいな。」
「カラーコピーの料金はA4もB4も同じ五十円です。それではB4に拡大しましょうね、お客様。」

島倉裕美は老人から百円玉を受け取ると料金投入口に入れ、拡大ボタンを押しA4をB4の大きさに拡大指定するとコピー開始のボタンを押した。コピー機から出て来た紙を取ると写り具合を見ながら老人に渡した。妻もコピーされた紙を覗いた。

「なかなか写りがいいねえ。」
「本当ですか。」

老人がコピーを誉めたので、島倉裕美は満面に嬉しさの笑みを溢れさせた。

「あと五枚程コピーしようかな。」
「あと五枚ですね。かしこまりましたお客様。」

デパートの仕事をしたことのある島倉裕美はお客への対応も流暢であった。老人はポケットから千円札を出したが、千円札は使用できなかった。

「私が両替してきます、お客様。」

島倉裕美は老人から千円札を受け取るとレジカウンターに行って両替を頼んだ。レジの女店員は島倉裕美を怪しむ態度を見せながら百円玉五枚と五百円玉一枚を渡したが、島倉裕美は気にすることもなくお金を受け取ると、「ありがとう。」と言って、コピーの所に戻って来た。島倉裕美は老人に七百円を渡し、三枚の百円玉を料金投入口に入れた。

「五枚ですよね、お客様。」

と言いながら、島倉裕美はコピー機をセットしてスイッチを押した。コピーが終わるとコピーした紙とつり銭を老人に渡した。老夫妻は島倉裕美にお礼を言い、出て行った。島倉裕美は深々とお辞儀をして大きな声で「有難うございます。」と言った。
島倉裕美の行動を怪しんだ女店員は裕美に近付き、

「あのう、あなた方は一体誰なんですか。」

と聞いた。

「ごめんなさい。迷惑かけちゃって。このコピー機は私が造ったの。コピー機の様子を見に来たの。」

島倉裕美の意味不明の話に女店員は変なおばさんだな。ひょっとして頭がおかしいのかと疑いの目をした。

「店で騒ぐと迷惑です。」

早く出て行ってくれといわんばかりである。しかし、島倉裕美は平気だった。

「そうよね。あ、そうだ。店に入って何も買わないのは悪いわ。この店はインスタントカメラを置いてあるかしら。」
「はい、向こうの陳列棚にカメラコーナーがありますけど。」
「どこですか。」
「向こうです。」

と言いながら女店員は島倉裕美をインスタントカメラを陳列している場所に案内した。
島倉裕美は二十四枚撮りのインスタントカメラを選んだ。レジで清算を済ますとすぐに袋を破ってカメラを取り出し、和子に渡した。

「和子さん。私とコピー機の写真を撮って。」

と言うと、島倉裕美はコピー機の側に立った。
コピー機の側に立ち、手でピースをしている島倉裕美の姿がインスタントカメラに収まった。島倉裕美は明らかに嫌がっている店員を無理矢理連れてきて、コピー機の側に立っている和子と裕美の姿を撮らせ、強引に店員と裕美とコピー機が並んだ姿も撮った。変なおばさんたちだというような表情をしている店員にお礼を言って、島倉裕美と和子は広館堂を出た。すると偶然にも、広館堂の前でタクシーから下りてきた五人の高校生と会った。

「あら、あなたたちは広館堂を教えてくれた高校生たちじゃないの。」
「へえ、おばさん達、本当に広館堂に来たんだ。」
「広館堂を教えてくれてありがとう。」
「広館堂でなにを買ったんだい。」
「このインスタントカメラよ。」

五人の高校生は爆笑した。島倉裕美も爆笑した。和子は顔を赤らめて少し笑った。

「インスタントカメラを買うために広館堂を探していたのか。」
「変なおばさん達だな。」
「そうじゃないわ。実はね。広館堂のカラーコピー機は私が造ったの。」
「へえ、すげえ。」
「造ったといっても八百近くの部品を取り付けただけだけど。」
「ふうん。それでもすげえよ。」
「そうでしょうすごいでしょう。」
「おばさんがやったからすげえよ。俺ならちょちょいだけどね。」
「こらあ。」

と言いながら島倉裕美は笑った。

「ねえ、君たちにお願いがあるけど。誰かおばさん二人の写真を撮ってくれないかな。」

「よっしゃあ俺に任せとけえ。」と言って一人の高校生が裕美からインスタントカメラを取ると広館堂の玄関に並んだ和子と裕美の姿を撮った。「おばさん、僕達も撮ってよ。」と言って四人の高校生も裕美と和子の回りに集まり思い思いのポーズを取ってインスタントカメラに収まった。

 市立図書館は簡単に探せた。市立図書館は青木市の北東側の閑静な所にあった。敷地の周囲は桜の木が植わり、玄関の横には大きな桜の木が雨に濡れながら枝葉を揺らしていた。図書館の中は静かで、和子と島倉裕美は小さな声で話し合った。
和子の作ったコピー機は入り口から奥の部屋に通じている廊下の壁沿いに設置されていた。和子はコピー機を見た瞬間に不安とわくわく感の入り混じった不思議な感覚に襲われた。図書館のコピー機を見ていると、広館堂で島倉裕美がコピー機を舐めるように見ていた気持ちが理解できた。姿形は広館堂に設置されていたコピー機と同じである。広館堂のコピー機と図書館のコピー機を並べられればどれが広館堂のコピー機でどれが図書館のコピー機であるか区別することはできない。しかし、目の前のコピー機を見ていると広館堂のコピー機や他のコピー機とは違っているように思える。百台のコピー機に紛れ込んでいても、すぐに和子が作ったコピー機は見つけることができそうな気がする。
和子は自分が造ったコピー機がちゃんとお客が満足するようなコピーをやっているか気になってきた。それは我が子が社会に出て一人前に働いているかどうかを心配する母親と同じ心境だ。不安と同時に、懸命に仕事をしているであろうコピー機がいとおしくなり抱きしめたくなる。

「これが和子さんの作ったコピー機よ。」

島倉裕美は声を潜めて話した。和子は恐る恐るコピー機に触れた。気の性だと思うがなんだか特別な感触がする。胸がドキドキしてきた。二人がコピー機の側でうろうろしていると後ろで咳払いがした。振り返るとワイシャツにネクタイをしている六十過ぎの男性が立っていた。裕美と和子は後ずさりしてコピー機から離れた。男性は一礼するとコピー機の側に立ち、手馴れた仕草で料金口に十円玉を入れ、コピー指定の操作を終えるとスタートボタンを押した。コピーされた紙が静かに出て来た。男性はコピーされた紙を取ると奥の図書室に去っていった。去っていく男の後姿に和子は無意識に感謝のお辞儀をしていた。お辞儀をしている自分に気づいた和子は恥ずかしくなってお辞儀を直ぐに止めたが、隣りの裕美はまだ深々とお辞儀をしていた。

「和子さん。あっちのテーブルに座りましょう。」

和子と島倉裕美はコピー機から離れて、広間のテーブルに座り、コピー機の客を待った。暫くすると紙袋を抱えたベレー帽の老人が図書館に入って来て、真っ直ぐコピー機の方に歩いていった。老人は紙袋から写真を取り出しコピー機の上に置くと、コピー機をスムーズに操作して写真をB4の大きさに拡大コピーした。老人はコピーした紙を念入りに調べた。コピーを見ながら納得するように頷き、次々と写真を拡大コピーした。和子はコピー機の側に行って、老人がコピーした紙を見たくなった。

「和子さん。」

島倉裕美の声に和子は我に帰った。島倉裕美は、「行きましょうか。」という表情をした。和子は頷いた。和子と島倉裕美はベレー帽の老人に近寄った。

「なにをコピーしているのですか。」

島倉裕美は聞いた。ベレー帽の老人は裕美の声に驚いて振り返り、二人の女性に気づくと丁寧なお辞儀をした。

「山、海辺、川、岩、犬。色々な写真だよ。わしは趣味で絵を描いているのだ。気に入った風景を撮ってきて家で写真を見ながら絵を描いていたのだが、写真は小さくて細かい箇所が見え難い。だから写真を拡大コピーして、それを見ながら絵を描くようにしているんじゃ。」

ベレー帽の老人は話しながら島倉裕美と和子に写真を見せ、コピーした写真も見せた。

「図書館のコピー機はなかなか写りがよくてねえ。拡大しても写真とほとんど変わらない。ほら、比べてみたら分かる。コピー機によっては赤っぽくなったり青っぽくなったりするのじゃ。しかし、このコピー機はそんなことはない。それに細かい所もしっかり写っている。このコピー機は青木市で一番写りがいいのだ。だからわしはこのコピー機をいつも使っているのだ。」

島倉裕美は和子を見て目で笑った。

「おじいさん。このコピー機は写りがそんなにいいの。」
「ああ、写りがいい。」
「実はね。このコピー機はこの人が造った物なの。そうよね、和子さん。」

和子は恥ずかしそうにお辞儀した。ベレー帽の老人はコピー機を造った和子に感心した。

「いやあ、なかなかいいコピー機を造ってくださった。ありがとう。」
「組み立てただけですから。」

と和子は言ったが、ベレー帽の老人には和子の言葉は耳に入らなかった。ベレー帽の老人は和子を褒め称え感謝し、何時の間にか老人の絵の話になっていた。ベレー帽の老人は「ちょっと待っていなさい。」と言うと外に出て行った。暫くすると大きい紙袋を抱えてきた。紙袋の中にはベレー帽の老人が描いた水彩画が入っていた。

「君たちに私の絵を進呈しよう。」

ベレー帽の老人は一枚づつ和子と島倉裕美にあげた。島倉裕美は「わあ、ありがとう。」と喜びの声を張り上げた。

「ねえ、おじいちゃん。一緒に写真を撮りましょう。」

島倉裕美は和子とベレー帽の老人をコピー機の側に立たすとインスタントカメラを構えた。フラッシュが光り図書館の中が一瞬明るくなった。島倉裕美は和子にインスタントカメラを渡してベレー帽の老人と並んだ。再びインスタントカメラのフラッシュが光り図書館の中が一瞬明るくなった。

「おじいちゃん。今度は和子さんと私の写真を撮って。」

とベレー帽の老人にインスタントカメラを渡した。その時、先刻から三人の行動に腹を立てていた図書館の事務員がやって来た。

「あなた達、静かにして下さい。ここは図書館です。これ以上うるさくすると出て行ってもらいます。」

島倉裕美が済みませんと謝ってから、このコピー機は和子が造った物であり、それをベレー帽の老人に説明をしていたと弁解をしたが、事務員はコピー機が和子によって造られたことに興味を示さず、怒りは収まらなかった。「とにかく静かにして下さい。他の人たちに迷惑です。」と言って去って行った。ベレー帽の老人は事務員の怒りに我感ぜずという風にせっせとコピーにいそしんでいた。島倉裕美はコピー機の側で和子と並んでいる姿をベレー帽の老人に撮ってもらうことを諦めた。

「おじいさん。絵をありがとう。」

と、ベレー帽の老人に礼を言って、島倉裕美と和子は図書館を出た。

 時刻は午後三時。工場は午後五時終了である。そのまま家に帰るのは早い。和子と島倉裕美は青木市郊外の喫茶店で空腹を満たし、コーヒーを飲みながら暇つぶしをすることにした。

「和子さんありがとう。私の無理なお願いに付き合ってくれて。」

カレーライスを食べている間は今日の出来事をゼスチャーを交えて陽気に話していた島倉裕美だったが、カレーライスを食べ終えて、コーヒーを一口飲んだ後、和子に感謝の気持ちを表した。

「私こそありがとう。こんな楽しい体験は生まれて始めてよ。」
「和子さんにそう言ってもらえると私も嬉しい。」

島倉裕美はそういうと、急に笑みは消え、ため息をついた。

「実はね、うちの旦那は失業中だったの。通勤二時間以内で就職できる会社を探していたけど見つからなくて。失業保険は今月で切れるし、なにがなんでも新しい仕事を探さなくてはと頑張ったけれどなかなか見つけることができなかった。旦那はあせってね。就職できるならどこでもいいと友人に職探しを頼んだり、職業安定所に何度も足を運んだり、ハローワークで仕事口を手当たり次第探し回ったりしたの。私がパートで頑張るから慌てなくてもいいでしょうと言っても、女房に食わしてもらうわけにはいかないとかなんとか言って、九州の福岡にある貿易会社に就職することを決めてしまったの。福岡に行ってしまったら二度とここには戻れないだろうし。工場長から私の造ったコピー機が青木市の広館堂に設置していると聞いたら、工場を辞める前に広館堂のコピー機をどうしても見てみたくなったの。」

和子が働いている工場の従業員のほとんどはパートだったから島倉裕美のように夫や家族の都合で工場を辞めていく従業員は多かった。島倉裕美が工場を辞めることを急に話したことには驚いたが、島倉裕美が工場を辞めることに驚きはなかった。自分も家庭の事情でいつかは工場を辞めるだろう。その時がいつになるかを予測できないだけだ。

「福岡に行ってもパートをやるの。」
「もちろんよ。子供が三人も居るから旦那の給料だけでは食べていけないわ。福岡についたら直ぐにパート探しをやるわ。」
「そう、頑張ってね。」
「頑張るわよ。」

島倉裕美はいつもの明るい島倉裕美に戻っていた。

「私達ってコピー機を作ってはいるけどコピー機を設置している店には余り行かないわね。スーパーとか八百屋、魚屋、ファミリーレストラン、コインランドリーにはよく行くけどそんな店にはコピー機は設置されていないものね。文房具屋なんて長い間行ったことがないわ。図書館なんて短大の図書館は行ったことがあるけど、それも遠い日の学生時代。和子さんは図書館に行ったことがあるの。」
「全然。私には縁のない所よ。」
「コンビニエンスにはコピー機が設置されているけど。和子さんはコンビニエンスに行ったことはあるの。」
「ないわ。聞く所によると商品の値段が高いらしいわ。買い物はスーパーね。村のどこにコンビニエンスがあるか私は知らない。」
「私達の村にはコンビニエンスはあったかしら。ひょっとしたらないかも知れないわ。」

和子と島倉裕美は四時半頃に喫茶店を出て家に帰った。

 二日後の昼。工場の桜の木の下で弁当を食べている和子の所に島倉裕美が写真を持ってやって来た。二人は並んで座って写真を見た。広館堂の玄関で取った高校生達との写真を見て島倉裕美と和子は笑った。足と手をパーっと広げている高校生。指で豚の鼻を作っている高校生。大口を開いている高校生。シェーのポーズをしている高校生。高校生は全員滑稽なポーズで写真に写っていた。図書館のベレー帽の老人はひょうひょうとして虚ろを見つめている目をしていた。島倉裕美と和子は昼休みの終了のベルが鳴るまで写真を見ながら楽しく話し合った。昼休みの終了のベルが鳴り、二人は立ち上がった。

「和子さん。この写真を上げるわ。」

島倉裕美が和子に渡した写真は図書館で和子とベレー帽の老人がコピー機の側に並んでいる写真だった。

「ありがとう。」

パートをさぼって青木市の図書館に行ったことは家族には内緒であったから、老人からもらった水彩画は安い額縁に入れて夫婦の部屋に飾ったが、老人と一緒に取った写真は家族の誰にも見せなかった。車のダッシュボードに入れ、時々写真を見て、和子はささやかな悦びを味わった。

 和子は島倉裕美と青木市に行った日から寝床に入るのが楽しみになってきた。寝床に入り目を瞑ると青木市立図書館のコピー機でコピーをしているベレー帽の老人が浮かんだ。コピーした紙と写真を見比べてうんうんと満足そうに頷くベレー帽の老人。その姿をイメージすると和子は嬉しくなった。日が経つにつれて和子のイメージは膨れていった。和子はベレー帽の老人だけでなく、広館堂で出会った高校生、迷子になった犬のポスターを作りにやって来た老夫婦など、色々な人間が和子が造った子パー機を使ってコピーをしている姿をイメージした。色々な人間が和子の造ったコピー機から出て来たコピー紙を見て満足している姿をシメージしていると、和子は幸せな気分になりすやすやと眠ることができた。

ある夜、地獄の閻魔大王が和子の夢の中に現れた。閻魔大王は難しい顔をして和子の作ったコピー機を眺めていた。眉間に皺を寄せてコピー機の性能を疑っているような顔をしながら和子のコピー機を使った。コピーされた紙が出てきて、それを手にすると閻魔大王はコピーされた紙の写りの鮮やかさに両手を上げて驚いた。そして、閻魔大王はコピーした紙を見ながら感心してうんうんと頷いている。コピーした紙にはなんと奈良の大仏様が写っていた。そして、急にテレビの画面になり、「閻魔大王はびっくり、大仏様はにっこり。和子のカラーコピー機」というテロップが流れた。
裕美さんが居れば、見た夢を話して楽しく笑えるのにと、島倉裕美が遠い福岡に行ってしまったことを和子は残念がった。
 和子の寝床での夢想のスケールが次第に広がっていった。東京の図書館や北海道の図書館や大阪の図書館や九州の図書館に和子の作ったコピー機が置かれ、老若男女がコピーをして和子の作ったコピー機の写りの鮮やかさにみんなびっくりする。テレビのニュースでアメリカやイギリスやフランスが放映されると、アメリカやイギリスやフランスの図書館や文房具店に和子のコピー機が置かれ、テレビに映っていた色々な人種の老若男女が和子のコピー機でコピーをして、その写りの鮮やかさに感動する。そのような夢想をすると楽しくなり、心も安らぎ、和子はスムーズに眠りに入れた。

 
島倉裕美と青木市に行った三週間後に義母の千代が畑のあぜ道で滑って転んで両足大腿骨を骨折した。あぜ道で滑って転んだだけだから、打ち身程度の軽い怪我と思っていたが、病院で検査してみると両大腿骨を骨折していた。千代の両足はギブスに覆われて、千代は病院のベッドの上で不自由な生活を強いられた。
医者の説明では千代は二ヶ月の入院が必要であるという。骨が完全に元の状態になるのは困難である上に、老齢であるために衰えた両足の筋肉の回復は遅く、退院しても歩行は困難であり、長期的に根気よくリハビリをしないと寝たきりになる可能性があるという。

「年寄りというのは先入観が強く、リハビリで歩けるようになれるということを説明してもなかなか信じないで最初から諦めてしまうケースが多いです。」

と医者は言い、

「キブスを二ヶ月も巻いた足の筋肉はかなり衰えます。ギブスを外しても筋肉は衰えているから歩くことができませんし骨折の痛みもあります。それは医学的には当然であり、歩くようになるには長期間のリハビリで筋肉を回復させなければなりません。しかし、老人はリハビリで筋肉力を回復させるということをなかなか理解できません。筋肉の回復も老人の場合は遅いから子供や成人よりも長期間のリハビリが必要であるし、以前と同じ状態に戻ることはできない。そのために多くの老人が筋肉を鍛えることを放棄して寝たきりになるケースが多いのです。」

と医者は裕輔に説明した。
裕輔は骨折が治れば不自由なく動けると思っていたが、医者の話では歩けるようになるにはうまくいって半年。しかしそれでも他人の手助けを借りる必要があるという。他人の手助けを借りないで歩けるようになるまでには最低一年は掛かるだろうと医者は言った。そして、

「うまくいけばの話なのですが。」

と医者は付け加えた。
つまりはどんなにリハビリがうまくいっても千代は一年近くは寝たきりになるかも知れないということだ。医者の説明を聞けば聞くほどに裕輔は憂鬱になった。裕輔が憂鬱になる原因は千代が寝たきりになるということではなく、家計のことだった。母の千代の介護をするのは和子しかいない。和子は千代を介護するために工場を辞めることになる。だから千代の介護については心配ないのだが、和子の給料は十五万円以上もあり、和子が工場を辞めると十五万円の収入が無くなることになる。それは家計に厳しく響くのだ。

十年前に家を新築した時の銀行借り入れの月々十万円の返済が五年も残っている。長男の昭夫は来年は大学進学だ。長女の綾乃も高校一年生だが大学進学を希望している。これから金が必要になる。裕輔の手取り三十万円の給料では家計が赤字になるのは目に見えている。家計のことを考えると和子がパートを辞めるわけにはいかない。しかし、和子以外に母の千代を介護できる者は居ない。医者の話は答えの出ない方程式の問題を出しているようなものだ。しかし、二ヶ月後には母の千代は確実に退院して家に帰る。二ヶ月以内に対策を練って答えを出さなければならない。裕輔はあれこれと考えたがいい案は思い浮かばなかった。母の千代が入院して数週間経過しても裕輔にはなかなかいい案が浮かばず困り果てて妻の和子に相談した。

「母さんの介護ができるのはお前しかいない。お前しかいないがお前がパートを辞めてしまったらこれからの家計が大変苦しくなる。銀行借り入れの返済が五年残っているし、昭夫は来年大学進学する予定だ。受験に失敗したら予備校に通わせなければならない。大学進学するにせよ予備校に通うにしろけっこうな金がかかってしまう。銀行返済や昭夫の大学進学を考えると私だけの給料だけでやりくりするのは無理だ。老後のためと始めた郵便貯金を崩していけばいいかも知れないが大した金額ではない。できるならお前にはパートを続けて欲しい。しかしお前以外に母さんの世話をする人間はいない。どうすればいいか私は分からない。」

裕輔は溜息を何度もつきながら和子に切々と話した。家計の一切を裕輔に任せていた和子は裕輔の話を聞いて千代の大腿骨の骨折が家計に大きな打撃を与えるような深刻な事態であることを始めて知った。しかし、夫の裕輔が解決できない問題を妻の和子がどうして解決できようか。和子は裕輔の話を黙って聞くしかできなかった。

その日から和子は寝床で自分のコピー機が世界の国々の図書館や文房具店に設置されて老若男女がコピーをするのをイメージして楽しむどころではなくなった。しかし、一度覚えた夢想する楽しみの味はそう簡単には心から消えない。うっかりするといつもの癖で自分のコピー機で色々な人がコピーをやって喜んでいる姿が頭に浮かんでくる。そして、無意識にイメージは走り出す。あ、いけないと和子は走り出したイメージを消した。現実は厳しい事態が待っている。義母の千代が退院する日から夫の裕輔にも解決できない厳しい現実が始まる。和子はどうすれば解決できるかの糸口さえ見当がつかなかった。

「和子さん。最近元気がないけど、体の調子が悪いの。」

工場の昼休みに班長の愛子さんが和子に聞いた。和子は義母の介護のために工場を止めなければならないことを愛子さんに話した。

「そう。残念ね。でも和子さんの長男は大学に進学するのでしょう。家計は大丈夫なの。」

愛子さんは和子より一つ年上で子供が四人居て長男は東京の大学に行っていた。

「子供を大学に通わせるのは大変よ。夫婦で稼がないとやっていけないわよ。」

和子と似ている家庭事情の愛子さんは和子の悩みの核心をついた話をした。和子は愛子さんの話にため息をついた。

「愛子さん。私はどうすればいいのか分からない。工場を止めるしかないのかもしれないわ。なんとかやりくりするできるかもしれないし。」
「現実は甘くないわよ。」

と、愛子さんはぴしゃりと釘をさした。

「問題はおかあさんの介護でしょう。和子さんはホームヘルパーって知っている。」
「ホームヘルパーってなんですか。」

和子はホームヘルパーについては知らなかった。

「ホームヘルパーというのは家を訪問して老人の介護をする人よ。国から補助金が出るからお金の自己負担が少ないらしいの。私は詳しくは知らないけど、和子さんはホームヘルパーについて調べた方がいいわ。子供を大学に通わすには夫婦共稼ぎじゃないとやっていけないわよ。ホームヘルパーを頼めば和子さんはここで働くことができると思う。」

愛子さんは訪問介護というサービス業があり、国からの補助金があるので訪問介護に依頼すれば自己負担金が少なくて済むことを教えてくれた。和子は老人の介護をするサービス業があることに半信半疑であったが、電話帳で調べてみた。すると愛子さんが言った通り訪問介護センターというのはあった。和子は青木市にある青木訪問介護センターという会社を見付けて電話をし、訪問介護の内容を教えてもらうために青木訪問介護センターを訪ねた。

「お母さんは来月退院するのですね。大腿骨骨折で当分の間は寝たきりであると。」

和子の相手をしたのは恰幅のいいオールバックをした女性所長だった。

「歩けるようにリハビリが必要ですね。私どものモットーは寝たきりの老人をリハビリして寝たきりにしないことなんです。介護イコールリハビリが私達の基本なんです。そういう意味では和子さんのお母さんは私達の介護サービスを受けるべきです。できるだけ早くお母さんを歩けるようにしますよ。介護は私達介護専門家に任せるべきです。和子さんのような素人さんが介護するのはむしろ危険ですよ。歩けるものも歩けなくなる恐れがあります。介護もリハビリも私達に任せた方が必ずいい結果がでます。」

女性所長の自信溢れるスピーチに和子は圧倒された。
女性所長の言うように介護のやり方もリハビリのやり方もまるっきり素人の和子が義母を世話するより専門家のホームヘルパーに世話してもらった方がいいかも知れないと和子は思った。和子は女性所長から国からの補助金についての詳しい説明も受けた。内容が難しくて和子は理解はできなかったが、とにかく、訪問介護料金は国が補助金を出すので自己負担金がそんなに高くないことは和子にも分かった。和子は青木介護センターを出ると青木市にある他の訪問介護センターにも行ったが青木訪問介護センターの女性所長の説明と同様な説明であった。
和子は介護センターを訪問して、訪問介護が現実にあることを実感することができた。介護専門の人間が世話すれば義母の世話は万全だろうと和子は思った。訪問介護という存在に救われた気持ちになって和子は二つの介護センターのパンフをもらって帰宅した。
和子は訪問介護について裕輔に話したかったが和子にはなかなか話す機会がなかった。どのように話せばいいか迷っているうちに裕輔が悩んだ末の結論を和子に話した。

「やっぱりお前にはパートを辞めてもらい母さんの介護をやってもらうことにした。月々十万円の銀行返済が終わるのは五年後だが老後のために蓄えている郵便貯金を取り崩してなんとかやりくりをやっていくしかない。その内に母さんも元気になってくれるだろう。いや元気になってもらわねば困る。しかし、元のような元気にはなれないだろう。それはもう仕方のないことだ。元気になっても、お前の世話は必要かもしれない。それで昭夫のことだが。やはり昭夫は大学に行かしたい。私が頑張るしかない。お前も生活費を倹約すればなんとかなるだろう。お前と私の生命保険は解約しよう。綾乃も大学に行かしたいが・・・。」

そこまで言うと裕輔は黙った。そして沈んだ声で、

「しかし、綾乃は大学進学を諦めてもらうしかない。」

と言って大きな溜息をした。

「女は高校卒業でもいいだろう。」

と言って裕輔は自虐的に笑った。重苦しい空気が二人を覆った。

「まだまだ私たちは働ける。郵便貯金を全部使い果たしたとしても昭夫が大学を卒業してから再びこつこつ貯金していけばいいだろう。」

裕輔の声は歯切れが悪く自暴自棄になっていた。

「これしかないんだこれしか。」

裕輔はため息をついた。
和子は訪問介護センターついて裕輔に話す前に、裕輔から和子がパートを辞めて義母の介護をするようにと言われて和子は戸惑ってしまったが、しかし夫が決断したことだからパートを辞めるのは仕方がないと思った。しかし、裕輔が「綾乃は大学進学を諦めてもらうしかない。」と言ったことに和子は大きなショックを受けた。綾乃は成績優秀であり大学進学を望んでいる。成績が悪く商業高校にぎりぎりで合格した和子には成績優秀な娘の綾乃が自慢だった。頭の悪い自分に頭のいい娘を授けてくださった神様に和子は感謝した。綾乃は大学に進学し小学校の先生になるのが夢であり、それは和子の夢でもあった。難しい屋台式生産方式を必死にマスターしたのも、自分が頑張って綾乃を必ず大学に進学させるのだという気持ちがあったからだ。夫に従順な和子であったが、綾乃に大学進学を断念させることには反対であり、夫の考えをどうしても変えさせなければという思いが強くなった。和子は急いで青木訪問介護センターのパンフレットを取ってきて、

「訪問介護というサービスがあるそうです。ホームヘルパーさんが家にやってきて世話をしてくれるそうです。」

と訪問介護センターのパンフを裕輔に見せた。裕輔はパンフを見ながら、

「嫁が居るのにこんなサービス会社に世話させるというのはどうだろうか。お前が冷たい薄情な嫁だと世間に思われるかも知れない。訪問介護というのも所詮は商売、親身になって母さんの世話をしてくれるとは思わない。」

裕輔は訪問介護には否定的であった。和子は裕輔を見つめ、訪問介護について考えてくれるように目で訴えた。和子の無言の訴えを感じた裕輔は、

「でも、お前が訪問介護というのを探してくれたから検討してみるよ。」

と言った。裕輔が検討してみると言ったので和子はほっとした。和子は裕輔に頭を下げてから立ち上がり、洗いものをするためにその場を去った。

内気で夫に従順であった和子が訪問介護という新しいサービス業を見つけて、その案内パンフレットを裕輔の前に出したことに裕輔は驚いた。驚いたが見知らぬ他人に母の介護を頼むことには抵抗があった。青木訪問介護センターは介護を専門としている会社かも知れないが、所詮は会社というものは金儲け商売であり、心の繋がりは希薄だ。心ない介護に母の千代は納得しないだろう。しかし、訪問介護は国の援助があり自己負担は軽くなるというのは魅力がある。裕輔は迷った。もし、ホームヘルパーに依頼すれば和子はパートを続けることができる。和子のパート収入で介護料を払っても十万円近くの家計収入があることになる。それは家計には大きなプラスである。裕輔は訪問介護を利用するかしないか迷った。

 和子は病院の千代を見舞うごとに千代の世話をすることに自信を失っていた。
「どこも痛くありません。先生のお蔭さまでとてもよくなりました。」
と医者には平身低頭するのに、和子には、
「こっちが痒いからさすりなさい。」
「ここじゃない。もっと上。」
「ここじゃない。何度言ったら分かるのかね。もっと下、もっと右、もっと左。」
「ほんとに気の効かない嫁だ。」
と文句を言い、
「もっと丁寧に拭きなさい。痛い。もそっとやさしく拭けないのかい。」
「ああ、そんなに力を抜いたら体の垢が取れないじゃないか。満足に体さえ拭けないのかい。」
「あいたた、そんなに乱暴に扱うなお前は私を殺す気か。」
と、和子を叱咤した。
医者には平身低頭し、その反動で嫁の和子には我がままになる、そのような千代の心理を理解することができない和子は千代のいうように自分は気の効かない不器用な人間だという思いが日増しに強くなっていき、千代の介護に自信喪失していった。
「私がおかあさんを世話するより、訪問介護センターのホームヘルパーさんに任せた方がいい。その方がおかあさんの回復は早くなる。」
と和子は考えるようになった。
千代には軽いアルツハイマーの症候も見られるということを医者に言われてますます和子は訪問介護センターに千代の世話をさせた方がいいと考えるようになった。和子は次第に千代を介護することに恐怖を覚えていった。しかし、千代の介護を訪問介護センターに頼むか頼まないかは夫の裕輔が決めることである。裕輔が他人である訪問介護センターのホームヘルパーに千代の介護を任せることを嫌い、嫁の和子が千代の介護をすることを決めれば和子は裕輔の決断に従うしかない。夫の決定は絶対であり嫁の和子には夫の決定に抗う気持ちはなかった。
しかし、綾乃の大学進学のためにも、千代の介護は訪問介護センターにさせると夫が決断してくれることを和子は願った。果たして、夫は千代の介護は訪問介護センターに頼むのだろうか。和子は不安な日々を過ごした。

   ・・・和子の夢・・・

工場に出かけようと、軽自動車を駐車している庭に出ると、いつもの場所にある筈の軽自動車がない。庭の外に出て軽自動車を探したが見つからない。家の裏を探したが軽自動車は見つからない。軽自動車がないと工場に行くことができない。和子はあせった。畑の回りを探したが軽自動車は見つからなかった。ぞくっと悪寒が走り、振り返ると家の中から和子の慌てている様子を見てにやにや笑っている義母千代の姿が見えた。
「おかあさん、私の軽自動車を知りませんか。」
と聞くと千代は勝ち誇ったように、
「お前の車は裏山に捨てた。私の世話をしないでパートに行くなんて許せない。お前のお陰で私は世間の笑い者だよ。どんな世界に嫁が寝たきりの母親を世話しないことがあるかね。私は恥ずかしいよ。今日からお前の軽自動車はないからね。パートに行きたくても行けないよ。ああ、薄情な嫁だ。冷たい嫁だ。お前にはきっと天罰が下るよ。」
和子は義母千代が恐ろしくて家に戻ることができない。軽自動車がないから工場にも行けない。和子は行き場を失い庭で立ちつくしている。・・・・・・・・・・・・・
・・・・・夢にうなされて和子は目が覚めた。夢は現実のような気がしてなかなか和子の恐怖は消えなかった。


ホームヘルパーに母の介護を依頼すれば、和子はパートを続けることができて、和子のパート収入から介護料を払っても十万円以上の家計収入があることになる。それは家計には大きなプラスになるので、裕輔は悩んだ末に、千代の介護をホームヘルパーに任せることにした。しかし、千代に話すと千代はホームヘルパーの介護を受けることに反発した。

「嫁が居るというのに素性の知らない赤の他人に世話されるのはまっぴらだ。病院でも看護師に下の世話をされるのは恥ずかしくて穴にでも入りたい気持ちだというのに、自分の家で見知らぬ他人に下の世話や裸にされなくてはならない。それにどこの馬の骨とも知らない人間と二人だけで家に居るのは心細い。」

千代はホームヘルパーへの不安を裕輔に訴え、裕輔を裏で操っているに違いない和子を罵った。

「なんという冷たい嫁なんだい。母親が大怪我をして体を動かせない哀れな姿になったと言うのに、母親をほっといてパートの仕事をするなんて。人間の情のひとかけらもないひどい嫁も居たもんだ。裕輔。お前もだらしない。嫁の言う通りになるなんて私は情けないよ。」

千代はとうとう泣き出してしまった。裕輔は母親に寄り添い千代をなだめたが、千代に罵られた和子は顔を深く下げて黙って立ったままだった。裕輔は、

「なにも母さんを困らすためにやることじゃない。和子だって母さんの身を案じているんだ。今は昔と時代が違う。訪問介護というのも国が決めたことで、母さんのように体が不自由になった老人を国が面倒見てくれるようになったんだ。介護やリハビリのやり方を全然知らない和子より、介護専門のホームヘルパーの方がお母さんの世話を上手にしてくれるし、早く歩けるようになるんだ。和子は母さんの世話をやりたくないんじゃない。母さんの介護に専門のホームヘルパーに頼むのは母さんの為を思ってなんだ。もし、母さんがどうしても訪問介護が嫌だと言うなら止めてもいい。しかし、一度も訪問介護を受けないで止めてしまうのはどうだろうか、ひょっとしたら和子が介護するよりもホームヘルパーの介護の方が気に入るということもあり得る。」

と言った後に、裕輔は、

「すでに訪問介護の会社とは契約を交わしてしまったんだ。」

と嘘を言い、

「だから、せめて一ヶ月だけでも訪問介護を受けてくれないか。それで母さんが気に入らなければ断ることにする。」 

と、千代を説得した。裕輔の説得に千代の心は軟化した。

「私がホームヘルパーというのを気に入ることはないと思うけどね。」

という言葉が、千代がホームヘルパーの世話になってもいいと了承したことを意味していた。裕輔は、

「とにかく一ヶ月はホームヘルパーに面倒をみてもらうからね。」

と千代に言った。
千代が訪問介護を承知したので、和子は青木訪問介護センターに行き、千代の介護を依頼した。

退院の日には青木訪問介護センターの車で千代を運んだ。病院のベッドから車椅子に千代を移したのは青木訪問介護センターから派遣された運転手とホームヘルパーだった。和子は後ろでうろうろしているだけであった。そのことが千代の機嫌を悪くした。

「なぜ他人任せにするんだ。私を気遣っているならお前が私を運ぶべきだ。あいつらは他人だからお婆ちゃん痛くないですかあと言葉では気を使っている振りをしながら私を乱暴に扱う。運転手とホームヘルパーに抱えられて車に乗せられた時は二人の扱いが乱暴で骨折した箇所が痛く痛くて死ぬかと思ったよ。」

堪えた痛さの辛さは運転手とホームヘルパーに任せきりにしていた和子への不平となって爆発した。

「車に乗せる時も車から下ろす時もホームヘルパーは乱暴に私を扱うから骨が折れるかと思う程痛かった。なぜお前はもっと私をやさしく扱ってくださいの一言も言わないんだい。私を運ぶのを一切手伝わないなんて考えられない。ああ痛い。まだ痛い。お前の性だ。私が乱暴に扱われるのをお前は心の内で喜んでいたのではないのかい。」

千代は和子に八つ当たりした。千代は嫁が居るのに他人に介護されるということがどうしても納得できなかった。

「家族は家族で助け合っていくもの。私はは亡き義父や義母が年老いた時も懸命に面倒を見た。それが嫁いできた女の義務。それが家族愛。それなのに嫁の和子は私の面倒を嫌がり他人様に私の介護をさせて自分はのうのうとパートに出かけている。年寄りの面倒を見るよりパートをやる方が楽しかろう。楽であろう。しかしこんなことが許される世の中なんて悲しい。薄情な世の中になったものだ。私は姥捨山に捨てられたようなものだ。私が健康で気丈夫であったつい二ヶ月前までは私に反抗することは一切しないで私の言う通りに従っていた嫁だった。従順な嫁だと信じていたのに私が大ケガをして身動きできなくなった途端に手の平を返して私を邪険にする。ああ、なんという嫁なんだ。従順な振りをしていただけの鬼嫁だったのだ。」

千代は和子に裏切られたという孤独感に襲われた。

翌日千代を介護に来たホームヘルパーは五十歳代の太った女だった。玄関をガラガラと開けると、
「ごめんくださーい。」
と大きな声を出し、
「青木訪問介護センターから来ました秋山でーす。」
と家の中の隅々まで響き渡る声を出し、
「おじゃましまーす。」
と言って、ずかずかと家に上がった。

「さあ、おばあちゃん。背中を拭きましょうねえ。」
「さあ、おばあちゃん。ご飯をたべましょうねえ。」
「さあ、おばあちゃん。座りましょうねえ。」
「さあ、おばあちゃん。運動をしましょうねえ。」
「さあ、おばあちゃん。足を動かしましょうねえ。」
「痛かったら痛いと言いましょうねえ、おばあちゃん。」
「さあ、おばあちゃん。手を開いたり閉じたりしましょうねえ。一二三四。」
「さあ、おばあちゃん。足をあげましょうねえ一二三四。」
「さあ、おばあちゃん。おやつですよう。よく噛んでたべましょうねえ。」
「さあ、おばあちゃん。・・・・・・・・。」
「さあ、おばあちゃん。・・・・・。」
太った介護の女は忙しく動き、忙しくしゃべり、忙しく千代の面倒をみた。見知らぬ太った女に馴れ馴れしくあれをやらされこれをやらされて、千代は気の休まる心地がしなかった。
「おばあちゃんの希望があったら言ってちょうだいね、おばあちゃん。」
「気に入らないことがあったらはっきり言ってくださいね、おばあちゃん。」
「私の介護はどうでしたか。満足しましたか、おばあちゃん。」
帰り際の太った女の質問に、千代は心とは裏腹に愛想笑いをしながら、
「とても満足しました。ありがとうございます。」
と答えた。
「また明日ね、お婆ちゃん。」
太った女が帰った後に、緊張し続けていた千代はどっと疲れがでた。夜に、千代は和子に当り散らした。

「なんだねあの女は。他人の家にずかずかと入り込んで、馴れ馴れしいったらありゃしない。無理矢理起こして運動させ、痛い足を乱暴に上げ下げさせて。痛くて痛くて死ぬんじゃないかと思った。図々しいにも程がある。お婆ちゃんお婆ちゃんと言ってまるで私を痴呆老人扱いだよ。私を馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたいよ。見知らぬ図々しい女にあれこれさせられてこんな惨めな思いをしたことはない。あんたは私を殺す積もりなのだろう。だからあんな乱暴な女をわざわざ選んで私を介護させたんだ。恐ろしい嫁だ。従順で私の言うことをはいはいと聞いていたのはまやかしだったんだ。」

和子は首をうな垂れ、黙って千代の話を聞いていた。何も言わないで、顔を伏せて黙っている和子に千代の不満はますますつのった。
二日目も一日目と同じ太った女がやってきた。太った女は
「おばあちゃんあれしましょうね。」
「おばあちゃんこれしましょうね。」
と千代を忙しく世話をして千代の心地が安まる間もなく時間は動き、「おばあちゃん。また明日ね。」と言って、太った女は帰っていった。
千代は不満を和子にぶつけ、和子は首をうな垂れて黙っていた。三日四日と千代の和子への怒りは増していき、言葉はいっそう辛らつになった。首をうな垂れている和子の目からは涙が零れ、畳の上の和子の涙は白い蛍光灯の光に寂しく輝いた。怒りを和子にぶつける千代の目からも涙が流れていた。

「退院をして家に戻ったら見知らぬ他人がまるで我が家でもあるように振る舞う。」

昼の家には見知らぬ女と千代の二人だけ。動けない自分と傍若無人に動き回る太った女。千代は孤独な不安を抱えたまま他人の世話に甘えなくてはならない。ホームヘルパーに不満は言えない。頼みごとは言いにくい。我がままは言えない。背中が痒くても我慢。喉が渇いても我慢。小雨が降ってきたから洗濯物を取って欲しいが何も言えない。出された食事は口に合わない。でもおいしいですと食べる。体の拭き方は下手だ。でも有難い有難いと感謝する。筋肉がすっかり削げ落ちた足を曲げたり伸ばしたり、まるで痛みを感じない棒を扱うように無神経に曲げたり伸ばしたりする。おばあさん痛くないですかと聞くが痛いに決まっている。しかし、痛くないですと答える。とても痛くなった時にヘルパーさん少し痛いですと言うと、「一日も早くおばあさんの足の筋肉が元に戻るための運動ですからね、少しの痛みは我慢しましょうね。」と言う。そう言われたら、強い痛みも我慢するしかない。家には身動きできない千代と見知らぬ乱暴な太った女の二人だけ。孤独で心細い千代はホームヘルパーの反感を買わないように気を使い、ホームヘルパーの怒りを恐れて従順な態度を続けた。
健康で病気とは無縁な千代は病院に入院したことは一度もなかった。他人の世話になることが生まれて始めての千代は介護されることに慣れていなかった。千代は介護を受けるようになってからストレスが溜まり、ストレスは嫁の和子への怒りとなって発散した。

怒りのこもった千代の不満の言葉は針のように和子の心を突き刺した。リハビリや介護の仕方を全然知らない和子よりホームヘルパーに任せた方が義母にとってはよりいい世話ができると信じていたのに、和子の期待はかなわなかった。
ホームヘルパーが千代の満足のいく世話をすることができないのにどうして介護のやり方を全然知らない素人の私に義母の世話ができようか。和子は悩んだ。悩んでも解決の指標は見えない。指標を見つける手段も思いつかない。指標を見つける手段さえ思いつかないのに義母の怒りと不満はつのるばかり。

ホームヘルパーが来て三週目に入った時、和子は青木訪問介護センターに恐る恐る電話して、義母の千代が介護に不満を漏らしていることを知らせた。和子は青木訪問介護センターの自信満々の女性所長に怒られることを覚悟していたが、女性所長はあっさりと和子の話に納得して、多分お母さんとホームヘルパーの秋山さんとは相性が悪いのでしょうと言い、明日からは別のホームヘルパーを派遣しますと言った。そしてこういうことはよくあることですからと、和子に弁解じみたことを言った。和子は別のホームヘルパーに代えくれることに安堵し、次のホームヘルパーに期待した。

翌日には太った女ではなく色の黒い痩せた四十代の女が千代の家の玄関を開けた。
「ごめんください。」
と新しいホームヘルパーは小さな声で言い、玄関を開けて家の中に入り、再び、
「ごめんください。」
と言い、家の中を見回した。それから恐る恐る家に入った。
「誰か居ませんか。」
と言う声が聞こえたので千代は、
「誰かねえ・」
と返事をした。声の主は千代の部屋に恐る恐る入ってきて、
「始めまして私は斎藤晃子と言います。今日から千代さんの介護をすることになりました。よろしくお願いします。」
千代は予期していなかった新しいホームヘルパーに驚いた。
「私は介護を始めたばかりですので至らない所がありましたらどうぞ遠慮しないで言って下さい。」
と丁寧に千代に挨拶し、千代の介護を始めた。
新しい「他人」の登場に千代は狼狽し、緊張した。新しいホームヘルパーは本人が言うように介護の経験が浅く戸惑いながら千代を介護した。千代の体を拭く時はそっと軽く抑えて拭き、垢は落とさず、体を動かす時は、
「痛いですか痛いですか。」
と、千代に繰り返し聞き、千代が少しでも痛い顔をすると直ぐに運動を中止した。骨折した足を上げる時は、手を太ももの下に入れた瞬間に千代の顔が歪んだので直ぐに止めた。「痛いですか。」と「御免なさい。」が痩せて色の黒いホームヘルパーの口癖だった。
夜に千代は体の痒みに我慢できなくなり、和子を呼んで体を拭かせた。
「もっと強くもっと丁寧に拭いて。ちゃんとタオルを絞って。」
とあれこれ文句をいいながら和子に体を拭かせた千代は、
「今度のホームヘルパーの女はきっと私を寝たきりにさせたいんだ。その証拠に骨折した足の運動をやらなかった。お前があの女にそうするように仕向けたのだろう。」
と言った。
和子は返事をしないで黙って千代の体を拭いた。翌晩も和子は千代の体を拭いた。体を拭きながら、痩せて色の黒いホームヘルパーの悪口を千代から散々聞かされた。和子は千代の体を丁寧に拭いた。体のすみずみまで拭いた。痒い所に満弁なく手の届くような丁寧な和子の拭き方だった。
土曜日と日曜日は一日中和子が千代の面倒を見た。千代にとっては和子の世話の方が心が落ち着き、ホームヘルパーの誰よりもよかった。そうであるが故に、和子の介護に満足しながらも、月曜日から金曜日にかけて他人であるホームヘルパーに世話をさせている和子に不満が募り、

「お前は私を寝たきりにして、そのまま私が死ぬのを首を長くして待っているのだろう。」

と愚痴を言い続けた。

愚痴を聞かされる和子の目からは涙が流れ出た。
「私が世話をするより介護の専門家であるホームヘルパーさんの方がおかあさんのためになると信じたから訪問介護を頼んだだけ。青木訪問介護センターの所長さんも素人の私が介護するより専門家に任せた方がずっといいと自信満々に言っていた。私はそれを信じた。おかあさんが寝たきりになることを私が願っているなんてありません。おかあさんが寝たきりのまま死ぬのを私が期待しているなんて、そんな恐ろしいことを私が考えているなんて絶対にありません。」
和子は寝たきりのまま死んでしまうのを首を長くして待っているのだろうと千代に言われて悲しみの奈落に落とされた。
新しいホームヘルパーに変わって二週間が過ぎた時に、和子は青木訪問介護センターに行った。和子は女性所長に
「もっと介護のうまい人をお願いします。」
と何度もお辞儀をして頼んだ。泣きながら頼んだ。所長は、
「ホームヘルパーを簡単に次から次へと代えるのもどうかと思います。もっと冷静になって少しの間様子を見た方がいいと思いますよ。」
と言ったが、和子は
「もっと介護のうまい人をお願いします。」
と繰り返すだけだった。
和子のしつこい涙声に根負けした女性所長は
「分かりました。もっと優秀な介護士を派遣します。」
と約束した。

三人目のホームヘルパーがやってきた。三人目のホームヘルパーは三十代の元看護士のホームヘルパーは祖母が寝たきりになった時に病院を辞めて祖母の介護に専念した女性だった。新しいホームヘルパーは明るくて老人の介護に慣れていた。腕を上げたり足を伸ばしたりする時の痛みの度合いや骨折した足を動かした時の痛みの度合いも熟知していて
「この位の痛みは我慢して下さい千代さん。私の指導に従って運動すれば必ず歩けるようになりますよ。畑仕事もできるようになりますよ。」
と千代を励ました。
畑仕事ができるようになりますよという言葉に千代の心は動かされた。・・・・そうだ私には先祖代々受け継がれてきた畑を守る義務がある。ああ、もし再び歩けるようになって、畑仕事ができるようになれば、これ程ありがたいことはない。・・・・・
「本当に歩けるようになりますかねヘルパーさん。畑仕事ができるようになれますかね。」
と千代が聞き返すと、
「ああ、なれますよ千代さん。どんと私に任せなさい。」
などと言ってヘルパーの女は自信満々に胸を叩いた。
千代は三人目のホームヘルパーの介護に満足し、ホームヘルパーを信頼するようになった。手足の運動を快活なホームヘルパーの指示通りにやり、骨折した足の運動も痛みを堪えながらやった。性格の明るいホームヘルパーは畑からキュウリやナスやオクラなどの野菜を取って来て料理を作った。
「ほら、畑から取ってきた野菜ですよ。畑のお野菜たちも千代さんが元気になって自分達を育ててくれるのを首を長くして待っていますよ。」
と千代を励ました。
この励ましは千代には効果があり、千代は一日も早く元気になりたいと思うようになった。千代は三番目の元看護士のホームヘルパーが気に入り、食事の量も増え、運動も積極的にやるようになっていった。
しかし、千代の和子への態度は変わらなかった。相変わらずホームヘルパーの悪口を言い、私を寝たきりにする目的で和子がホームヘルパーに介護をさせているのだと言い、和子に悪態を突いた。三人目のホームヘルパーの介護を千代は気に入っていたから、新しいホームヘルパーへの不満を言いはしたが顔は和らぎ、不満の内容も厳しいものではなかった。しかし、神経が衰弱している和子には強い不満と弱い不満の区別をする能力は失せていた。千代の不満は全てが鋭い針となって和子の心に鋭く突き刺していった。
 和子は三人目のホームヘルパーが来て一週間後に青木訪問介護センターに電話をして、泣きながら、
「もっと介護が上手なホームヘルパーを派遣してください。お願いします。」
と訴えた。青木訪問介護センターで一番優秀と言われているホームヘルパーを派遣した女性所長は返事に困った。
「奥さん落ち着いて下さい。冷静になってください。こんなにころころホームヘルパーを代えるというのもなんですから。やっぱりここは暫く様子を見た方がいいと思います。今度のホームヘルハーは優秀ですし、慣れてくればお母さんもきっと満足すると思いますよ。」
と女性所長はホームヘルパーを交代して欲しいという和子の要求になかなか応じようとしなかった。和子は工場が終わると青木市に直行し、青木訪問介護センターに行った。和子は女性所長の前で土下座して、額を床に擦りつけながら何度も何度も
「お願いします。」
を繰り返した。狂っているとしか思えない和子の行為にほとほと困った女性所長は、
「分かりました新しいホームヘルパーと交代しましょう。しかし、こんなにころころ代えるのは問題です。なにが問題なのかを調べる必要があります。あなたのお母さんの意識調査をします。調査をしてからあなたのお母さんと相性の会うホームヘルパーを派遣することにしましょう。でもね和子さん。介護がうまくいくためにはあなたのお母さんの考えを改めてもらう必要もあります。信頼関係を結ぶにはお互い努力していく必要がありますから。いいですね。そのことをきちんとあなたのお母さんに説明して下さい。」
と、女所長は和子の要求を条件つきで了承した。和子は女性所長に抱きかかえられて立ち上がり、何度も女性所長にお礼を言いながら青木訪問介護センターを出た。
和子はその日のことを千代に話す勇気はなかった。青木訪問介護センターが千代の意識調査をするということも和子は千代には黙っていた。
三日後に、ワイシャツにぴしっとネクタイを絞めたスーツ姿の男と新しいホームヘルパーが千代の家を訪ねてきた。

「私達は介護される方々が満足して下さることをモットーに訪問介護をやらしていただいている次第でありましてですね。千代さんには御不満が多々あるとは思いますが、どうぞ私達の努力も理解して欲しいとおもいます。百パーセント満足していただけるのは現実的には困難でして、いえいえ決して私達がいい加減な介護をするということではありませんです。ええ、お嫁さんの和子さんにはもっといいホームヘルパーを回してくれるように要求されましてですね。私どももできるだけお母さんの要望に応えるように努力してきた次第でありますが、私どもが派遣したホームヘルパーにどのような不満な点があるのかを和子さんにお尋ねしても和子さんはもっといいホームヘルパーを派遣してくれの一点張りでして。残念ながら和子さんは千代さんの私どものホームヘルパーへの不満な点を指摘してはくれませんでした。三番目に派遣したホームヘルパーの桐嶋洋子さんは私どもの会社が誇る一番人気のホームヘルパーなんです。霧島さんにも御不満があるということは正直言って私どもはお手上げ状態でして。それでですね。千代さんの希望を調査しましてですね。千代さんの希望に応えることができるようにしたいと思いましてですね。私がやって来た次第であります。」

スーツ姿の男は腰を低くしてハンケチで額の汗を拭きながら話した。
千代はスーツ姿の男の話に驚いた。千代の不平不満を聞かされた和子は千代の不平不満の言葉を真に受けて、ホームヘルパーを代えてくれるように青木訪問介護センターに要求していたのだ。そして、和子の要求に応じた青木訪問介護センターはホームヘルパーを次々と代えていたのだ。和子がそのような行動をしていたなんて千代は夢にも思っていなかった。
スーツ姿の男は千代に色々な質問をしたが千代は、
「ホームヘルパーさんに不満はないし満足しています。」
という内容の答えをした。アンケートを取り終えたスーツ姿の男は今後もよろしくお願いしますと言って帰った。

 青木訪問介護センターの調査員が来た日から千代はホームヘルパーへの不満は一切言わなくなった。その代わりホームヘルパーへのストレスは和子への不満へと転換していった。和子の作った料理は、
「熱すぎる。」
と言い、
「冷たすぎる。」
と言い、
「塩辛い。」
と言われて塩加減を減らすと、
「私は腎臓病じゃないんだよ。塩加減が薄すぎる。」
と文句を言い。
「だしが濃すぎる。」
と言い、
「だしが薄すぎる。」
と言い、千代は和子の作った料理全てにケチをつけた。体を拭く時には
「痛い痛い。」
と言い、寝返りをさせる時にも、
「痛い痛い。」
と言い、起こす時も
「痛い痛い。」
と叫んだ。
骨折した足は和子が触れただけで、
「痛い。」
と叫んだ。
「あんたの手には針が生えているようだよ。」
と千代は冷たい目をして言った。
夜中に大声を出して千代が和子を呼ぶ日が増えていった。深夜に何度も和子は起こされ、千代の肩を揉み、背中の痒みを擦り、体の向きを代えさせられた。
和子は日に日に痩せていき、睡眠不足の日々は次第に和子の意識を鈍らせ、思考力は低下していった。一方、千代も食欲が落ち痩せていった。千代も和子も心と体が衰弱していった。千代は息子の裕輔と二人きりの時には和子がパートを辞めて自分の看病をしてくれないことを嘆いた。

「親の面倒は子がみるもの。それは昔からの道理です。道理を通さないから私はこうしてやせ衰えているんだ。裕輔もそのことをちゃんと考えないとバチが当たるよ。嫁を我ままにさせていいのかい。私は嘆かわしい。薄情な鬼嫁にこんな目に合わされて私は死んでいくんだ。」

母親のやせ衰えていく様を見て裕輔は考え直す必要を感じた。
このままでは母は衰弱していく一方だ。和子にはパートを辞めさせて千代の看病に専念させるしか千代を回復させる方法はないのかも知れないと思うようになった裕輔は、

「分かった母さん。母さんの希望通り和子はパートを辞めさせて、母さんの世話に専念させるよ。」

と言った。裕輔の言葉に千代はほっとした。

夕食を終わった後に、裕輔は和子に話した。

「どうもホームヘルパーでは母さんの世話はできないようだ。所詮ホームヘルパーは他人。心の通った世話はできない。やっぱり母さんの世話は嫁のお前がやった方がいいのかも知れない。二ヶ月目に入ったからこのまま続けられると思っていたが、母さんの話を聞いたら、このまま続けるわけにはいかないようだ。ホームヘルパーに母さんの世話をさせるのは無理があると思う。来月からはお前が母さんの世話をしてくれ。」

と裕輔は和子に千代の世話をやるようにと言った 。和子は黙って聞いていた。

    ・・・和子の夢・・・

地獄の閻魔大王が舌をなめずりながらコピーをしている。コピー機から出てきたコピー紙を見て閻魔大王は不気味に笑っている。和子を見て勝ち誇ったように笑う。ゆっくりとコピー紙を和子の目の前に広げた。コピー紙に写っていたのは義母千代の死んだ姿だった。閻魔大王はもっとコピーしようかもっとコピーしようかと言いながら意地悪くにやにや笑っている。突然、死んでいるはずのコピー紙の義母千代がにやりと笑った。
和子は恐怖にもがき続けた。

    ・・・和子の夢・・・ 

和子がいつものようにコピー機を組み立てようとコピー機組み立て用の屋台ボックスの前に立ってドライバーを取ろうとすると、いつもあるドライバーがない。それに台の高さも道具をびっしり設置してある棚も和子の屋台ボックスとは違っている。「このボックスは私のボックスではない。」、和子はボックスから出て、私のボックスはどこにあるのかと工場の中を探し回るが和子の屋台ボックスはどこにも見当たらない。探しあぐねて振り返ると全ての屋台ボックスには組み立て従業員が埋まっていて、空いている屋台ボックスはひとつもない。私のボックスがない。私の居場所がない。和子は途方にくれる。私のボックスはどこに。私の夢はどこに。消えないで私の屋台ボックス。消えないで私の夢。

    ・・・和子の夢・・・

工場にいる筈の自分が畑にいる。嫁入りした時に毎日義母にやらされた畑の草取りをしている。暑い日射しの下で。麦わら帽子を手ぬぐいで縛り、もんぺを着てせっせと草むしりをしている。私は工場にいる筈よと近付いて草むしりをしている自分を覗くとその顔は自分ではなくて長女の綾乃であった。もんぺ姿の綾乃は、「学校に行きたい。勉強をやりたい。大学に行きたい。小学校の先生になりたい。」と泣きながら畑の草むしりをしている。「綾乃。草むしりは母さんがやるからあなたは早く学校に行きなさい。」と言って和子が草むしりを始めようとしたら背後から冷たい声が。「私の世話を満足にできないくせに草むしりなんかするんじゃない。さっさと家に戻って私の世話をしなさい。お前は二十四時間私の面倒をみなくてはならないんだよ。女は学校に行く必要はない。綾乃は私の代わりに畑仕事をさせることにした。うすのろで不器用なぐず嫁だよお前は。さっさと戻って来なさい。」
義母千代の氷のように冷たい声に和子は金縛り状態になり動けない。うわぁーと声を出して体を動かした瞬間に目が覚めた。

    ・・・和子の夢・・・    

台所で義母の千代は長女の綾乃に料理を教えている。和子が嫁入りした時にも義母に徹底して料理を教えられた。あの時と同じように綾乃が料理を千代に教えられている。綾乃の心の嘆きが和子に聞こえてきた。「学校に行きたい。勉強をやりたい。大学に行きたい。小学校の先生になりたい。」
「おかあさん。料理は私がやります。綾乃は学校に行かして下さい。」と和子が台所に入ると千代だと思っていた人物が振り返った瞬間に閻魔大王に変身してにやにや笑っている。綾乃だと思っていた人物はいつの間にか千代に変身している。千代も閻魔大王と一緒ににやにや笑っている。「お母さん歩けるんですか。」と和子が聞くと千代は「馬鹿なことを言う嫁だ。」とにやにやしている。
外から綾乃の声が聞こえてきた。
「学校に行きたい。勉強をやりたい。大学に行きたい。小学校の先生になりたい。」
綾乃は外で泣きながら洗濯をしている。「お母さん、洗濯は私がやります。綾乃は学校に行かして下さい。」と言うと千代は、「馬鹿なことを言う嫁だ。」と言ってにやにやしている。閻魔大王は「お前のカラーコピー機は使い物にならない。」と言う。千代と閻魔大王は和子をいたぶるようににやにやしている・・・・・・・

和子の体に変調が起こった。工場の仕事を終え、自分の家が近付いて来ると突然お腹の調子が悪くなり便意をもよおすようになった。家に帰ると直ぐにトイレに直行するようになり、家に居る間は一日中下痢症状が続いた。食欲は落ち。和子はますます痩せていった。

 和子は日ごとに肉体と神経が衰弱していき、とうとうコピー機組み立て作業で失敗をするようになった。コピー機の組み立てを完成した跡に検査したら真っ黒なコピー紙が出て来た。原因はハンダ付けをする箇所を間違えた初歩的なミスであった。痩せて目に隈ができた和子が疲れているのは誰の目にも明らかであった。無口な和子はますます無口になり、時々独り言を言うようになった。従業員の中には和子の精神状態を訝る者もいた。
工場長は和子を呼び、
「和子さんは最近疲れているようだから、暫くの間は工場を休んだ方がいいのではないですか。」
と暫く休むことを勧めた。すると、和子は泣き崩れて、
「私を解雇しないで下さい。一生懸命働きます。どうか私を解雇しないで下さい。」
と泣き叫び。
「私はここ以外に生きる場所がないのです。」
と意味不明の言葉を発した。工場長は和子の精神の異常を感じ、
「分かった分かった和子さんは休まないでしっかり働い下さい。」
というと和子はまるで子供のように喜んで工場長室を出て行った。
工場長から裕輔に電話が掛かってきた。
「最近の和子さんは元気がなく様子も変です。仕事のミスも多いようです。暫くの間は仕事を休ませた方がいいのだが工場長の私が休養するように説得しても和子さんは聞き入れてくれません。」
と言い、
「夫の裕輔さんからも休養するように説得してくれませんか。」
と裕輔に和子を説得するように頼んだ。
裕輔は和子が今月一杯で工場を辞めることを工場長に伝えていないことを知った。工場長も和子は休養した方がいいと言ったので、
「分かりました和子を説得します。」
と答え、裕輔は和子に工場を今月一杯でで辞めるように、もう一度話すことにした。
その夜、裕輔は工場長から電話があったことを和子に話し、工場を辞めるように再説得した。和子は首を縦に振らなかった。裕輔は和子の心を傷つけないように気を使いながら説得した。それでも和子は首をうな垂れたまま身動きしないで首を縦に振ることはしなかった。 
「いいね和子。今月一杯だからね。」
と言って、両肩を揺さぶったが和子は反応しなかった。
「寝たきりになるかも知れない母さんを看病しないとお前は世間から薄情な嫁と思われる。頼むからパートを辞めてくれ。」
と裕輔は懇願した。
「お前と母さんだけの問題ではない。お前たちがいがみ合っているから昭夫や綾乃も心が不安定な状態になっている。このまま行けば家庭が崩壊するかも知れない。和子、そのことをよく考えてくれ。お前がパートを辞めて、母さんの介護をすれば全部円く治まるのだ。お前がパートを続けるために訪問介護を頼んだのが原因なのだからお前がパートを辞めれば解決する。そうだろう和子。」
和子は顔を上げて裕輔を睨んだ。裕輔を睨む和子の顔は憎しみに満ちていた。
「私は工場を辞めません。あなたも工場長も閻魔大王も私を辞めさせようとしているけど私は辞めません。閻魔大王はかあさんが死んだ姿のコピーを私に見せたけど、あのコピー機は私が造ったコピー機ではありません。あれは偽物です。私が造ったコピー機は夢しかコピーしません。閻魔大王は嘘つきです。かあさんこそ悪者です。閻魔大王と仲間です。私が薄情な女ならかあさんだって薄情な女です。あなたも薄情な男です。あなたは人でなしの男。私の悩み苦しみを掃き溜め程度にしか思っていない。かあさんは本当は歩けるんです。かあさんは私を困らせる目的で歩けない振りをしているんです。あなたも閻魔大王と手を組んで私を苦しめようとしているのでしょう。綾乃を学校に行かさないで草むしりをさせるなんて許せない。綾乃はかあさんの召使いじゃない。綾乃は私の子供。綾乃の夢は私の夢。どうせあなたには私の心も綾乃の心も理解できない。」

意味不明の言葉を吐き続ける和子に不安になった裕輔は「和子。大丈夫か。」と言い、「落ち着きなさい和子。」と、和子を冷静にさせようとしたが、いつもの従順な和子とは違っていた。裕輔の言葉を無視し、和子は憎しみの感情を剥き出しにして裕輔を睨んでいた。

「私のボックスは私が守るわ。誰にも渡さない。私のボックスを閻魔大王と手を組んで奪おうとするかあさんなんか死んで閻魔大王の所に行ってしまえばいい。かあさんは私に鬼嫁と言った。でもほんとの鬼はかあさん。鬼姑なのだわあなたの母親は。閻魔大王と仲良しの鬼よ。私をいじめて喜ぶ鬼よ。綾乃を召使いにして苛める鬼よ。寝たきりの振りをして私と綾乃の夢を奪ってにやにや笑っている鬼よ。」

和子のひど過ぎる言葉に裕輔は思わず和子の頬を思いっきり叩いた。和子は頬の痛さで我に返りわぁーっと泣き伏した。

「いいな和子。今月一杯でパートを辞めるんだ。工場長には私がきちんと話す。分かったな。」

裕輔は強い言葉で泣き臥している和子に最終通告を言い渡した。和子の泣き声を聞いて昭夫と綾乃がやって来た。裕輔は気まずくなりその場を去った。虚脱状態の和子は昭夫と綾乃に抱き抱えられて寝床に行った。

翌朝、裕輔は和子が精神不安定になりおかしな行動をしないか心配したが、思いっきり泣いた性か和子は落ち着いていた。昨晩はなにもなかったかのようにいつものように和子は朝五時に起き、いつものように食事を作り、いつものように洗濯をし、いつものように子供と裕輔を送り出した後に八時二十分に家を出た。和子は裕輔にパートを辞めるとは言わなかったが、和子の穏やかな様子から、和子はパートを辞める覚悟ができたのだと裕輔は察した。裕輔はその日の昼に工場長に和子が今月一杯で工場を辞めることになったと連絡し、裕輔から連絡を受けた工場長は念のために仕事を終えて帰り仕度をしている和子を工場長室に呼び、
「今月一杯で工場を休むことになったということを夫の裕輔さんから聞きました。暫くの間休んで、元気になったら、また働いてください。」
と和子に言った。和子は黙って深くお辞儀をして逃げるように工場長室を出て行った。
 
工場に勤める最後の日、和子はいつものように午前五時に起きて朝食の準備を始めた。天気は昨日と同じ曇り空で時折小雨が降っていた。朝食が終わり、子供達は、
「行ってきます。」
と言って家を出た。裕輔は和子が気になり、時々和子の顔を見たが、和子は穏やかな表情をしていた。今日が最後のパートの日なのに和子はまるで気にしている様子ではない。あれだけ泣き喚いてパートを辞めたくないと言ったのに平然としている和子。今日がパート最後の日であることを和子は知っているのかどうか裕輔は気になったが、今月一杯で工場を辞めることを和子に確認したことを、工場長は裕輔に連絡してきたから、和子は今日が最後のパートの日であることを知らない筈はない。和子は無理に平静を装っているのだろうと思い、裕輔は和子に今日が最後のパートであることを確認しないで家を出た。

「あなた行ってらっしゃい。車の運転には気を付けて。」

と。玄関を出る裕輔に和子が声を掛けた。会社にでかける時に和子が声を掛けたのは久し振りである。そうか、和子は以前の平静な和子に戻ったのだと、裕輔はほっとして、いつもは黙って玄関を出ていくが、

「うん、行ってくるよ。」

と裕輔は和子を振り返って返事をした。
和子は寂しそうに笑った。
寂しそうに見えたのは痩せた性だろうと思いながら裕輔は玄関を出て仕事に出かけた。

「おかあさん。行ってきます。」

と、めずらしく和子は千代が寝ている部屋の襖を開けて丁寧にお辞儀をした。千代は何も言わなかった。二ヶ月の間にすっかりやつれた和子と千代。明日から和子が自分の介護をすることになって千代の心は落ち着いてきていた。千代は、「明日からしっかり私の世話をしておくれよ。」と心で言いながら和子を見つめた。和子は深くお辞儀をして、静かに襖を閉めた。
家族が和子の生きた姿を見たのはそれが最後だった。

 昼頃に、峠のなだらかなカーブの崖下に和子の軽自動車が発見された。発見したのはトラックの運転手で彼は警察に電話し、事故現場に駆けつけた警察官は和子が軽自動車の中で死んでいるのを発見した。なだらかなカーブで運転操作を誤って転落したのだろうと調査をした警察官は思った。
家族からの聞き取り調査によると和子は睡眠不足が続いていたという。いねむり運転をしていてなだらかなカーブを曲がり切れなかったのだろう。ブレーキの痕跡がないから九十九パーセント以上の確立で和子はいねむり運転をしていて事故を起こしたと結論づけて警察の調査は終わった。
 和子の右手には一枚の写真が握られていた。潰れた写真を開いてみると、和子と見知らぬベレー帽の老人が、コピー機の側に並んで立っている。家族は誰もベレー帽の老人を見たことがなかった。ミステリーじみた写真である。写真を見ているうちにいねむりをしたということは考えられるが、和子が死に際に握っていた写真が和子の死と関係があるのではないかと考える者は一人もいなかった。そして、和子が自殺したのではないだろうかという疑問は家族も警察も露ほどにも持たなかった。

 和子が造ったコピー機と、和子と、絵描きのベレー帽の老人が写っている写真は今でも和子の娘のアルバム帖に収まっている。


  
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2023年05月25日

 黒いフランケン

 黒いフランケン

水曜日の夕方に、啓四郎の携帯が鳴った。仲ノ町飲食街にある仲ノ町運転代行社の城間誠太郎社長からの電話だった。無職の啓四郎は臨時の代行運転をやっている。客の多い週末や代行運転手の欠員が出た時にお呼びがかかる。運転代行はベンチャー企業の常であるが仕事がきつい割りには給料は安い。しかし、生活を食いつないでいくのに運転代行くらいしか仕事はなかったので啓四郎は運転代行の臨時バイトをやっていた。
啓四郎は五十一歳、妻や子供とは別居状態で気侭な独身生活をしている。

 仲ノ町運転代行社は啓四郎のアパートから徒歩で二十分足らずの場所にあった。アパートを出て、急坂を登ると外人住宅街に出る。外人住宅というのは、戦後にアメリカ軍が沖縄に常駐するようになった時、アメリカ軍人の家族専用の貸し住宅として簡易に立てたコンクリート住宅である。ベトナム戦争の時は二十万人以上のアメリカ軍人とその家族が沖縄に住むようになり、外人住宅は至る所に突貫作業で作られた。しかし、ベトナム戦争が終わって、アメリカ軍の基地は縮小していくに従い、外人住宅を借りるアメリカ人は減り続け、現在は沖縄の人間が住むようになっている。

 外人住宅街を仲ノ町方向に歩いていくと商店や事務所、写真屋などが目につくようになり、車の往来が増え、パークアベニュー通りに出る。パークアベニュー通りはカデナアメリカ空軍基地に隣接している商店街で、昔はセンター通りと呼ばれ外人バーで栄えていた。パークアベニューの十字路を渡ろうとした時、向かいの歩道をとことこと歩いている仲里を見つけた。仲里は小さな肉体を通りの風を振り分けるように急ぎ足で進んでいた。
「おうい。ていー。」
仲里は名前を貞夫と言い、コザで生まれ育った人間だ。啓四郎と仲里は沖縄がアメリカ軍に占領されていた時代の琉球大学時代に演劇クラブの仲間で啓四郎の二期先輩だった。仲里は電気学科の学生で照明係りだったが、その頃の演劇クラブはフランスの劇作家ベケットの「勝負の終わり」を上演した後に演劇クラブのリーダーだった学生が退学になったために、残された連中は「勝負の終わり」の後の演劇テーマを見つけることができなくて演劇活動は低迷していた。ジャン・ジュネの「黒んぼたち」が空中分解した後は新たな演劇を目指して毎夜演劇論、演技論、芸術論を酒宴の場で展開したが「ファンドとリス」「授業」などフランスの戯曲を選んで練習したが上演までに辿り着くことができないで上演は頓挫した。いつしか他の学生も交じって稽古場は論争と酒宴の日々が続いた。啓四郎と仲里は毎夜酒宴を一緒にやった仲間だ。
 仲里は卒業すると本土の大学院に進み、啓四郎の前から消えた。啓四郎は大学を卒業して学習塾やレンタルビデオ店やライブハウスや古本屋などを経営してきたが長続きしないで三年前に古本屋を閉めてから定職もなくぶらぶらしている。今は運転代行や臨時のアルバイトをやりながら、インターネットを独学してインターネットショップを新たな商売にしようとしていた。
仲里は大学院に進学し、九州の大学でリニアモーターカーに使用される電磁石の超電導の研究をしていたが三年前に父親が急死した時に大学をやめて沖縄に戻ってきた。小学校の近くでほうれんそうという駄菓子屋をやっているという噂を聞いて啓四郎は仲里を訪ね、二十数年振りの再会をやり、一緒に酒を飲むようになった。
仲里の名前は貞雄と言い貞雄の貞が音読みでテイと読むことでニックネームがていになり、その時の習慣が啓四郎にはまだあり五十の年齢になっても啓四郎は仲里をていと呼んでいた。
啓四郎の仲里を呼ぶ声の大きさに通りの人間は驚いて啓四郎を振り返った。啓四郎は横切る車が絶えたのを見計らって車道を横切った。
「どこに行くんだ。」
啓四郎が近づくと仲里はいつもの愛想のいい笑いをしながら、
「この通りの上の方においしいタコス屋があるんだ。お前も行くか。」
仲里も独り暮らしをしている。妻子は九州の宮崎に住んでいた。三年前に中里の父親が死に、母親の面倒をみなくてはならないということで沖縄に移ることになったが、仲里の妻は子供の教育が心配でそのまま九州に残り、母親は長期入院していた。
「いや、今から運転代行の仕事がある。」
「そうか、残念だ。」
というと、仲里はさっさと去って行った。
「てい。」
と啓四郎が呼ぶと呼ばれる理由が分からないという風に怪訝な顔で振り返った。
「明日。スナックに行こうか。」
というと仲里は嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、何時に行こうか。」
「十一時頃がいいな。」
「分かった。」
というと、さっさと去って行った。
 パークアベニュー通りを過ぎ、カデナアメリカ空軍基地のゲートに面している通りであることから通称ゲート通りと呼ばれている四車線を越えると仲ノ町飲食街に入る。啓四郎は迷路のような細道に入り、仲ノ町の裏通りに出ると仲ノ町運転代行社に行った。
「急に呼び出して済まない。」
運転代行の仕事は九時ごろから始まる。夕方から酒を飲み始めた連中が仲ノ町のスナックに流れて、帰宅が始まるのが九時頃になる。しかし、建設や工事の完成祝いなどのような祝い事が仲ノ町のレストラン等で昼から宴会がある場合は昼からアルコールを飲み始め、夕方に運転代行を依頼してくる。運転代行サービスは夕方の五時から翌朝の五時までとなっているが、運転代行は完全歩合制であるから客の少ない夕方の五時に出勤する運転手は少ない。夕方に運転代行依頼が多い時には啓四郎の携帯電話が鳴った。
「宮守レストランを知っているか。」
どうやら、宮守レストランに客が待っているらしい。啓四郎は相棒となるてっちゃんと宮守レストランに行き、宴会を途中で抜けて早めに帰宅しようとする客の運転代行をやった。最初の客の運転代行の仕事が終わると同じ宴会から再び運転代行の依頼が出た。その後も次々と運転代行の依頼が来て、五回も運転代行の仕事が続き、啓四郎が仲ノ町の運転代行の事務所に帰った時には九時になっていた。
「啓さん。すまないが、そのままてっちゃんと組んで運転代行を続けてくれないか。てっちゃんの相棒の正志がまだ来ていないのだ。多分辞めたかも知れない。正志の携帯に電話しても取らないから。」
城間社長は始めからてっちゃんと組ませて働かせる積もりだったのだろう。啓四郎が断ったらてっちゃんが仕事に溢れてしまう。
「歩合を高くするからやってくれ、啓さん。」
啓四郎は朝の五時まで、運転代行の仕事をやった。
 啓四郎の日々は運転代行とパソコンいじりを軸にした気まぐれな生活だった。アパート賃、電気料、ガス代合わせて五万円に満たない。生活費は月に十数万円もあればなんとかやっていける。貯金の三百万円は新たな商売の資金として預金してある。だから、生活費の十数万円を確保してから一万円以上の金が貯まればスナックに行って酒を飲み、数千円の金しかない時に酒が飲みたくなれば仲ノ町の北側にある小さな公園に行き金のないもの同士が集まってやる酒宴に参加している。
 七月の始めに啓四郎は熱を出し、一週間部屋に閉じこもっていた。熱が下がり、金のない啓四郎は久しぶりに仲ノ町の北側にある公園に出かけた。夜の九時。
「おう、啓さん。久しぶりじゃねえか。」
啓四郎は公園に来る途中の酒店で買ったあわもりの一升瓶を座りながら芝の上に置いた。
「酒が切れそうなので買いに行こうとしていた所だ。これで店に行く難儀がなくなった。」
たっちゅうと呼ばれている髭もじゃの男は言った。
「たっちゅう。ほれ、水とつまみを買って来いや。」
と言って真っ黒に日焼けしているがっぱいが千円札を出した。たっちゅうはがっぱいから千円札を取ると仲ノ町にあるコンビニに水とつまみを買いに出かけた。
 公園にはがっぱいとたっちゅうの他に梅さん、五郎、ぶんさんの三人が居た。公園に集まるのはその日によって違うが、たっちゅうとがっぱいと梅さんは最近は仕事にあぶれていて毎日のように公園に来ていた。たっちゅうが水とおつまみを買ってきてから宴会は賑やかになり、話が弾んだ。
「よ。」
公園の裏からこっそりと入ってきたのはじょうさんと呼ばれている高安だった。高安は名前を隆盛と言い、堅物をイメージさせる名前とは違い、饒舌であり嘘の混じった話しをやるので冗談のじょうを取ってじょうさんと呼ばれていた。
「おお、じょうさん遅いじゃないか。」
じょうさんが車座の中に入り込んで座ると五郎が紙コップを渡した。
「噂によると留置場に入っていたというが、本当か。」
「ああ。」
とじょうさんは頭を掻いた。
「そうか。まあ酒を飲めや。」
じょうさんは紙コップを取り、マジな顔になって車座に座っている男たちを見回した。たっちゅうが酒を注ごうとして一升瓶を持ち上げると、じょうさんは紙コップを指し出しながら、
「実はな。俺は殺人現場を見たのよ。」
と言って、皆の顔をゆっくりと見回した。じょうさんの話に梅さんと五郎とぶんさんは身を乗り出したが、たっちゅうは「へえ、殺人現場をねえ。」と言ってじょうさんのコップに酒を注いだ。じょうさんはコップを持ったまま回りの者の顔をじっくりと見回した。「どうだ。俺の話を聞きたいだろう。」という顔をしている。啓四郎とたっちゅうとがっぱいはじょうさんの話は思わせ振りが強いだけで話はつくり話が多いと知っていたから気に止めなかった。
「その殺人というのは何時のことだ。」
じょうさんと付き合いが短い梅さんはじょうさんの話に大いに関心を持ったようだ。
「一昨日だよ。ほら、昨日の夕刊にコザシティー運動公園の側で交通事故があって、ウイリアム・ジョンソンというアメリカ兵が死んだと載っていただろう。あれは交通事故ではないのだ。本当は殺人なんだ。俺は殺人の現場を見ていたのだ。」
じょうさんの緊迫感溢れる声音に梅さん、五郎、ぶんさんだけでなく、じょうさんの話は結局は嘘の話であることを何度も経験したたっちゅうやがっぱいまでもじょうさんの話に引きずり込まれていった。
「一昨日のことだ。俺はお前達と別れてからアパートに帰る途中で疲れてしまってよ。歩くのがしんどくなった。随分酒を飲んだからなあ。で、コザシティー野球場を過ぎてコザシティー運動公園に来た時にはとうとう歩くことができなくて芝生の上で寝てしまったのよ。暫くすると、なんだかうるさくて目が覚めてしまったのよ。コザシティー野球場の南側でぎゃあぎゃあとアメリカ語が聞えてきたのよ。アメリカ人が喧嘩でもしているのだろうと思って、俺は木陰に隠れた。案の定喧嘩だ。殴り合いや木や壁にぶち当たる音が聞えた。これは尋常な喧嘩じゃないなと俺は直感した。声は押し殺したような声で非常に緊張した怒鳴り声だった。俺は恐ろしくなって逃げようとしたが、酔っ払って腰が立たないのよ。その内に喧嘩は激しくなってこっちの方に近づいてきた。プシュ、プシュという音も聞えてきた。プシュ、プシュという音はなんの音だったと思うか。」
と、じょうさんはどうだ分かるかと得意そうな顔して皆を見回した。じょうさんは充分に間を置いてからしたり顔で話を続けた。
「なんとそれは拳銃の音だったんだ。サイレンサー付きのな。」
と言って、また皆を見回した。梅さん、五郎、ぶんさんはじょうさんの話に巻き込まれていた。
「これは普通の喧嘩じゃない。殺し合いだ。そう直感した俺は酔いが覚めた。逃げようとしたが、恐くなって体が金縛りに会ったようにますます動けなくなった。見つかってしまうと殺されるに違いないと思うとますます体は膠着して地蔵さんのようになった。するとな、ガーっと俺の隠れている所に寄って来たのよ。ガーっとな。五、六人のアメリカ人が。もう、俺は恐くて恐くて。見つかったら殺されると思ったね。でも、変な喧嘩なんだ。アメリカ人はな。闇に向って喚いているのよ。拳銃を闇に撃ち、闇に飛び込んで行くのよ。俺は何がなんだか分からなくてじっと喧嘩を見ていた。すると突然、ひとりのアメリカ人がぶーんと俺の頭の上を飛んで行って車道に落ちて行った。闇の中には忍者みたいに黒い装束をした人間が居て、アメリカ人はその男と喧嘩していたみたいなんだな。で、その男がひとりのアメリカ人をぶーんと二十メートルも投げ飛ばしたというわけだ。」
じょうさんの話はいつも途中から大げさになり、現実にはあり得ない話になっていく。梅さん、五郎、ぶんさんはじょうさんの話に夢中になって聞いていたが、たっちゅうとがっぱいはそろそろほら話が始まったのかとにやにやした。
「じょうさんよ。黒装束の男はアメリカ人をぶーんと二十メートルも飛ばしたのか。そいつぁー怪物なのか。」
たっちゅうはじょうさんの話にちゃちを入れた。たっちゅうのちゃちでじょうさんはたじろぐかと思ったが、じょうさんは真面目な顔で、
「ああ、たっちゅうの言う通り黒装束の男は怪物だったよ。なにしろ身長が三メートルもあってよ。」
たっちゅうがあきれた顔で
「おいおい、三メートルはないだろう。三メートルの人間なんて世の中には居ないよ。ジャイアント馬場より一メートル近い高さだよ。そんな人間がいるわけがない。人間じゃなくてゴジラだったのじゃなかったのか。」
と言ってたっちゅうは笑った。
「い、いや。二メートル五十センチくらいかな。とにかく、すごい大男だったよ。」
「じょうさん。冗談は止してくれ。二メートル五十センチの人間なんて居ないよ。」
あきれた顔でたっちゅうが言うとじょうさんは真顔でたっちゅうに反論した。
「たっちゅうよ。世の中には信じられない物というのは沢山あるんだ。あの黒装束の男はニメートルを軽く越して二メートル五十センチくらいの身長があったのは確かだ。俺ははっきりと見たんだ。この目でな。」
じょうさんは黒装束の身長が二メートル五十センチであることを譲らなかった。
「わかった。で、どうなったんだ。その三メートル近くもある黒装束の男は。」
じょうさんはたっちゅうに話を折られたことで、話を続ける情熱が失せてしまった。
「逃げたよ。カデナ空軍基地に。アメリカ人と喧嘩しながらな。」
ぶっきらぼうに言い。じょうさんは酒を飲んだ。酒宴は白けたムードが漂った。
「なぜ、じょうさんは留置場に入ったんだ。その黒装束とアメリカ人の喧嘩に関係があるのか。」
じょうさんの話を熱心に聞いていた梅さんはじょうさんの話をもっと聞きたくて質問をした。梅さんの質問にふてくされ気味だったじょうさんが再び饒舌になった。
「ああ、大いに関係ありだ。」
じょうさんはは得意満面に話し出した。
恐怖で動けなかったじょうさんは黒装束の男とアメリカ人が去ってから十分過ぎた頃には緊張も解けて動けるようになった。じょうさんはこっそりと車道に近寄り放り投げられたアメリカ人に近寄ってみると車道に放り出されたアメリカ人は即死していた。じょうさんは恐ろしくなって現場から逃げた。
翌日になり、アメリカ人が事故死したことが載っているのを確かめるためにじょうさんは夕刊を見た。案の定、アメリカ人の死亡記事が載っていた。しかし警察はじょうさんが見た事件の内容とは違いひき逃げ事故であると判断していた。トム・ジョンソン上等兵は車に轢かれて倒れているのをその場を通っていたタクシーの運転手が発見し救急車によって病院に運ばれたがすでに心肺停止をしており病院で死亡が確認された。死因は交通事故による出血多量。警察はトム・ジョンソンを轢いた車の行方を追っているという記事になっていた。事故現場を見ていたじょうさんはコザシティー警察署に行って、トム・ジョンソン上等兵は交通事故死ではなく、得体の知れない身長が三メートルもある黒装束の男にコザシティー運動公園の道路から二十メートルも投げ飛ばされて死んだのだと訴えた。ほら話としか思えないじょうさんの話を警察官が聞き入れる筈がなかった。邪険にする警察官にじょうさんははしつこく訴え続けた。終いには自分を邪険にする警察官に罵言を吐いたので警察官は怒ってしまった。おまけにじょうさんは泥酔状態だったのでじょうさんは留置場に入れられてしまったのだ。
「トム・ジョンソンという上等兵は車に轢かれたのではない。黒装束の男に二十メートルも投げ飛ばされて路上に叩きつけられて死んだのだ。俺はなこの二つの目ではっきりと見たのだ。嘘じゃない。」
嘘じゃないと真剣に話すじょうさんは随分とほら話をやってきた。何度もじょうさんのほら話を聞いてきたたっちゅうとがっぱいはじょうさんの話をほら話と決め付けて笑いながらじょうさんの話に乗った。酒宴を楽しくするためだ。
「じょうさんよ。大男の身長は二メートル五十センチじゃないのか。それを警察で三メートルの大男と言ったのか。警察に信じろというのが無理だよ。」
じょうさんはたっちゅうのからかうような言い方に反発した。
「ニメートル五十センチと三メートルは大した違いじゃない。本当に三メートルだったかも知れない。なにしろあの時は酔っ払っていたから正確な身長は分からない。とにかくすごく高い男だった。
「でもじょうさんよ。三メートル近くの大男が居るとしたらそいつは人間じゃあないな。怪物だよ。こりゃあ、海か山奥からやって来た黒い鬼じゃなかったのか。」
と言いながらたっちゅうはがっぱいと目を合わせて笑ったが、たっちゅうの揶揄に、じょうさんは真顔で答えた。
「うん、俺も三メートルもある黒装束の男は人間じゃないと思っているんだ。動きがタコみたいでな。なんか軟体動物のような気がした。」
じょうさんは立ち上がって黒装束の男の動きを真似した。体をくねらせ、腰を回してフラダンスのような動きをしたり、ゆったりとした太極拳のような動きをしたりした。
「歩く時もな、足を滑らすように歩くんだ。こういう風に。」
五十歳近い小太りのじょうさんの動きは滑稽で皆を大笑いさせた。じょうさんは真面目に黒装束の男を真似て軟体動物のような動きをやっていたが酒びたりのじょうさんの肉体は直ぐに疲れて、息をはあはあさせるようになり、黒装束の男の真似を止めて座り込んだ。
「俺は見ていたことを警察に正直に話したのだ。それなのにコザ警察署の連中は俺を留置場に入れるなんてひどいよ。」
じょうさんは理不尽な警察の行為に怒ったが誰もじょうさんに同情しなかった。「一日はアルコールが抜けて健康になってよかったじゃないか。」とか「飯代が浮いたな。」とか「三メートルの大男を見たなんて警察が信じると思うのがおかしい。警察に信じさせるなら二メートルの身長にすればよかったのに。」とか酒宴の男達は口々に言った。
「じょうさんよ。アメリカ人の撃った拳銃の弾は黒装束の男に当たらなかったのか。」
と梅さんが聞いた。
「当たったみたいだったな。あれは人間じゃなくて化け物なんだろうな。だって、拳銃の弾を喰らっても後ずさりするだけで死ななかったからな。俺は防弾チョッキを着けているから弾に当たった反動で後ずさりしているだろうと思ったけどよ、今、冷静に考えてみると防弾チョッキは着けていなかったと思うんだ。黒装束と言っても、レオタードのような体にぴっちりした装束だったからな。もし、防弾チョッキを着けていたら防弾チョッキが浮き出て見えたと思う。そうではなかったからな。人間の裸に近い姿だった。」
じょうさんのまるで実際に見ていなかったら話せないような黒装束の男の話にいつの間にかたっちゅうとがっぱいも聞き入っていた。
「拳銃の弾が当たったのに平気だったのか。」
「平気だった。」
黒装束の男は銃弾が当たっても平気だったというじょうさんの話はうそ臭さを感じるものだが、アメリカ兵の死が殺人だと言い張って留置場に入れられたという事実があり、じょうさんの話が完全な作り話ではなくじょうさんが見たことにある程度の信憑性はあるだろうと思われたから回りの者はじょうさんが見たという黒い大男に関心が高まってきた。
「じょうさん。そのレオタードみたいな服というのはウルトラマンとかバットマンが着けているのと同じ服ではないのか。」
五郎が言うと梅さんも五郎の考えに賛同して、
「スパイダーマンも同じ服を着けているぞ。」
じょうさんが見た身長三メートル近い男はスーパーマン、ウルトラマン、スパイダーマンが着けている服と同じ特殊な服を着けていただろうということで皆は納得した。単純な思考回路の男たちの会話は納得した所から新たな話題が始まる。映画やテレビのヒーローたちが着けていた特殊な服は防弾チョッキなのか否か。喧々諤々と話が沸騰する。あんな薄い服が防弾チョッキであるはずがない。いやいや、未来の科学が生んだ最高の防弾チョッキだ。あの特殊な服を着ているからスーパーマンは不死身なのだ。いやいや、スーパーマンはマンつまりその男がスーパーであるのだ。服は動きやすいようにレオタード調にしているだけで特殊な服ではないだろう。いやいや、特殊な服であの服を着けているから超人なのだと酒でほろ酔いになった中年の男たちは童心に戻って議論を戦わして一歩も引かない。怒ったり笑ったり、つかみ合いをしたり握手をしたり。しかし、話の種も尽きた頃に酒宴の男たちは現実の会話に戻る。
「啓さんはどう思う。」
スーパーマンやウルトラマンの話に飽きてきたたっちゅうは黙って男たちの話を聞いていた啓四郎の意見を求めた。
「スーパーマンの服のことか。」
「いや、そうではなくて、じょうさんが見たという黒装束の男のことだよ。」
啓四郎はじょうさんのほら話だと考えていたが、そう言い切ってしまうと酒宴の座が白けてしまう。啓四郎は座が白けないように話した。
「三メートル近い大男がこの世に居るとは思えないなあ。本当は二メートル位ではなかったのか。それに二十メートルも人間を投げ飛ばしたというがじょうさんの勘違いではないのか、その大男が投げたように見えただけで本当は大男がアメリカ人の腕を取って振り回したらその勢いで走って行って路上に飛び出し車に轢かれたのではないのか。」
二メートルの男を三メートルに二十メートルを走ったことを二十メートル投げ飛ばされたとじょうさんが大げさに話したのではないかという啓四郎の解釈にたっちゅうは腕組みをして成る程と納得した。他の連中もさもありなんということで頷いた。しかし啓四郎の解説にじょうさんは反発した。
「俺は嘘を突いていないよ。本当に三メートルの大男を見たんだよ。アメリカ人の脇腹を掴んでまるで砲丸投げのようにぶーんと二十メートルも飛ばしたんだよ。アメリカ人の体は木の上を飛んで行ったよ。走るのと飛んで行くのとの違いはいくら俺が酔っ払っていても分かるよ。間違いなくあの死んだアメリカ人は木の上を飛んで行ったのだから。」
じょうさんは自分の主張を一歩も譲らなかった。皆の目は啓四郎に向けられた。じょうさんの話がほら話であるのかそれとも真実であるかは啓四郎の弁論次第であるとでもいうように。
「二十メートルも人間を投げ飛ばすことができるなんて考えられないよ。まるでスーパーマン映画やアニメの世界の話だよ。」
「啓さん。俺はこの両目ではっきりと見た。本当だよ。」
見たという話を覆すのは困難である。啓四郎は苦笑いした。
「それなら、もしじょうさんの話が本当なら、コザシティー運動公園には大男とアメリカ人が争った後が残っている筈だよ。芝生が削られていたり木の枝が折れていたりね。拳銃を撃ったのなら弾痕がある筈だ。それに死んだアメリカ人が車に撥ねられたのかそれとも投げ飛ばされたのかは警察が調べれば分かると思うけどね。車に撥ねられて死んだのなら車の部品か塗料が道路やそのアメリカ人の体に付いている筈だし、轢かれたとしたらタイヤ痕が残っている筈だ。警察はアメリカ人は車に轢かれたと発表したのだろう。車に轢かれたという証拠があるから車に轢かれたと発表したと思うよ。」
啓四郎の弁論に中年の陪審員たちは啓四郎有利の判断を下して成る程と頷いた。啓四郎の弁論で不利な立場に立たされたじょうさんはしかし啓四郎の弁論に反論しようにも「見た」と言う以外の反論材料がなく窮地に立たされた。じょうさんは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「よし、警察に行こう。トム・ジョンソンが車に轢かれていないということを警察に行って確かめよう。」
「それは止した方がいい。また、留置場に入れられるぞ。」
たっちゅうはじょうさんの肩を掴んで座らそうとしたが、自分の話がほら話にされようとしているじょうさんはたっちゅうの説得に応じないで歩き始めた。しかし、他の連中は警察署に行く気はないので誰一人としてじょうさんに付いて行かなかった。誰も付いて来ていないことに気付いたじょうさんは足を止めて、振り返り、
「来いよ。」
他の連中を呼んだ。
「じょうさん。本気で警察署に行く気なのか。」
「止めとけ。もう夜の十一時だぞ。こんな時間に警察署に押し掛けたら全員留置場行きだ。じょうさん。行くのは止めな。酒を飲もうよ。」
じょうさんは啓四郎に反論できないくやしさがあり、警察署に行って、トム・ジョンソンというアメリカ人が車に撥ねられたという警察の見解を皆の前で覆したい気持ちが先立ち、なかなか酒宴の席に戻ろうとしなかった。
「じょうさん。戻って来いよ。酒を飲もう。」
たっちゅうが呼んだがじょうさんは立ち止まったままだった。
「みんな来いよ。」
じょうさんは怒っていた。
「俺の話は本当だ。警察に行けば分かる。」
すると梅さんが立ち上がった。梅さんはかなり酔っていた。じょうさんの頑固な態度に酔っている梅さんは同調したようである。
「ようし、私がじょうさんと一緒に警察署に行ってやる。」
梅さんはじょうさんと一緒に警察署に行くと宣言した。梅さんはじょうさんの話が真実であるという思いが強くなっていた。
「じょうさん。俺が一緒に行く。俺が証人になるから二人で行こう。」
と梅さんは言ったが、じょうさんが一緒に行って欲しい人物は啓四郎だ。だから、梅さんが一緒に行こうと言ってもじょうさんは梅さんと二人だけで警察署に行く気にはなれなかった。啓四郎やたっちゅうの公園に集まっている連中全員と一緒に行かなければ意味がない。じょうさんは梅さん以外には誰も行きそうにもないので、しびれを切らして戻ってきた。
「どうした。じょうさんは警察署へ行くのじゃなかったのか。」
たっちゅうは酒宴の席に戻って来たじょうさんをからかった。
「俺と梅さんだけ行っても仕方がない。みんなで行かなくては意味がない。」
「警察署はおっかない所だ。俺たち酔っ払いが行って騒いだら留置場に連れて行かれるかも知れない。そんなおっかない所にそう簡単には行けねえよ。」
がっぱいがそう言うと周りの連中も頷いた。
「じょうさん。隣の交番所で聞こう。交番所の巡査がじょうさんの見た事故のことを知っているかもしれない。」
と梅さんが言うと、
「そうだ。よし、みんな、交番所に付いて来い。」
じょうさんは立ち上がって、一緒に交番所に行こうと誘った。公園の北側には仲ノ町交番所があった。公園で大声を出していると直ぐに交番所から巡査が飛んで来る。じょうさんたち公園の常連と仲ノ町交番所の巡査とは顔見知りであった。数十メートルしか離れていないので、全員はじょうさんに付いて行くことになった。
 交番所の中には若い新垣巡査とベテランの奥間巡査が退屈そうに座っていた。
「なんだなんだ。こんなに大勢で交番所に押し寄せて。交番所を乗っ取るつもりなのか。」
七人の酔っ払いたちが交番所に来たので、ベテランの奥間巡査が胡散臭そうに言った。
「奥間巡査。あんたは二日前の運動公園の道路で死んだトム・ジョンソンの事故を知っているか。」
「ああ、知っている。」
「トム・ジョンソンは本当に車に轢かれたのか。」
「車道で死んでいるんだ。それ以外に考えられないよ。」
「トム・ジョンソンは車に轢かれて死んだのではない。俺は見たんだ。」
ベテランの奥間巡査は温厚な男でじょうさんの話を邪険にすることはなかった。
「なにを見たのかね。」
「三メートルもある大男に投げ飛ばされて死んだ。」
「ほう三メートルの大男ねえ。」
「そうだ。だから、トム・ジョンソンは車に轢かれて死んだのではない。そうだろう。本当のことを言ってくれ。」
奥間巡査は苦笑いをした。
「車に轢かれたのなら、トム・ジョンソンを轢いた車の部品や塗料が残っていたはずだ。そんな証拠があったのか。どうだ。正直に言ってくれ。」
「あのなあじょうさん。私たちは巡査なのでそんなことは知らないのだ。事故の検分や捜査は別の専門の刑事や捜査班がやるのだよ。」奥間巡査の返答にじょうさんはがっかりした。
「じゃあさ、その専門の人に聞いてくれよ。」
「わかったわかった。聞いてあげるから今日は帰ってくれないか。」
温厚な奥間巡査はじょうさんの話を聞いていたが、真剣に聞いているわけではなかった。交番に押し掛けた酔っ払いの愚痴を聞いてあげると、愚痴を全て吐き出したら酔っ払いは気分がすっきりして帰る。じょうさんの愚痴を聞きおとなしく帰す目的で、奥間巡査はじょうさんの話を聞いていた。
「頼むよ奥間さん。ちゃんと聞いてくれよ。」
じょうさん達は奥間巡査の計算通りおとなしく交番所から退散した。

 交番から出る時に奥間巡査は公園で酒を飲まないように交番所へ押しかけた連中に注意した。五年前に酔っ払い同士がささいな喧嘩からナイフで刺し殺す事件が起こってから公園で集団で酒を飲むのは禁じられていた。最近は騒がなければ公園で酒を飲むのを黙認するようになってはいたが、巡査の判断で解散させる時もあった。奥間巡査に公園で酒を飲まないように釘をさされた連中は行き場を失った。
 交番所を出たじょうさんはコザシティー運動公園の事故の現場に行こうと言い出した。じょうさんはトム・ジョンソンは車に撥ねられて死んだのではなく三メートル近い黒装束の大男に二十メートルも投げ飛ばされて死んだことを現場で説明すると言い、強引に全員を連れてコザシティー野球場の方に歩を進めた。啓四郎はコザシティー運動公園に行くのを拒んだが、じょうさんだけでなくたっちゅうやがっぱいや梅さんもそれを許さなかった。じょうさんの話を冷静に分析し、客観的な視点で反論できるのは啓四郎だけでありこのグループの中では唯一の大学出で知識人だったから、啓四郎の存在は必要であった。啓四郎は渋々彼らと一緒にコザシティー運動公園に向かった。
「啓さん。」
狭い通りから大通りに出て歩道が広くなり横並びで歩けるようになったので五郎が啓四郎の所に寄って来た。
「来週は暇か。」
「どうして。」
「来週、新しいビルのペンキ塗りの仕事があるんだ。啓さんが暇ならペンキ塗りの仕事をしないか。」
「日給は幾らだ。」
「七千円だ。期間は五日間と聞いている。」
「三万五千円になるか。今は金欠だから是非やりたいな。」
「そうか。それじゃ、決まりだ。」

 なだらかな下り坂を下りるとコザシティー野球場の正面に辿り着く。野球場の裏側には体育館やテニスコートがあり、野球場と体育館の周囲は歩道が迷路のように貼り巡らされ、ソテツやガジュマルやゴムの木や松の木が植わり小さな森のようになっている。それを運動公園と呼んでいる。昼でも静かである運動公園の深夜は不気味で所々に点燈している街灯の明かりも闇に吸い込まれているようだ。七人の男たちは一キロもの距離を歩いた疲れとコザシティー野球場の不気味な静けさに圧倒されて黙って歩いていた。じょうさんはみんなをコザシティー野球場の南側にある総合体育館の駐車場に連れてきた。
「ここだよ。野球場の方から移動してきて、ここで黒装束の男とアメリカ人が争っていたんだ。」
駐車場は車が三十台駐車できる広さがあり、周囲には松やゴムの木や蘇鉄やガジュマルが植わっていた。
「アメノカ人は何人だったのだ。」
たっちゅうが駐車場入り口の道路で黒装束の男とアメリカ人との争っていた様子を実演して説明しているじょうさんに聞いた。
「五人だ。その中の一人が拳銃をぶっ放したら黒装束の男は後ろにずるずる下がってここのがじゅまるの木にぶつかったんだ。そして、弾に当たっても平気で、まるでスパイダーマンのように目にも止まらぬ速さでアメリカ人に近づくと次々と投げ飛ばしたんだ。一人はここのガジュマルに叩きつけられて、もう一人はゴムの木の枝に引っ掛かった。そして、一人はまるでほうがん投げのように投げられてぶーんとあそこの木の上を飛んで車道に叩きつけられたのさ。」
駐車場の入り口に面している道路と国道の間には幅が七、八メートル程の松林があり、松林を越えると四車線の国道が通っている。松は五、六メートルの高さである。黒装束の大男がアメリカ人を投げ飛ばした場所から松林沿いの国道までの距離はじょうさん二十メートルと言ったがじょうさんの言うよりは短く十数メートルくらいあった。じょうさんは大男の身長や国道までの距離を水増ししていた。
「するとアメリカ人はあの松林の上を飛んで国道に落ちたということなのか。」
「そうだ。」
アメリカ人は五、六メートル以上も上空に放り投げられ、十数メートル離れた車道に叩きつけられて死んだということになる。それは超人映画やアニメーションならいいが現実にはあり得ないことだ。啓四郎は黒装束の大男がアメリカ人を体育館の駐車場入り口から車道に投げたというのはじょうさんの作り話であると苦笑したが、他の連中はじょうさんのリアリティー溢れる説明にじょうさんの話が本当であると信じている様子だった。五郎が小石を拾って車道の方に投げたが小石は松の枝に当たる音がした。「でもプロ野球の選手はボールを百メートルも投げるからな。」
五郎は自分の小石が木の枝に当たって松林を越えることを出来なかったことが、黒装束の大男がアメリカ人を二十メートルも投げ飛ばしたことの否定にはならないというようにプロ野球選手の話をした。じょうさんの話が終わると男達は駐車場の隅に座り酒宴を再開した。
「拳銃の弾の後は見付からなかった。」
梅さんは黒装束の男がぶつかったがじゅまるや周囲の地面を探していた。
「もう、二日も過ぎたのだ。警察か誰かが拾ったかも知れない。拳銃の弾がなくても変ではない。」
「拳銃の弾ではなくて弾が当たった傷跡を探している。がじゅまるや地面に拳銃の弾が当たった穴らしいのは見付からない。」
「夜だから見えないかも知れない。明日の昼に調べたらいい。」
「そうしよう。」
梅さんは酒宴の席に座わった。
「その黒装束の大男は再びここに現れるかな。」
「そう言えば、一年前もここでアメリカ人が交通事故で死んだ。ひょっとすると黒装束の大男の仕業かも知れないな。」
「一年に一人か二人のアメリカ人がここで車で撥ねられて死んでいるよ。」
「犬や猫も車に撥ねられてよく死んでいる場所だ。俺は二年前に運送屋をしていた。その頃は毎日この道路を通っていたから知っているんだ。毎日犬や猫の死骸を見たものだ。」
みんなの話は運動公園の近くのアメリカ人や犬猫の死は車に撥ねられたのではなく黒装束の大男に殺されたのでないだろうかという話になってきた。
「黒装束の大男を写真に撮ったらフォーカスとかフライデイに高く売れるかも知れないな。」
ぶんさんがそう言うと、中年の酔っ払いたちは黒装束の大男は実在していることになり、大男を利用した儲け話に話題が移っていった。
「そうそう、ほら雪男の写真に一千万円の懸賞金がかかっているのだから、もし黒装束の大男の写真を撮ったら一千万円くらいはもらえるのじゃないか。」
「馬鹿言え。そんなにはもらえないよ。せいぜい百万円くらいじゃないか。」
「写真じゃなくてよ。ビデオで撮ったらすごく高い値段で売れるじゃないか。」
「最初は写真を売りつけてさ、次に録画テープを売りつけるというのはどうだ。」
「その方法はいいね。」
「ビデオならフォーカスとかフライデーでなくテレビ局だって飛びつくだろうよ。」
「日本だけじゃない。アメリカやイギリスやフランス、世界中のテレビ局が食い付くはずだ。そうなれば俺たちは億万長者になれるぞ。」
話は誇大化し続け、とうとう億万長者になれる話にまで発展していった。ところが、億万長者になれる話まで発展したというのにその日暮らしを送っている彼らの誰ひとりとして億万長者になれるのに絶対に必要であるカメラとビデオを所持していなかった。金の亡者になった酔っ払い達は友人知人から借りることができるか否かの話になり、たっちゅうと梅さんは兄弟か友人から借りることができると言い、会話の流れはたっちゅうと梅さんがカメラとビデオを準備することになった。億万長者になる夢に花が咲き、深夜の酒宴は酒がなくなるまで続き、酒がなくなると仲ノ町公園での再会を約束して解散した。

翌日、仲ノ町公園に集まったのはじょうさん、五郎、ぶんさんとがっぱいの四人に末吉と伊礼の二人が加わり合計六人が集まったが酔った勢いで借りる当てもないのにカメラとビデオを持ってくると約束したたっちゅうと梅さんはカメラもビデオも準備できなかったので仲ノ町公園に来ていなかった。じょうさんは肝心の二人が来ていないことを愚痴ったが、酒が入ると再び黒装束の大男の話になり、カメラとビデオで撮って億万長者になる話に発展した。そして、肝心のカメラとビデオを誰が入手できるかの話でみんなは意気消沈した。
「私がなんとかするよ。」
と末吉が言ったので、みんなは驚いた。末吉は家賃が払えずにアパートを追い出されてホームレスのような生活を送っていた。誰よりも貧乏であるはずの末吉がカメラを持ってくると言ったのでみんなは驚いたのだ。
「大丈夫。明日の夜、ここに持ってくるよ。」

 翌日の夜、ぶんさんはバカチョンカメラを持ってきた。
「こんなカメラで大丈夫かな。」
一同は不安になり、五郎は携帯を持っていたので、五郎の携帯から啓四郎に電話を入れた。
「バカチョンでは駄目だ。映像はぼける。ちゃんとしたカメラか今はやりの性能の高いデジタルカメラでなければ鮮明に撮ることはできない。デジタルカメラならパソコンで映像操作ができるからデジタルカメラの方がいい。俺はパソコンを持っているから、写真を撮ったら俺がうまく写っているかどうか調べてもいいよ。」

 三百五十万画素から八百万画素のデジカメでなければ駄目だろうと啓四郎に言われ、皆はがっかりした。
「よし、わかった。その八百万画素のデジカメというのを明日持ってくるよ。」
みんなが意気消沈しているのを見かねて末吉が言った。
「末吉。デジカメを借りる当てがあるのか。」
梅さんが心配そうに聞いた。
「う、うん。まあ。」
口を濁らせてから、
「とにかく私に当てがあるから。なんとかする。明日の夜八百万画素のデジカメを必ず持って来るよ。」

 しかし、末吉は翌日の夜、仲ノ町公園にやって来なかった。次の日も末吉は来なかった。三日目の夜、奥間巡査が公園にやって来て末吉が量販店の電気カメラ店でデジタルカメラとビデオカメラの万引き現行犯で捕まったことを告げた。奥間巡査は末吉は万引きの常習者であり、執行猶予中の犯行だから情状酌量の余地はなく、刑務所に数年は込められるだろうと言った。ホームレス同然の末吉にデシタルカメラやビダオカメラを買えるお金があるはずはない。数日前に末吉が持ってきたバカチョンカメラも恐らく万引きしたものだっただろう。
 末吉が警察に捕まったという知らせを聞いてみんなは意気消沈した。
「末吉は穏便でやさしい人間だったのになあ。どうして万引きなんかして警察のやっかいになるのだ。悪人ではないが、万引きは末吉の病気なんだろうな。」
「俺たちがカメラやビデオを欲しがっていたから。俺たちが困っているのを見かねて万引きをやっちまったのさ。末吉のやさしさが万引きをさせたのさ。馬鹿で要領の悪い男だよ。」
その日の酒宴は末吉の刑務所行きへの送別会になった。末吉が刑務所に入ったらみんなで面会に行こうとか末吉の好きな食べ物を差し入れしてあげようとか、口々に言い、その日は静かな酒宴となった。
 末吉が刑務所に入れられることに責任を感じたじょうさんは翌日の昼にコザ警察署に行った。末吉がビデオカメラを万引きしたのはじょうさん達のためであり末吉の私利私欲で盗もうとしたのではないから情状酌量で執行猶予にしてくれと頼んだ。ところがじょうさんは再びコザ警察署の留置所に入れられる破目になった。こともあろうに、真昼間にアルコールの臭いをぷんぷんさせてコザ警察署に怒鳴り込んだのだ。末吉の万引きの原因の話は運動公園の車道でウイリアム・ジョンソンが死んだのは車に轢かれたのではなく、黒装束の大男に放り投げられて死んだのだという話になり。車に撥ねられて死んだというのなら証拠を見せろ、とカウンター越しに喚き、警官に外に連れ出されたが再び舞い戻り、警察は嘘つきであるとか無能であるとか喚いたものだから、とうとうじょうさんは留置場に入れられてしまった。じょうさんの行為は悪質であると判断され、じょうさんは一週間も留置場に入れられた。
 夜毎に仲ノ町公園には男達は集まり、酒を飲み、世間話をやり、仕事の情報を交換し、儲け話になると黒い装束の大男をビデオで撮影して大儲けをする話になった。じょうさんがコザ警察署の留置場に入れられたことは黒い装束の大男の存在にますます信憑性を与えた。じょうさんが留置場から出て仲ノ町の公園に再び姿を現すと酒宴のテーマは黒い装束の大男をビデオで撮影して大儲けをする話になった。
 啓四郎は運転代行の仕事が忙しくなり仲ノ町公園に行かなくなって三週間が過ぎた頃にじょうさんから電話が掛かってきた。五郎がビデオカメラを持って来たから、ビデオカメラの操作の仕方を教えてくれというのだ。時計を見ると午前零時である。啓四郎は仲ノ町のはずれにあるスナック童夢で仲里と一緒に酒を飲んでいる最中であった。啓四郎はスナックで友人と酒を飲んでいるからと断ったがじょうさんはしつこく啓四郎に来るように頼んだ。じょうさんのしつこさに啓四郎は負けて、じょうさんたちが集まっているという仲ノ町の北西側にあるコンビニエンスに行くことにした。
「おい、ちょっと待て。啓四郎、俺を残してどこにとんずらしようとしているのだ。また、お前ひとりで可愛い子がいる所に行こうとしているな。」
啓四郎がじょうさんに呼ばれているからと言い、用事を済ますと帰って来るからと行っても仲里は承知しなかった。
「俺も行く。お前ひとりにいい思いをさせないぞ。」
仲里は啓四郎の話を信用しないで啓四郎に着いて行くとしつこく言い続けたので啓四郎は仲里と一緒に行くことにした。
「てい、後悔しても知らないからな。」
二人はスナックを出てコンビニに向かった。

 じょうさんたちはコンビニの広い駐車場の隅に車座になって酒を飲んでいた。じょうさん、ぶんさん、五郎、たっちゅう、がっぱい、梅さんに諸味里と昭光が加わっていた。五郎が今日一日限りという条件で妹夫婦からビデオカメラを借りることができたのでじょうさんが他の連中を呼び集めたのだ。
「啓さん。このビデオカメラの操作ができるか。私たちはみんなメカオンチで誰もビデオカメラの操作ができない。」
じょうさんから渡されたのは最新式の小型のデジタルビデオカメラだった。啓四郎が始めて手にするビデオカメラで直ぐに操作ができるようなものではなかった。
「操作の説明書はないのか。」
五郎は首を振った。最新式デジタルビデオカメラは操作の説明書があればなんとか操作することができるが説明書なしには操作の仕方が分からない。啓四郎はコンビニのウインドウの方に行き明るい蛍光灯に照らしながらビデオカメラの操作方法を調べた。しかし、なかなかスムーズに操作をすることができなかった。
「どれ貸してみろ。」
仲里は啓四郎からヒデオカメラを受け取ると、ヒデオカメラを光りに翳して調べていたが、スイッチを入れるとカチカチとクリックして、
「これで夜の薄明かりでもばっちり映るよ。」
と言って啓四郎にビデオカメラを返した。仲里は自分ではカメラやビデオデッキを持っていないのに不思議なことにデジタルカメラ、時計、ビデオデッキの操作は最新式の機器もなんなくこなすことができた。仲里は暗記の天才で人の名前や電話番号は一回聞いただけで覚えることができたし、ビデオカメラ等に書かれている英字記号は全て理解できたし、駄菓子屋ほうれんそうにはカメラやビデオカメラを持ってくる中学生も多く、仲里は彼らのカメラやビデオカメラ操作の相談相手でもあった。
「そこを押せば直ぐに作動する。でも、ディスクの残量は少ないから、フォーマットするか新しいディスクを入れた方がいい。」
啓四郎はビデオカメラを五郎に渡した。
「フォーマットというのはどういう意味だ。」
五郎は啓四郎に聞いた。
「録画してある映像を消すということだ。」
ディスクをフォーマットすることになり仲里はビデオカメラを五郎から受け取るとディスクに記録されている映像を消去した。
 誰がビデオカメラを操作するかという話になり、ビデオカメラを熟知している仲里にじょうさん達は頼んだ。しかし、仲里はメカニズムについてはよく知っていたが、操作は下手だったし、ビデオカメラを持てば黒い大男が登場した時に録画をしなければならない責任がある。仲里は責任を持つことに強いプレッシャーを感じる。仲里はビデオカメラを持ってくれないかと言われて驚いて後ずさりしながら断った。仲里の次に啓四郎が頼まれた。啓四郎は黒い大男の存在を信じることが馬鹿らしかったし、その黒い大男を撮影するために運動公園に行く気がなかったから啓四郎も断った。結局は一番若い五郎がビデオカメラで黒い大男を撮る係りになった。
 啓四郎は連中とコザシティー運動公園に行くのを渋った。しかし、じょうさん達は承知しなかった。じょうさん達に説得されて啓四郎と仲里は渋々行くことになった。

 じょうさん、たっちゅう、がっぱい、梅さん、ぶんさん、五郎、諸味里、昭光に啓四郎と仲里の十人の男たちは運動公園に向かった。一行は酒を飲みながらコンビニの通りから大通りに出た。長い坂を下っていくと左側にコザシティー野球場の明かりが見える。広いコザシティー野球場の入り口広場について一行は一息入れた。深夜のコザシティー野球場は街灯の白い光りに照らされ、闇はひっそりと広がり不気味だった。一行がコザシティー野球場に到着した時にぽつりぽつりと雨が降ってきた。遠くの空で稲光が走った。
「じょうさん。雨が降ってきそうだ。今日は引き返した方がいい。」
と啓四郎が言ったが、ぶんさんは、
「雨が降れば、総合体育館の軒下で雨を凌げるから大丈夫だ。」
と言った。ビデオカメラが今日一日しか借りることができないので、雨が降ろうと今日は朝まで運動公園に居座り続けて黒い大男の登場を待ちビデオカメラで黒い大男の姿を撮る腹積もりである。
男達はじょうさんを先頭にして十字路を左折して運動公園の細道に入り、総合体育館の駐車場入り口にやって来た。ひっそりとした駐車場は外灯の白い光りに照らされていた。男達はじょうさんが隠れていた国道沿いの林の中に入った。
「私がここに居た時、ほら向こうの道路の奥から争いの音が聞えてきた。そして例の黒装束の大男とアメリカ人達がそこの駐車場入り口にやって来たのだ。」
街灯の白い光りに照らされている一人も居ない駐車場は不気味である。一行はガジュマルの根の周りに車座になり、酒を飲み始めた。空は曇り、林の中はますます闇になり、道路沿いの街灯の光りがかずかに男たちを照らしていたが、酒をコップに注ぐのにも不自由する明るさであった。言い知れぬ不気味な林の闇の中で男たちの口数も少なくなり、やがて現れるかも知れない黒装束の大男に畏怖の念も募りつつ、声をひそめて酒を飲んだ。
 突然、林を突風とともにスコールのような大雨が襲って来た。林の木はザーザーと騒ぎ、大粒の雫が落ちてくる。
「うわ、冷てえ。」
うなじから浸入してきた雫に五郎は思わず悲鳴を上げた。
「みんな、体育館に非難しよう。」
男たちはじょうさんに先導されて、コザシティー野球場の裏にある総合体育館に向かった。黒装束の大男が暴れたという駐車場を横切り総合体育館に辿り着く頃にはみんなずぶ濡れになっていた。
「酒を飲め。酒で体を温めれば風邪は引かないよ。」
男達は総合体育館の軒下で立ったまま酒を飲んだ。激しい雨は止みそうにない。
「こんなに激しい雨が降っているのでは黒い大男は現れないかも知れないなあ。」
梅さんは嘆いた。
「ビデオカメラが借りられたというのに、俺達も運が悪いよ。」
とじょうさんが言うと、
「日ごろの行いが悪い性かも知れない。」
と昭光は言った。男達は口々に雨に恨みごとを言いながら酒を飲んだ。突然、仲里がグループから飛び出した。
「てい、どこに行くんだ。」
「へへ、小便だよ。」
というと総合体育館の奥の方に去っていた。雨はますます激しくなり、時折稲妻が走って雷鳴が轟いた。
「雨がひどくなって来た。じょうさん。こんなに大雨じゃあ、黒装束の大男は絶対に現れないよ。」
声が聞えない程の大雨に諸味里は諦め顔である。
「せっかく、ビデオカメラを準備したというのに。これでは一億円の儲け話もパーになっちまうな。」
ぶんさんも諦めの口調になった。
「いや、こんな日だからこそ、黒装束の男は現れるかも知れない。ビデオカメラはいつでも映せるようにしておけよ五郎。」
じょうさんだけはあきらめていなかった。激しく降り続ける雨を避け、総合体育館の壁に体を付けながら男達は酒を飲んだ。
突然、周りが真昼になったように明るくなり耳をつんざく雷鳴が轟いた。男たちは何が起こったのか分からず恐怖に慄いた。
「どうした。なにが起こったんだ。」
「近くに雷が落ちたのではないか。」
がっぱいは恐怖で顔がひきつっていた。
「どうする。ここにも雷が落ちるのではないか。逃げよう。」
がっぱいは雨の中へ出て行こうとした。
「待てがっぱい。雨の中はよけい危ないぞ。ここにじっとしていた方がいい。ここの壁は乾いているから雷の電気は伝わってこない。」
啓四郎は雨の中へ出て行こうとしたがっぱいを引き止めた。
「これは通り雨だ。まもなく止むだろう。」
啓四郎の言った通り、雨は次第に小降りになってきた。みんなはほとした。
「おい、仲里の帰りが遅すぎないか。」
小便をしにグループから離れていた仲里は一時間近くも経ったのに帰って来なかった。大雨と雷に襲われて男達は仲里が小便に行ったことを忘れていた。雨が小降りになった時に仲里の傍に居た昭光が仲里がまだ帰ってきていないことに気付いた。仲里が一人だけ帰ったということはあり得ない。
「ひょっとしたらさっき落ちた雷にやられたのではないか。」
男たちは仲里を探しに総合体育館の奥の方に行った。しかし、仲里の姿は見当たらなかった。
「ひょっとしたら、一人で帰ったのでないか。」
とたっちゅうが言ったが、啓四郎は否定した。啓四郎に黙って帰る仲里ではない。それに総合体育館の奥は行き止まりになっていて、帰る時は正面の駐車場を通らなくてはならない。もし仲里が駐車場を通って帰っていたとしたら目に入ったはずである。啓四郎は仲里が一人で帰ったことを否定した。男達は三々五々に散らばり暗闇に目を凝らしながら仲里を探した。しかし、仲里の姿は神隠しにでもあったように見当たらなかった。
総合体育館の奥にあるテニスコートの近くを探していた啓四郎は足裏に妙な感触を覚えた。地面の上に立っているはずなのに、カーペットの上に立っているような感じだ。それに周りが暗く闇になっているので足元が黒く見えるのは当然と思っていたが、よく見ると足元の地面が黒すぎる。啓四郎は手で地面に触わった。芝生や土の感触ではなくゴムのような感触があった。地面に触れた瞬間静電気が走り、啓四郎は思わず手を引いた。
「じょうさん。俺たちは変な物の上に居るぞ。」
啓四郎の近くに居たじょうさんが啓四郎を向いた。
「じょうさん。地面を触ってみろ。芝生でもなければ土でもない。俺たちはカーペットのようなゴムの上に立っている。気をつけろ感電するから。」
じょうさんは恐る恐る地面を触った。地面を触った瞬間に静電気が体を走り、じょうさんは悲鳴を上げて後ずさりした。後ずさりすると障害物に足を引っ掛けてじょうさんは転んだ。濡れた体に静電気が走り、
「うわぁー。」
と叫んでじょうさんは転げ回った。その時、黒いカーペットの中央がすーっと持ち上がり、足を取られた啓四郎はひっくり返った。黒いカーペットは収縮して中央に集まりみるみる内に二メートルの大男に変身した。予期しない突然の黒装束の大男の出現に地面に転がされたじょうさんは右往左往した。近くにいた昭光も足を取られて転び、黒い大男の出現に驚いて腹這いになりながら駐車場の方向に逃げ、じょうさんは腰が抜けて立てなくなり黒装束の大男に恐怖しながら後ずさりした。がっぱいは転んだ時に腕をケガして腕を抱えてうずくまった。啓四郎はなにが起こったのか分けが分からず呆然としていた。ビデオカメラを持っている五郎は大男を撮ることをすっかり忘れて地面を這って逃げている。大男の突然の登場に男達はあわてふためき五郎にビデオカメラで黒装束の男を撮るように指示する者はひとりも居なかった。カーペットから人間の姿に変身した黒い大男は啓四郎達から逃げるように駐車場の方に走り去って行った。
 じょうさんがひっくり返った場所に仲里が横たわっていた。仲里は黒いカーペットの下敷きになっていた。
「け、啓さん。」
自分の側に横たわっている仲里を見つけたじょうさんは啓四郎を呼んだ。
「啓さん。仲里さんはここに居るよ。」
啓四郎は中里の側に急いで駆け寄って起こそうとして仲里の体に触れた瞬間に静電気が走り啓四郎は静電気の痛みに思わず手を引いた。動かない仲里の体には静電気が流れていた。
「死んでいるのか。」
じょうさんの声は震えていた。たっちゅうと諸味里、五郎も仲里の回りに集まってきた。啓四郎は恐る恐る中里の体に触れた。軽い電流が啓四郎の指に流れた。啓四郎は思わず手を引いたが、再び仲里の体に触れた。今度は電流は流れなかった。啓四郎はぐったりとしている仲里を仰向けにして、
「仲里。」
と呼んだが仲里は反応しなかった。啓四郎は仲里の腕を取って脈を調べたが、脈の反応がなかった。
「脈がない。」
啓四郎の言葉に衝撃を受けた他の連中は恐る恐る仲里の顔を覗き込んだ。啓四郎は仲里の名を呼び、頬を叩いたが仲里は反応しなかった。
「死んでいるのか。」
啓四郎は救急車を呼ぶかタクシーを呼ぶか迷ったが仲ノ町飲食街にはタクシーが多い。運動公園は仲ノ町に近いからタクシーの方が早く来ると考え、携帯電話を取り出してタクシー会社に電話した。
「急いで、総合体育館の前までタクシーを頼む。友人が死にそうなんだ。一分一秒でも早く来てくれ。」
「分かりました。五分以内に行かせます。」
啓四郎が携帯電話を収めるとじょうさんが不安そうに啓四郎に聞いた。
「仲里さんは死んだのか。」
啓四郎は仲里が死んでいるとは信じることができなかった。
「脈がないということは心拍停止ということだ。でも、急いで病院に連れて行けば助かるかも知れない。俺が背負うのを手伝ってくれ。」
「仲里さんの体には電気が流れている。触れたら危ないのじゃないのか。」
「もう電気は流れていない。大丈夫だ。」
啓四郎は仲里を背負って総合体育館の出口に向おうと立ち上がった時、昭光が血相を変えて戻ってきた。
「う、梅さんが殺された。」
五郎は啓四郎の前まで来るとへたり込んだ。昭光の話では、駐車場に向って走っていた昭光の目の前にいきなり梅さんが降って来て、鈍い音を発して頭からアスファルトの地面に叩きつけられたというのだ。男達は梅さんの所に行った。
街灯の薄い光でも梅さんの頭蓋から当たり一面に血が流れ出しているのが分かった。梅さんは明らかにに即死状態であった。梅さんの突然の無残な死に男達はショックを受け、誰も「梅さん。」と声を掛けることさえできなかった。無言で立っている男たちの体が駐車場に入って来たタクシーのヘッドライトに照らされた。タクシーはゆっくりと近づいて、四、五メートル離れた場所に止めた。男たちが立ち尽くしたままタクシーに寄って来ないので、タクシーの運転手は降りて来た。梅さんの無残な姿にタクシーの運転手は思わず目を背けた。
「こいつはひでえ。」
そういうと、タクシーの運転手は警察に電話した。啓四郎は我に帰り仲里を背負ってタクシーに向かった。
「急いで救急病院に行ってくれ。」
タクシーには仲里を背負った啓四郎だけが乗り、他の男たちはパトカーが来るのを待つことになった。

 仲里は救急治療室に運び込まれて、電気ショックで停止した心臓の蘇生を試みた。しかし、仲里の停まった心臓は電気ショックを与えても動き出さなかった。三十分後に救急治療室のドアが開き、マスクを取りながら医師が出てきた。
「残念ですが仲里さんは蘇生しませんでした。暫くの間は病院の霊安室に安置します。警察には病院から連絡します。早急に仲里さんの家族に連絡してください。」
医者は啓四郎に家族に連絡するように言ったが啓四郎は仲里の家族や親戚を知らないし連絡をすることができなかった。仲里の携帯電話を調べれば家族へ電話連絡することができるだろうが、今は仲里の携帯電話を調べる気になれなかった。啓四郎は仲里の家族への連絡は朝になってからやることにした。
手術室から仲里が白い布で覆われて運ばれてきた。仲里の突然の死に啓四郎はあっけに取られるだけで目の前の布に覆われた仲里を見ても仲里が死んだという実感は沸いて来なかった。啓四郎は看護師と一緒に仲里が乗せられたベッドを押しエレベーターに入った。
「親戚の方ですか。」
無言の啓四郎に看護師は聞いた。
「いえ、友人です。」
「まだお若いのに。外傷はないし死んだようには見えませんでした。ご愁傷様です。」
看護師は啓四郎の悲しみをねぎらう言葉を言ったが、啓四郎は仲里の死が狐にばかされている様な気がして悲しくもなければ仲里の死を信じることもできなかった。エレベーターは地下一階で停まった。ドアが開き啓四郎と看護師がベッドを押そうとした時、白い布の中央で合掌している仲里の手が動き白い布が盛り上がった。死体の手が動いたのを見て看護師は悲鳴を上げてベッドから手を離した。看護師は死体が動いたことに恐怖してわなわなと震えたが、仲里が死んだとは信じきれない啓四郎は白い布を剥ぎ取って仲里を見た。仲里は無表情ではあるが目を開いていた。
「仲里。生きているのか。」
啓四郎が大声で言うと仲里は弱々しく笑った。
「看護師さん。仲里は生きている。生きているぞ。」
エレベーターの壁に張り付いていた看護師は啓四郎の言葉を信じることができないで動かなかった。啓四郎が看護師の肩を叩いて「仲里は生きている。確かめてくれ。」と何度も言ったので看護師は恐る恐る仲里の手を取り脈を調べた。仲里の体は冷たく息も脈も弱かった。
「生きています。生きています。仲里さん。私の声が聞えますか。聞えたら手を強く握ってください。」
看護師は仲里が看護師の手を握ったので奇跡が起こったのに狂喜した。
「看護師さん。仲里を集中治療室に急いで運ぼう。」
「奇跡です。奇跡です。急いで集中治療室に運びましょう。啓四郎さん。手伝ってください。ああ、奇跡だわ。よかったよかった。」

仲里は集中治療室に入れられた。医師と看護師が慌しく駆けつけてきて集中治療室のドアが閉まった。仲里が生き返ったのでほっとした瞬間に啓四郎は疲れがどっと出て来て廊下のソファーにへたり込んだ。今ごろになって仲里が落雷を受けて死んだという恐怖が湧きあがってきた。仲里は心臓が停まり一度は死んだのだ。死んでいる仲里を背負いタクシーに乗り、病院まで運び、そして改めて医師によって死を宣告された仲里を霊安室まで運んでいった。心が落ち着くと「死」という存在を味わった恐怖が湧いてきて集中治療室に入った仲里が再び死の宣告をされるのではないかと啓四郎は心配した。啓四郎はソファーに座り集中治療室のドアが開くのを待っている内に眠気に襲われた。うとうとしていると啓四郎は肩を叩かれた。啓四郎は目を擦りながら起きると目の前に二人の男が立っていた。
「啓四郎だね。」
啓四郎は顔を上げて二人の男を見た。
「お前が連れてきた仲里という男が集中治療室に入っているのか。」
「ああ。」
啓四郎は緊張した。目の前の二人の男は刑事に違いないと直感した。抑揚のない冷静な態度だ。二人が刑事であることは雰囲気で分かる。
「どんな様子だ。」
「停まっていた心臓が動き出した。」
「そうか。」
「集中治療室の男とお前はどういう関係だ。」
「昔からの親友だ。」
二人の男は顔を見合わせた後に、
「運動公園の駐車場で梅さんと呼ばれている男が死んだことは知っているな。その事故について詳しい話を聞きたいから署まで来てくれないか。」
啓四郎は集中治療室に入っている仲里が気になり警察署に行くことを渋った。しかし、刑事は啓四郎が渋ることを許さなかった。
「兼城梅雄の死について是非お前に聞きたいことがある。」
警察は梅さんの死を事故と殺人の両方で調査していて啓四郎達には殺人の容疑が掛けられていた。じょうさん、ぶんさん、たっちゅう、がっぱい、五郎、諸味里、昭光はすでに殺人の疑いで逮捕されていた。啓四郎は仲里の回復具合が気になったが、啓四郎が病院に残ることを刑事が許すはずもなく啓四郎は私服パトカーに乗せられてコザ警察署に連行された。取調室で姓名や年齢、住所、職業などと運動公園で体験したことの簡単な取調べがあり書類手続きをした後に啓四郎は留置場に入れられた。
啓四郎達は別々の留置場に入れられ、翌朝から代わる代わる取り調べ室で梅さん殺害を問い詰められた。梅さんは酔っ払い同士の喧嘩で殺されたと警察は決めつけていた。八人の男の誰が梅さんと喧嘩をしたのか、どのようにして殺害したのか、凶器は何かと八人の男を問い詰めて、自白を強要したが、八人の男は口裏を合わせたように、梅さんは黒装束の大男に放り投げられて死んだと言い張った。作り話にしては男たちの話は一致しており、傷害致死で立件しようとしていた取調べの刑事たちは空想のような男たちの話に困ってしまった。それに検死の結果も傷害致死で立件させるのが困難な内容になっていた。梅さんの死因である頭蓋骨骨折はかなり高い所から転落しないとできないような骨折であり、梅さんの負った傷は人間が加える力以上のものが働いていると判断された。梅さんの死因は高い場所から落下したことによる頭蓋骨と頚椎の骨折による即死であると判断された。しかし、梅さんの落ちた場所は体育館からかなり離れていて体育館の屋根から落ちたものとは考えることはできなかった。梅さんの死因は黒装束の大男に放り投げられたという話と一致していたが、刑事が漫画のような話を信じるわけにはいかなかった。啓四郎達は一週間も留置場に入れられて取り調べられたが、梅さんの死因は原因不明の事故死ということになり、啓四郎たちは釈放された。

 黒装束の大男の出現。梅さんの死。仲里の心臓停止という現実に直面したじょうさんたち仲ノ町公園の酒飲み連中のショックは強烈なものであった。コザ警察署の駐車場に誰となく寄り添うように集まってひそひそと声を潜めて話し合った。
「どうする。」
じょうさんが言うとお互いに顔を見合わせた。七日間の留置場生活で色が白くなりみんな元気がなかった。
「梅さんの実家を知っているか。焼香をしに行きたい。」
と五郎が行った。
「俺は知っている。グシチャーに梅さんの実家はある。初七日も過ぎてしまった。たっちゅうも行くか。」
「あ、ああ。」
たっちゅうは気のない返事をした。五郎と諸味里とがっぱいは梅さんの実家に行くと言ったが、じょうさんとたっちゅうと昭光は消極的だった。
「啓さんは行くかい。」
「今日は遠慮する。明日行くよ。」
啓四郎が明日行くと言ったので全員で明日行くことになった。コザ警察署の庭から出て行く時に軽く言葉を交わして別れたが、意気消沈している彼らは仲ノ町公園や運動公園に集まり酒宴を開く気力はなくなっていた。
 啓四郎はコザ警察署を出て男達と別れると仲里が入院している病院に向かった。仲里が入院している病院はコザ警察署の東方向に徒歩で二十分の場所にあった。
「啓さんはこれからどうするのだ。」
とコザ警察署の門を出る時にじょうさんが聞いた時、
「家に帰ってムショの垢を流すよ。」
と嘘を言った。仲里は大勢で見舞いされるのを嫌がるだろうし啓四郎もじょうさん達仲ノ町グループと一緒に仲里の病院に行きたくなかった。啓四郎はじょうさん達と離れて病院に向かった。病院の受付けに仲里が入院している部屋を聞いた。しかし、入院していると思っていた仲里はすでに退院していた。取り調べの刑事は教えてくれなかったが仲里は病院に担ぎ込まれた翌日には退院していた。余りに早い退院に啓四郎は驚いたが早く退院したということは仲里が負った傷は軽症であるという証拠であったから啓四郎は安堵した。
啓四郎は病院を出ると仲里の家に向かった。仲里の家は病院から徒歩で三十分の宮里という地域にあった。
 啓四郎は大通りから路地に入って仲里の家の門の前に立った。いつも閉まっている門の鉄格子を開け、啓四郎は玄関のホーンを鳴らした。しかし、家の中からはなんの反応もない。啓四郎は玄関を離れ、隣の車庫を覗いた。車庫は空っぽだった。仲里は食事に出かけているようだ。仲里は家で食事は作らない。食事は全て外食をしていた。啓四郎は仲里の家を出て、自分のアパートに帰り仮眠を取った。
午後三時になると啓四郎は仲里の駄菓子屋に出かけた。駄菓子屋ほうれんそうの入り口には小学生がたむろし、小学生を掻き分けて中に入ると店の中は漫画を立ち読みしている小学生、ゲームをやっている小学生、お菓子を物色している小学生でごったがえしていて、クーラーのない店内はむんむんしていた。仲里は店の奥でせっせと小学生にシャーベットを売っている。啓四郎に気付いた仲里は、「よ。」と言って奥のソファーに座るように啓四郎に言い、次々と注文する小学生にシャーベットを売った。啓四郎はシャーベット製造器を設置しているカウンターの中に入り、ソファーに座った。三十分後には嵐のよう賑やかさが過ぎ去り静かになった。
「体は大丈夫か。」
と暇になった仲里に言うと、啓四郎の質問には答えず、
「シャーベットを食うか。」
と聞いた。
「ああ。」
と啓四郎は答え、
「体は大丈夫か。お前、心臓が止まったんだよ。」
と啓四郎が言うと、にこにこしながら啓四郎にシャーベットを渡しながら、
「そうらしいね。医者から聞いたよ。」
と他人事のように言い、シャーベット製造機の汚れを布巾で拭いた。
「体はなんともないのか。」
布巾をシャーベット製造機の側に置き、冷蔵庫からミネラルウォーターの二リットルボトルを出しておいしそうに飲み、
「なんともないどころか、以前より元気になった。」
小さい体で仲里は忙しく動いて散らかった漫画やお菓子を片付けた後時計を見た。
「後三十分したら小学生の二次部隊が来るな。」
と言って啓四郎のカウンターの側にある粗末な木製の椅子に座った。
「なぜ、黒い大男の下敷きになったのだ。」
と啓四郎は聞いた。
「それは 僕が聞きたいよ。小便をして、帰ろうとしたら目の前が真っ暗になった。なにも覚えていない。」
仲里は黒い大男を見ていなかった。仲里が黒いカーペットの下敷きになり、黒いカーペットが黒い大男に変身したことを啓四郎が話すと、あり得ない話だと笑った。
「そんな人間が存在するとしたら、ハエ男のような遺伝子論どころの問題じゃない、量子力学の世界の論理になる。カーペットから人間の形になったというのはおたまじゃくしがカエルになったり虫から蝶々になったりするのとは根本的に違う。カエルや蝶々は遺伝子の形態で説明できるが、自在に形が変わりそれが生き物だとすると量子そのもので構成された生き物ということになる。そんな者は地球上に存在しないよ。」
仲里がこともなげに話す遺伝子とか量子力学は啓四郎の理解の範囲を越えていた。
「だが、俺の話は事実だよ。ていを覆っていた黒いカーペットがすうっと持ち上がったかと思う、急に黒い大男に変身した。現に変身する様を見た俺でさえSF映画のワンシーンを見ていたような気分だ。でもあれはSF映画のワンシーンではなく現実だ。梅さんはあの大男に放り投げられて死んだのだから。」
啓四郎の話を聞いても仲里は信じる様子はなかった。学者出身の仲里は論理に合わないのは一切信じなかった。
「カーペットから人間に変化できる生命体は存在しない。量子力学的には可能ではあるが、意思力を持っている量子物体なぞ存在しているはずがない。」
仲里は啓四郎の話を信じなかった。
「てい。俺はこの目ではっきりと見た。もっと真剣に考えろよ。ていはその怪物に襲われて死に掛けたのだ。それは事実だよ。」
啓四郎の真剣な顔にも、仲里は、
「そうか。」
とにこにこ笑いながら冷たい水を飲むだけだ。啓四郎は仲里と話を続けたかったが、三十分が過ぎると仲里が言ったように小学生がどどっと入ってきた。
「おいちゃん。シャーベットちょうだい。」
「おいちゃん。テレビゲームをやるから百円玉を五十円玉に両替して。」
「おいちゃん。漫画をよんでもいいか。」
「おいちゃん。ポテトのバーベキュー味は置いてあるの。」
次から次へと小学生は仲里に注文をした。仲里は忙しく動き回り啓四郎と話す暇はなくなった。啓四郎はソファーから立ち上がり店を出て行きながら、
「今日、酒を飲むか。」
と言うと、仲里は
「ああ、いいよ。」
と答えた。
「じゃあ、十時に童夢で会おう。」
と言って啓四郎は店の外に出た。

仲里は大学院に進学し、研究員、講師となり、そのまま順調に行けば大学の教授になれる人物であった。しかし、仲里は極端な理科系タイプの人間で、専門の分野に彼の才能は発揮したが、人間としてはまるで子供のように精神が幼かった。大学というところは縦横の人間関係が密接である。仲里は世渡りが下手であった。仲里は九州の大学の研究所でリニアモーターカーの研究をしていたが専門研究とは関係のない、生協組合や共済会の役員等も引き受けさせられた。仲里は大人の世界での欲得の駆け引きは下手であった。要領を知らない仲里に組合組織の仕事は増え、研究と組合の仕事で多忙であった仲里の知らない所で組合の経理に関係する不正が露見した時、その責任は仲里に負わされた。苦手な人間関係に悩んでいる日々を過ごしていた。そんなある日に仲里は字を書こうとしている右手が震え出して止まらなくなった。仲里は神経症のショケイになってしまった。
仲里は父親が死んだ時に大学を離れて妻子と一緒に沖縄に移り住むことを決心した。しかし妻は沖縄での子供の教育に不安を持ち沖縄への移住に難色した。大学の仕事にピリオドを打ちたかった仲里の沖縄に戻る決意は強く、九州に妻子を残したまま仲里は単身で沖縄に帰って来た。仲里は親が遺した三百坪ある屋敷の一角に下駄箱式のアパートを作り、アパートの家賃収入から九州の宮崎に住んでいる妻子に仕送りをやり、「ほうれんそう」という小学校の近くでやっている小さな駄菓子屋の収入を自分の生活費と遊び代に使っていた。

 啓四郎は十時半に仲ノ町の南はずれにあるスナック童夢のドアを開けた。仲里はすでにカウンターに陣取っていた。
「てい、ソファーに座ろうか。」
啓四郎は黒い大男について仲里と詳しく話がしたかった。しかし、仲里は嫌がった。
「カウンターがいい。ソファーだとママさんは相手にしてくれないからな。カウンターで飲もう。」
啓四郎は嫌がる仲里を無理矢理にソファーの方に座らせた。
「ママ、仲里と話があるから俺たちの相手はしなくていいよ。」
と啓四郎が言ったので仲里はまるで子供のようにむくれた。
「てい、本当にお前の体はなんの異常もないのか。」
「ない。元気になりすぎたのが異常と言えば異常かな。」
「体のどこかが痺れるとか体が重たくなるとかないのか。お前は一度は死んだ男だよ。心臓が停止したのだから後遺症があるかも知れない。」
「ないない。繰り返しになるが元気になりすぎたのが異常なことだと言える。もう、ややこしい話は止めて楽しく酒を飲もう。」
酒は楽しく賑やかに飲むものだと仲里は決めていた。学生の頃からそのモットーは同じだ。酒を飲みながら論争するのを好んでいた啓四郎とは対象的でいつもわーわー騒ぐのが仲里だった。啓四郎は仲里の言葉を無視した。
「俺の予想ではていは黒の大男に襲われる寸前にカミナリに打たれたのではないかと思う。直接カミナリに打たれたのはていだったのかそれとも黒い大男だったのかは知らないが、ていが心臓停止したのはカミナリの性だろう。黒い大男がカーペットのようになったのもカミナリに打たれた性だろう。黒い大男はカミナリに打たれた衝撃で人間の形が崩れてしまった。ていはどう思う。」
仲里は啓四郎の話にうんざりしながら、
「ボクはこの通りピンピンしているのだから、もうどうでもいい話だよ。」
「しかし、梅さんは黒の大男に殺された。黒い大男の正体を解明したい。」
「黒い大男が実在したとして、その正体を解明できたとしてだ。なんの意味がある。梅さんの復讐をやるのか。一瞬に梅さんを殺した大男だよ。啓たちが復讐できるはずがない。それとも研究論文を作成して学会に発表でもする積もりか。」
「いや、そんな大それたことなど考えていない。」
「だろう。だったら無駄なことはしない方がいい。残り少ない人生を無駄な時間に使いたくない。楽しく愉快に生きなくちゃあ。」
「ていが研究論文を書けばいいじゃないか。」
仲里は飲んでいる酒が喉に遣えて咳をした。
「冗談は言うな。大学から開放されて楽しい人生を送れるようになったというのに、今さら研究論文なんか書く気はない。」
「世紀の大発見をしたら教授になれるかも知れないぞ。」
仲里は愉快そうに笑った。
「ないない。大学は縦社会だから研究論文で教授になんかなれない。」
「縦社会ではない大学もある筈だよ。」
「日本にはないない。」
仲里は啓四郎の話に乗らなかった。
「とにかく大学の話は止してくれ。あんな封建社会はもうまっぴらだ。人生は楽しく生きた方がいい。」
残り少ない人生を楽しく愉快に生きることが仲里のモットーであった。啓四郎がもう一度大学の研究室に戻りたくはないのかと聞くと仲里は研究だけに没頭できるなら行きたいと答えた。研究以外のことを絶対やらないのなら、研究室を棲家にしてもいいと言って笑った。そして、「もう、そんな大学の話は詰まらないから止めよう。」と言った。大学の話は打ち切りにしてもいいが黒い大男の話は続けたかった啓四郎は
「ていは黒い大男の正体はなんだと思う。」
と仲里に質問したが、
「さあ知らない。それより酒をのんで楽しもうよ。」
と言って酒を飲んだ。
アルコールが体中を回り始めた仲里は啓四郎の話に全然応じなくなった。ソファーからカウンターに移り、ママやひろみにカラオケを歌わせ、啓四郎にもしきりに歌うようにせまり、賑やかに振舞った。啓四郎は仲里と正体不明の黒い大男について話し合うのをあきらめた。啓四郎も酒を飲み歌を歌い、チークダンスを踊っているうちに黒い大男のことは忘れてスナックの酒宴を楽しんだ。

  八月に入り、太陽はじりじりと地上を焦がし、コザの街一帯を覆っているコンクリートに浸入した太陽の輻射熱は蓄積する一方で、太陽のない夜もコンクリートに蓄積された輻射熱が街一帯に放熱して、じとじとした蒸し暑い不愉快な日が続いていた。啓四郎は仲ノ町にある運転代行社の臨時運転手を続けていた。運転代行の給料は安いので長続きする従業員は少ない。欠員が常態化している最近は毎日夜七時から翌朝の五時まで運転代行の仕事をしていた。
 六時にアパートを出て、仲ノ町に行く途中で食堂か喫茶店で食事をするのが啓四郎の習慣となっていた。パークアベニュー通りを横切り、閑散とした裏通りを通っている時に啓四郎はぶんさんを見つけた。ぶんさんは小さな空き地を利用した有料駐車場の角に座り、疲れたように顔を伏せていた。
「ぶんさん。」
啓四郎が声を掛けるとぶんさんはゆっくりと顔を上げた。一ヶ月ぶりに見るぶんさんはやつれて元気がなかった。
「がっぱいやたっちゅうは元気か。」
と啓四郎が聞くと、
「う、うん。元気だよ。・・・元気なんだろうよ。」
と口を濁した。ぶんさんの口からアルコールの臭いがした。
「啓さん。どこに行く。」
「仲ノ町の運転代行社に。その前にゴヤ食堂で飯を食べようと思って歩いていた。」
ぶんさんはふらふらと立ち上がった。
「啓さん。済まないが俺に飯を奢ってくれないか。今日は朝から何も食べていない。飯を食べる金もないんだ。」
と言ってぶんさんはポケットから十円玉五枚と一円玉三枚を出して啓四郎に見せた。ぶんさんのお金は最初に酒代を使われ、次にタバコ代に使われ、最後に飯代に使われる。タバコを買った時にぶんさんのポケットには十円玉五枚と一円玉三枚しか残っていなかった。
「いいよ。」
啓四郎はぶんさんと一緒にゴヤ食堂に向かった。

「啓さん。ビールが欲しい。一本だけ。お願いだ。」
ぶんさんはゴヤ食堂のテーブルに座ると手を合わせて啓四郎にピールを飲ませてくれるように頼んだ。啓四郎は苦笑いしながらぶんさんのおねだりを承知した。ぶんさんは缶ビールを注文し、震える手でフタを開けるとゴクゴクと喉をならして飲んだ。
「ああ、生き返った気分だ。」
冷えたビールと冷えた室内の空気にぶんさんは元気を取り戻した。
「がっぱいは二週間前に死んだよ。酔っ払って美浜の海に落ちてね。突堤で飲んだのだろうな。酔っ払って海に転落したらお終いだよ。」
「ぶんさんと一緒に飲んでいたのじゃなかったのか。」
「いや。飲んでいない。私はあれ依頼仲ノ町公園に行かなかったから。」
運動公園の事件でコザ警察署に留置場に入れられ、留置場から出てからぶんさんはがっぱいとは会っていなかった。ぶんさんは運動公園の事件のショックでアパートに引きこもり、公園の連中とはがっぱいだけでなく他の連中とも会っていなかった。
「奥間巡査が俺のアパートに来てね。がっぱいが死んだががっぱいの実家を知らないかと聞いた。俺は知らないががっぱいとたっちゅうとは同郷だと聞いていたから、たっちゅうのアパートに連れて行ったよ。がっぱいとたっちゅうは時々一緒に飲んでいたががっぱいが死んだ日は一緒に飲んでいなかったらしい。その時はたっちゅうはベンキ塗りの仕事があって一週間近くがっぱいに会っていなかったという話だった。恐らく、がっぱいはひとりで飲んでいたのじゃないか。それにしても、どうしてあんなに遠い美浜の浜で飲んだのかな。最近は仲ノ町公園に集まる連中も減ってきたから、ひとりで美浜の浜で飲んでいたかも知れない。」
梅さんが殺されてからは仲ノ町公園に集まる人間はめっきり減り、酒宴はほとんどやらなくなっていた。
「梅さんもがっぱいも死んで、飲み仲間が居なくなってさびしいよ。」
ぶんさんはテーブルのフーチャンプルーに箸をつけようともしないで溜息をついた。痩せたぶんさんは一ヶ月足らずで十年も老いたように感じられる。啓四郎は孤独で意気消沈しているぶんさんを励ましてやりたくなった。
「ぶんさん。今夜は俺と飲むか。」
ぶんさんは啓四郎に誘われてびっくりした。
「俺の馴染みのスナックに行こう。」
「啓さんはこれから仕事ではなかったか。」
「仕事は断るよ。」
啓四郎は電話をして、急用ができたから、今日の仕事はキャンセルすると伝え、社長が文句を言う前に電話を切った。啓四郎の携帯電話には直ぐに折り返しの電話が掛かってきたが、啓四郎は携帯電話のスイッチを切った。スナック夢に着いた時、啓四郎は仲里に電話をした。いつものように仲里は電話を取らなかった。仲里は携帯電話を持っているが掛かってきた電話は絶対に取らない。自宅の黒電話も同じように取らない。啓四郎はそのような仲里に戸惑ったが、最近は仲里がショケイという神経症の影響だろうと考えるようにしている。仲里が携帯電話を持っている理由はひとつだった。九州に居る妻と東京の大学に通っている長男と横浜の大学に通っている長女からの緊急電話にいつでも出れるように携帯電話をいつも持っている。仲里は啓四郎や親しい知人やスナックからの電話は一切取らなかった。
過去に仲里のアパートを借りたいという人を紹介しようと仲里に電話したら仲里は電話を取らなかった。数回電話をしたが仲里は電話を取らなかったので啓四郎は仲里に電話するのを止めた。ところがその夜、仲里は啓四郎が仲ノ町のスナックに誘ったと勘違いして啓四郎を探して仲ノ町のスナックを朝まではしごして回ってダウンしたことがあった。啓四郎は苦笑した。その時から、啓四郎は仲ノ町で酒を飲む以外は仲里に電話をしないようにしている。

 ぶんさんはカウンターに座ることを拒否して、テーブルの方に移動した。ぶんさんは女性と話をするのが苦手だった。ソファーに座りあわもりを飲み、啓四郎と話しているうちにぶんさんに血の気が戻り、口も滑らかになってきた。ぶんさんはがっぱいの葬式にたっちゅうと一緒に参列した話を始めた。がっぱいは南風原村の農家の三男坊であったらしい。
「がっぱいの葬式に若いアメリカ人がひとり参列していた。身長は百七十センチそこそこの青い目のアメリカ人だった。じょうさんから運動公園で黒の大男とアメリカ人が戦っていたという話を聞いていたし黒い大男に梅さんが殺されたこともあったから俺はアメリカ人が気になった。たっちゅうに聞くとがっぱいにはアメリカ人の友人は居ないと言うし、俺は黒い大男に関係のあるアメリカ人じゃないかとがっぱいに言った。がっぱいは軍作業をしていたから、その時に知り合ったアメリカ人かも知れない、そうでなければ受付けの人と談笑していたから、がっぱいの親戚の知り合いかも知れないとたっちゅうはそのアメリカ人を気にしていなかった。たっちゅうに俺は神経質になっていると言われたよ。」
「ぶんさんはそのアメリカ人に見覚えがあったのか。例えば、仲ノ町の公園に来ていたとか。」
ぶんさんは首を振った。
「色んなアメリカ人が仲ノ町公園には来て一緒に酒を飲んだからその中の一人に居たかも知れない。でも、見覚えはなかった。しかし
、アメリカ人がたったひとりでがっぱいの葬式に参列したのは変だよ。アメリカ人ひとりだったから完全に浮いた存在だったが、そのアメリカ人は回りを気にする様子は全然なかったし、堂々としていた。アメリカ人というのは日本人だけが居る場所ではけっこう回りの人にお辞儀をしたり愛想笑いをするのだが、あのアメリカ人はまっすぐぴんと立って祭壇を見詰めていた。それにな。」
ぶんさんは啓四郎に顔近づけて低い声で言った。
「どうも、あのアメリカ人に凝視されているような気がしてならなかった。」
「凝視されていたのか。」
「い、いや。ちょくちょくアメリカ人を見たが、アメリカ人は俺やたっちゅうを見てはいなかった。でも、なんとなくな。」
どうやら、ぶんさんはたっちゅうの言うように神経質になっていたのだろうと啓四郎は思った。ぶんさんはアルコール中毒である。思い込みや被害妄想が強くなっているのかも知れない。

 スナックのドアが開いて仲里が顔を覗かせた。
「あーら仲里さん。いらっしゃい。」
「啓は来ているか。」
仲里は奥のソファーに座っている啓四郎を見つけるとにこにこしながらやって来た。仲里が啓四郎の側に座るとミーがコップを持ってきて戸惑うぶんさんの側に座った。仲里がスナックに来てから雰囲気は一変した。仲里はスナックのミーやヒロにカラオケを歌わせると店は賑やかになった。仲里はぶんさんに酒を進め、自分もどんどん酒を飲んであっという間に酔っ払った。ぶんさんも仲里の調子に乗せられて明るくなりカラオケでラバウル小唄などを唄った。三人は明け方までどんちゃん騒ぎをした。

 一週間後にぶんさんから電話があった。久しぶりに仲ノ町公園に集まっているから来いという電話であった。運転代行の仕事がなかったので啓四郎は夜の十時頃に仲ノ町公園に行った。ぶんさん、たっちゅう、五郎、諸味里、昭光によしさんとロンさんが久し振りに顔を出していた。じょうさんが居ない。
「じょうさんが居ないが。」
と啓四郎が言うと隣のたっちゅうが、
「じょうさんは実家に帰った。梅さんが死んでコザ市に居るのが怖くなったのだろう。」
と言いながら啓四郎のコップに酒を注いだ。酒を飲み、酔いが回ると運動公園で見た黒い大男の話になった。よしさんとロンさんが大男の存在を信じないのでぶんさんや五郎はむきになった。
「カーペットが人間になったのか。あり得ない話だ。みんなで夢を見たのじゃないか。」
ロンさんがカーペットは黒い大男でなく、黒い大男が毛布を被って寝ていたのでなかっただろうかと言い、話がややこしくなっていった。いや、あれは毛布ではなく黒い大男が変形したものだとたっちゅうは主張した。カーペットの正体をめぐって賑わっている時にアメリカ人がやって来た。仲ノ町飲食街はカデナアメリカ空軍基地に隣接しているのでペーデーには若いアメリカ兵がどっと仲ノ町に繰り出す。酔って陽気なアメリカ兵が仲ノ町公園で飲んでいる沖縄庶民の輪に入ってくるのは珍しいことではない。公園の酔いどれたちもアメリカ人が酒宴に参加するのに慣れているし、酒宴の輪に入って来たアメリカ人に紙コップにあわもりを注いで飲ませたりした。
アメリカ人は「コンバンワー。」と覚えたての日本語を話して酒宴の輪に参加した。そして、英語で話したが、誰も英語を知らないので若いアメリカ人がなにを話しているか分かっていなかった。分かってはいなかったが、たっちゅうは「オーケーオーケー。」とか「エースエース。」と無責任な相槌を打って、アメリカ人にストレートのあわもりを飲ませた。アメリカ人はあわもりの辛さに驚いて吐き出した。その様子を見て他の連中は笑った。
「図体は大きいくせに酒も飲めないなんて、だらしがないぞ。」
と五郎は優越感にひたった。アメリカ人の参加を歓迎し、座は盛り上ったが、ぶんさんだけはアメリカ人が来た途端に黙った。黙って酒を飲み、時々、アメリカ人を疑いの目で睨んだ。
 啓四郎は小便がしたくなって立ち上がった。するとぶんさんは啓四郎の行動に敏感に反応して立ち上がった。
「啓さん。どこに行くのか。」
「小便がしたくなった。モモに言って小便をして来るよ。」
公園で酒座の連中は近くの公園のトイレで用を足すのだが、啓四郎は近くにあるスナックのトイレを利用していた。薄暗い公園で男だけで飲んでいると気分転換にスナックで女を相手にビールを飲みたくなる。トイレで用を足し、スナックでビール一本を飲んでから仲ノ町公園の酒の座に戻るのが啓四郎の癖になっていた。
「俺も行く。」
ぶんさんは啓四郎に付いて来た。啓四郎はアメリカ人が来た途端に黙り込んだことが気になっていた。
「アメリカ人に見覚えがあるのか。ひょっとして、がっぱいの葬式に来たアメリカ人なのか。」
「いや、がっぱいの葬式に来たアメリカ人ではなかった。しかし、気になる。アメリカ人に見張られているような気がしてならないのだ。公園の外に三人のアメリカ人が居ただろう。あの連中は俺たちを見張っているに違いない。俺たちの酒の座に参加したアメリカ人は日本語が使えるのに使えない振りをしていると思う。」
啓四郎はスナックモモに行き、用を足した後、ぶんさんとスナックでビールを飲んだ。二十分程でビール一本を飲んで仲ノ町公園に帰ろうとしたらぶんさんが仲ノ町公園に行くのを嫌がった。啓四郎は仕方なくビールを注文した。一時間程経過したので、仲ノ町公園のアメリカ人は退散しただろうと嫌がるぶんさんを説得して啓四郎は仲ノ町公園戻った。
「アメリカ人はまだ居る。」
啓四郎の後ろを歩いていたぶんさんは啓四郎の袖を引っ張って仲ノ町公園に戻ることを拒んだ。言葉が通じないと分かった時、アメリカ人は仲ノ町の酒宴の座から去っていくのが普通である。せいぜい十分、長くても三十分も立てばアメリカ人は去っていく。一時間も居座るアメリカ人はほとんど居ない。ぶんさんの話を鵜呑みにはできないが、アメリカ人が一時間も酒宴に参加していることはぶんさんの話を全てぶんさんの妄想とは言えないかも知れないと啓四郎は思った。

「遅いじゃないか。東京まで小便しに行ったのか。」
たっちゅうが皮肉を言って笑った。
「スナックモモに美人が居たものだからビールを飲んできた。」
啓四郎は酒宴の車座に戻ったが、ぶんさんはアメリカ人を睨んだままつっ立っていた。ぶんさんに睨まれたのでアメリカ人は気まずくなり「さよなら。」と言って去った。ぶんさんは公園を出たアメリカ人が姿が見えなくなるまで見続けた。アメリカ人の姿が見えなくなって暫くすると酒宴の輪の中に入った。
 男達は酔い。酒宴は賑やかになった頃に、公園の側に一台のパトカーが停まった。
「いけねえ。パトカーが来たぞ。」
公園の酒宴はパトカーが来た時がお開きタイムになる。紙コップに入っている酒を芝生の上に撒き、酒瓶や抓みの入った袋等をビニール袋に入れて仲ノ町公園に集まっていた男達は三々五々に散っていった。

 二日後に諸味里が死んだ。諸味里は無類の釣り好きで、車には釣り道具を常備していて、仕事が終わった後はよく釣りをしていた。
諸味里は道路の補修工事の仕事をしていた。沖縄の至る場所で仕事をやり、仕事が終わると工事現場近くにある好釣り場の情報を釣り情報誌等から仕入れて釣りに行った。その日は島の北部にある宜名真で夜釣りをした。その釣り場はガーラの大物が釣れる好釣り場ではあったが断崖絶壁の危険な場所であった。諸味里はその場所で数年前に三十キロのガーラを釣ったことがあった。諸味里が死んだ三日後に仲ノ町の運転代行事務所にぶんさんから啓四郎への伝言があった。諸味里と無二の親友である昭光が呼びかけて、諸味里の追悼会をやるから仲ノ町公園に来るようにという伝言であった。啓四郎は「啓さんは休みたい時にいつでも休めていいね。」という事務員の皮肉を背にして仲ノ町公園に行った。
 啓四郎が着いた時に昭光はすでに酔っていた。公園に居たのは昭光と五郎、ぶんさんの三人だけだった。
「だから俺は何度も注意したんだ。危険な崖からの釣りは止めろと。あいつは今までに三度も崖から落ちて死に目に会っていたんだ。あいつは海に引き摺られる危険な状態になっても絶対に釣竿を話さないんだ。それで三度も死に掛けたのに、その性癖は直らなかった。きっと五十キロのガーラでも引っ掛けたのだろう。それで海に引きずり込まれたのだ。バカだよ、あいつは。」
「釣りバカ冥利というものじゃないか。大物を釣っている最中に死んだのだから、幸せかもよ。俺たちなんか酒のんで野垂れ死にするがせいぜいだ。」
と五郎が言うと昭光は怒った。
「がっぱいやお前と一緒にするなよ。あいつは仕事はやっているし、妻や子供も居たんだ。子供はまだ小学生だ。あいつはバカだ。アホだ。」
その時、ひとりのアメリカ人が公園に入ってきた。
「こんばんは。飲んでいますか。」
アメリカ人が近寄って来たのでぶんさんの体が強張った。
「おー、カムカム。今日は俺の友人の弔いの宴だ。アメリカ人でもフィリピン人でも中国人でもインド人でも歓迎だ。人類みな兄弟だ。さあ、飲め飲め。」
昭光はアメリカ人に紙コップを渡し、酒を注いだ。
「おー。」
とアメリカ人は顔をしかめながら酒を飲み、あわもりの強烈さに驚いて英語をまくし立てた。ぶんさん以外の男たちはアメリカ人の無様な行為に大笑いした。
「啓さーん。」
と遠くの方で女の声がした。聞き覚えのない女の声だった。女の言葉は中国訛りがある。声のする方を見るとチャイナ服を着けた女がたっちゅうと一緒に仲ノ町飲食街の方から歩いてくる。
「私、チャン・ミーと言います。」
たっちゅうが連れてきた女性は台湾から来ていた。
「私、日本を勉強しにきました。私のお父さんは台湾で商売している。私は日本で商売やりたい。よろしく。」
チャン・ミーは上品な顔だちの台湾美人だった。たっちゅうは美人と一緒なので上機嫌だった。仲ノ町公園の宴もチャン・ミーが参加して一変に華やかになった。
「ぶんさんよ。例の黒い大男の話をミーちゃんに話してやれ。」

 たっちゅうは二十年も馴染みにしている仲ノ町飲食街にあるみちずれというスナックで酔うといつもコザシティー運動公園には黒い大男が住んでいる。黒い大男の映像を撮って大もうけするのだと吹聴していた。スナックみちずれの新人であるチャン・ミーはたっちゅうの話に興味を持ち、黒い大男の話をもっと聞きたいとたっちゅうにせがんでいた。たっちゅうは今日は死んだ諸味里の追悼飲み会があり仲ノ町公園に他の連中が集まるから黒い大男を見た他の連中に合わせてやると言って仲ノ町公園にチャン・ミーを連れて来た。たっちゅうはぶんさんの隣にチャン・ミーを座らせた。筋道を立てて話すのが苦手なたっちゅうはぶんさんに黒い大男の話をしてくれるように頼んだ。チャン・ミーはぶんさんに「お願いします。」と言ってにっこりと笑った。美人が隣に座ったのでぶんさんは心が浮き浮きしてきた。アメリカ人に対する警戒も薄れて、ぶんさんはじょうさんが初めて大男を見た時の話から黒い大男に梅さんが放り投げられて殺されるまでのことを話した。ぶんさんは運動公園で黒い大男とアメリカ人が争っていたのを見たじょうさんの話をまるで自分が体験したように得意になって話した。男たちは元気になり、酔った勢いで黒い大男をビデオに撮って大儲けをするのだとはりきった。とびっきり美人のチャン・ミーが参加したので男達の心は浮き足立ち酒宴はますます賑わった。

 しかし、酔いが覚めれば現実に引き戻される。梅さんの死、たっちゅうの死、諸味里の死は残された者たちの心に重たくのしかかり、諸味里の追悼の酒宴が終わると仲ノ町公園に集まって酒を飲もうと呼びかける者は居なかった。じょうさんは実家に帰ったままであるし、ぶんさんはアメリカ人を怖がって仲ノ町公園に来なくなったし、たっちゅうや昭光はたまに仲ノ町公園を覗いても、誰もいないので黙って引き返した。

 燦々と輝いている太陽は厚い雲に覆われ、風が強くなってきた。台風が沖縄近海に接近してきていた。啓四郎は運転代行事務所に行く途中で食堂に入った。注文したゴーヤーチャンプルーが来るのを待ちながら夕刊を読んでいたらたっちゅうらしき人物の死亡記事が載っていた。新聞記事によると中村忠雄四十七歳が那覇の前島の海岸で水死していたのを朝の散歩をしていた老夫婦が発見したと書いてあった。中村忠雄というのはたっちゅうの本名だ。名前と年齢がたっちゅうと同じだから、たっちゅうである確立は高い。同姓同名で年齢も同じ人物はなかなか居るものではない。新聞記事は中村忠雄の血液から高い濃度のアルコールが検出されたことから酔って海に転落して水死したのだろうと結論づけていた。酒飲みのたっちゅうだから記事のように酔って海に落ちて水死することはあり得ることだが、なぜたっちゅうが遠い那覇の前島まで行ったのか疑問が残る。それに梅さんは事故死だったが、がっぱいの死、諸味里の死に続いてたたっちゅうが死んだということは偶然にしては余りにも連続的な死である。がっぱい、諸味里、たっちゅうは殺されたのかも知れないという疑問が啓四郎にふっと沸いてきた。しかし、その疑問は直ぐに打ち消された。三人が殺される理由がない。啓四郎は自問自答しながら運転代行の仕事をした。
 
 午前0時、啓四郎の携帯電話が鳴った。
「もしもし。啓四郎だ。」
「啓さん。プラザハウスに行ってくれ。ロイ・ハワードというアメリカ人から運転代行の依頼があった。」
「ふうん、アメリカ人か。」
プラザハウスはコザの南にあるショッピングモールである。啓四郎は車を運転している相棒の祐樹にプラザハウスに行くように指示した。プラザハウスの駐車場に車を入れるとアメリカ人が啓四郎の車に手を振った。三十前後の金髪のアメリカ人に啓四郎は見覚えがあった。仲ノ町公園の酒宴に参加したことがあるアメリカ人のひとりのような気がするがはっきりとした記憶はなかった。客のアメリカ人はロイ・ハワードと自己紹介をした。ロイ・ハワードはかなり酔っていた。足はもつれ、ウイスキーの甘い息を吐いて啓四郎や相棒の祐樹に抱き付いた。ロイ・ハワードは自分の家に案内できるかどうか啓四郎は心配した。
「君の家はどこか。」
と啓四郎は片言英語でロイ・ハワードに聞くと「直ぐそこ。直ぐそこ。」とハワードは日本語で答えた。
ハワードの車を啓四郎が運転してプラザハウスの駐車場を出た。ロイ・ハワードが自分の家は直ぐそこだと言ったのでロイ・ハワードの目的地はコザ市の外人住宅街の一角かズケランやカデナ飛行場あたりだと啓四郎は予想した。ロイ・ハワードは目的地を言わないで手で道案内をした。啓四郎の運転する車はコザ市街を過ぎ、カデナ飛行場も過ぎ、コザ市も通り過ぎた。ホワイトビーチは勝連半島の先端にありかなり遠い。しかし、ロイ・ハワードの指示は勝連半島方向ではなく石川方向であった。キャンプコートニーかキャンプクワエかと予想したが、車は石川市も過ぎた。金武のキャンプハンセンに行くのか。啓四郎は不安になった。がっぱいと諸味里とたっちゅうの不可解な死が頭をよぎった。車はキャンプハンセンを過ぎて人家の少ない山の方へ向かった。啓四郎の不安はますます増大した。ロイ・ハワードは携帯電話を取り出して電話をした。
「ディスイズスペンサー。・・・・・・・・・。」
私はスペンサーだとアメリカ人は言った。日常会話ができなくてもそのくらいの英語は啓四郎にも分かる。それに「エンジェルトゥー。」という言葉が数回出た。直訳すれば天使二人という意味だが、こんな遅い時間にしかも車から掛ける電話の会話とすれば不自然だ。エンゼルは隠語であり啓四郎と祐樹がエンゼルであり捕獲する二人をエンゼルと呼称しているかも知れない。車の行き先には頑強なアメリカ人が待機していて、啓四郎たちを捕まえようとしているのではないか。啓四郎は身の危険を感じた。それにへべれけに酔っていると思われたロイ・ハワードだが電話をしているロイ・ハワードの声は酔っているようには思われなかった。ロイ・ハワードはウィスキーを口に含ませて酔っている振りをしていたかも知れない。なにか変だ。目的地には危険が待っている予感がした。啓四郎は携帯電話を取り、
「マイフレンドゥ、テレフォン、オーケー。」
私の友、電話、いいかと英単語を並べた。このようなブロークン英語でもなんとか通じる。ロイ・ハワードは「ああ、いいよ。」と承諾するような仕草をした。啓四郎は後続車の祐樹に電話をした。
「ワンヤ啓四郎ヤシガ、ヤーヤウチナーグチワカイミ。」(俺は啓四郎だがお前は沖縄方言を理解できるか。)
:啓四郎は沖縄方言で祐樹に話した。ロイ・ハワードが日本語を知っている可能性があるからだ。案の定、ロイ・ハワードは啓四郎の言葉を聞いて不可思議そうな顔をした。ロイ・ハワードは日本語を知っていると啓四郎は確信した。
「ウチナーグチヤユーワカイン。」(沖縄方言はよく分かる。)
と祐樹が返事をしたので啓四郎はほっとした。若い人間で沖縄方言を知らない者も少なくないからだ。
「ユーチキヨー。(よく聞けよ。) ウヌアミリカーヤウカサン。(このアメリカ人は変だ。) ワッターカチミールチムイヤガワカラン。(俺たちを捕らえる計画かも知れない。) ワンヤクヌ車カラ下リティ、ヤー車ンカイヌイグトゥ。イスジヒンギラ。(俺はこの車を下りてお前の車に乗るから、急いで逃げよう。)
啓四郎の沖縄方言は祐樹にも理解できたようだ。
「ワカタン。(分かった。)」
と祐樹は答えた。啓四郎は携帯電話を納めると、下腹を押さえて、小便をしたいことをロイ・ハワードに訴えた。
「オオ、漏れそう。ストップオーケー。」
今にも小便が漏れそうである様子にロイ・ハワードは苦笑いしながら頷いた。啓四郎は車を停めるとエンジンを停め、急いで車から出て、車のキーを放り投げると後ろに停まっている祐樹の車に乗った。
「急いでユーターンをしてくれ。逃げるんだ。」
血相を変えた啓四郎に祐樹は戸惑いながらも、車をユーターンさせてスピードを上げた。
「どうしたのですか。」
啓四郎は振り返ってロイ・ハワードの車を見た。車は停まったままどんどん距離が広がり闇の中に見えなくなった。啓四郎はほっとした。
「アメリカ人の様子が変だった。」
「頭がおかしいということですか。」
「まあ、そんなところだ。今日はこれで仕事を打ち切る。俺のアパートに行ってくれ。」
啓四郎が仕事をしないということは相棒の祐樹も仕事を続けることができないということになる。「もう、啓さんは自分勝手なのだからと。」と啓四郎に不満を言いながら祐樹は啓四郎のアパートに向かった。啓四郎はアパートに到着すると、部屋には戻らず自分の車に乗って仲里の家に向かった。
 仲里の家に来た時は午前二時を過ぎていた。門を潜って啓四郎は玄関に向かった。仲里の家は全ての電気は消えている。啓四郎はプッシュホーンを押して、玄関を離れて二階の部屋を見た。仲里は二階で寝る。仲里が玄関のプッシュホーンの音に気付いたなら二階の電気が点くはずだ。電気が点かないので再びプッシュホーンを押そうとした時二階の電気が点いた。
「啓四郎だ。開けてくれ。」
仲里が玄関についた頃に啓四郎は声を出して、啓四郎であることを伝えた。玄関の扉が開き眠そうな顔をした仲里が顔を覗かせた。
「こんなに遅く、どうしたんだ。これから飲みに行くのか。」
仲里は啓四郎の顔を見れば飲むことしか頭に浮かばない。
「いや、飲むどころの話ではない。中に入れてくれ。」
啓四郎は仲里の家に入った。
「ロイ・ハワードというアメリカ人を覚えているか。」
「仲ノ町公園で酒を飲んだ時に一緒に飲んだことがあるアメリカ人の一人だよ。」
仲里は暗記力が抜群にあり、一度聞いたことや見たことは些細なことでもほとんど記憶していた。啓四郎はロイ・ハワードの様子がおかしいので逃げてきたことを仲里に話した。
「運転代行の事務所に聞いたら、俺の名前を指定したらしい。俺を指定したということは俺を捕まえるのが目的だったのだ。」
仲里は首を傾げて啓四郎の推理に疑問がある仕草をした。
「アメリカ人がなぜお前を捕まえる必要があるのか理解できない。黒い大男を見たということだけで捕まえたり殺したりはする筈がない。」
仲里はがっぱいや諸味里やたっちゅうの不慮の死に神経質になり被害妄想が高じた性だといい、啓四郎の思い違いだと言った。明け方まで啓四郎は仲里と話し合ったが仲里は啓四郎の話には半信半疑だった。

 翌日から啓四郎はぶんさんを探した。仲里の言うようにロイ・ハワードが啓四郎を捕まえようとしたのは啓四郎の勘違いである可能性もあるが、本当に啓四郎を捕まえようとしていた可能性もある。もし、啓四郎を捕まえようとしていたのなら、ぶんさんも捕まえるはずである。ぶんさんに用心するように啓四郎は伝える積もりだった。しかし、ぶんさんを見つけることができなかった。仲ノ町界隈からゴヤ市一帯のぶんさんが居そうな場所を探したが、三日経ってもぶんさんの姿を見つけることはできなかった。啓四郎はぶんさんの身に何かが起こったかも知れないという不安に駆られた。昭光ならぶんさんのアパートを知っているかも知れないと考え、啓四郎は昭光の会社に行った。昭光は高安建設会社という中堅の建設会社で五年近く働いていた。コザ市に隣接している中城村の一面にさとうきび畑が広がる一角に昭光が働いている高安建設会社があった。パネルや組み立て台などが放置されている広場を過ぎ、プレハブの事務所の前に啓四郎は車を停めた。事務所の中には中年の事務員がひとり、領収書の仕分けをしながらパソコンのキーを叩いていた。
 啓四郎はドアをコンコンと叩いて中に入った。見知らぬ男の登場に中年の小太りの女は椅子から立つと怪しい者でも見るように啓四郎をジロジロ見た。
「昭光に会いたいが。」
中年の事務員は啓四郎をジロジロ見ていたが、昭光という言葉が啓四郎の口から出たので緊張が解けた。
「ああ、昭ちゃんね。」
事務員は壁の棚から昭光の出勤表を取り出した。
「昭ちゃんは一昨日から来ていないのよ。あんた、昭ちゃんの友達なの。」
「まあ、そんなところだけど。昭光が一昨日から来ていないというのは本当か。」
「本当よ。ほら。」
と言って出勤表を啓四郎に見せた。
「最近は真面目になって働いていて三日も続けて休むなんてことはなかったわ。あんた、昭ちゃんの友達なら昭ちゃんを見つけて仕事に出るように言ってやって。明日来ないと首にすると社長は言っていたわ。」
啓四郎は出勤表を事務員に返して事務所を出た。ぶんさんと昭光が消えた。きっと啓四郎を捕らえようとしたアメリカ人に捕まったのだろう。それとも、啓四郎と同じように怪しいアメリカ人の存在に気付いたのでアメリカ人に捕まらないようにどこかの隠れ場所に隠れている可能性もある。啓四郎は本格的にぶんさんと昭光を探すことにした。
 ぶんさんの行方の手掛かりが以外な所で掴めた。仲里の駄菓子屋に行き、これまでのいきさつを仲里に話して、ぶんさんを探すのを手伝ってくれるように頼んだ時、
「誰かぶんさんを見なかったか。」
仲里は小学生に聞いた。ぶんさんは昼から酔っ払ってコザの街を徘徊しているので小学生にも酔っ払い老人として有名な存在であるらしい。
「ぼく見たよ。」
太った眼鏡の子供が仲里に答えた。
「先週の木曜日の夕方。沖縄子供の国公園の近くを女と歩いていたよ。」
先週の木曜日は五日前である。五日前にぶんさんが女と一緒に歩いていたというのは以外なことだった。子供の説明では女はチャイナ服を着けていたという。チャイナ服を着けていると言えばチャン・ミーが頭に浮かぶ。しかし、チャン・ミーと面識があるのはたっちゅうであってチャン・ミーがぶんさんと一緒に歩いていたとは信じられなかった。
「女と歩いていたのは本当にぶんさんだったのか。」
と啓四郎が聞くと、
「本当だよ。」
と小学生は自信有りげに言った。
となるとチャン・ミーと歩いていたのは小学生のいう通りぶんさんだということになる。小学生は昨日の夕方にぶんさんを見たということはぶんさんはまだアメリカ人にさらわれていないのかも知れない。とにかくチャン・ミーに会わなければならない。チャン・ミーに会ってぶんさんの様子とぶんさんがどこに居るかを聞く必要がある。
「今夜はチャン・ミーのいるスナックに行こうか。」
「おお、いいねえ。」
仲里はうれしそうに目を輝かせた。
 啓四郎は仲里の店を出て、ぶんさん、昭光を見かけた人間を探したが誰ひとりとしてこの最近二人を見かけた人間は一人も居なかった。ぶんさんたちはアメリカ人にさらわれたのかそれとも啓四郎が見つけることができないだけのことなのか。啓四郎は五分五分の気持ちだった。

 啓四郎がチャン・ミーの居るスナックに入るとすでに仲里はチャン・ミーと一緒にソファーに座っていた。
「こんばんは啓さん。」
チャイナ服のチャン・ミーは中国訛りの日本語で啓四郎に挨拶をしてお絞りを出した。美人で若い女が側に座っているので仲里は機嫌がよかった。啓四郎はぶんさんのことをチャン・ミーに聞いた。
「先週の木曜日の夕方。チャン・ミーはぶんさんと一緒だったという噂を聞いたが。なぜチャ・ミーはぶんさんと一緒だつたのか。」
「ぶんさんという人を私は知らない。会ったことはないわ。」
チャン・ミーはぶんさんと一緒にいたことを笑いながら否定した。こともなげにチャン・ミーがぶんさんと一緒だったことを否定したので啓四郎は面食らってしまった。
「チャン・ミーとぶんさんが沖縄子供の国公園の近くを歩いていたのを見た人間が居るんだ。正直に言ってくれ。俺はぶんさんを探している。ぶんさんがどこに行ったか知っているなら教えてくれ。」
啓四郎がしつこく聞いたのでチャン・ミーはふくれた。
「私は知らない。啓四郎さんが私を苛めている。仲里さん助けて。」
チャン・ミーは仲里に体を摺り寄せて甘えた声で仲里に助けを頼んだ。仲里はチャン・ミーに甘えた声で頼まれてすっかり有頂天になった。
「小学生の言うきことを信用するのはおかしいよ。」
「え、啓四郎さんが私とぶんさんが一緒で居たのを見たと言ったのは小学生なの。」
「そうだよ。啓四郎は小学生の言ったことを鵜呑みにしているのだ。そうだろう啓四郎。」
仲里が情報源が小学生であることをばらしたので啓四郎はこれ以上チャン・ミーを追求することができなくなった。啓四郎は仲里と一緒にチャン・ミーのスナックに来たことを後悔した。
「啓。詰まらない話は止めろ。僕達がこんなに美人と一緒に酒を飲めるチャンスは滅多にない。酒を飲め。チャン・ミーに逃げられないためにはどんどん酒を飲むことだ。啓、酒をどんどん飲め。」
啓四郎はチャン・ミーにぶんさんのことを聞くのは諦めて酒を飲んだ。暫くすると銀行員のグループが来てチャン・ミーは銀行員グループに奪われてしまった。チャン・ミーの変わりにルミちゃんが来た。仲里はチャン・ミーが去ってルミちゃんが側に座るとチャン・ミーのことは忘れてルミちゃんを美人と誉めて酒を飲み陽気に騒いだ。チャン・ミーが去ってしまったので啓四郎は帰ることにした。仲里は帰るのを嫌がったが無理矢理仲里を連れてスナックを出た。啓四郎はスナックを出る前にこっそりとスナックの壁に貼られているチャン・ミーの写真を剥ぎ取った。
翌日にぶんさんとチャン・ミーを見たという小学生にチャン・ミーの写真を見せたら、小学生はぶんさんと一緒に歩いていた女性はチャン・ミーに似ていると言った。その夜、啓四郎は仲里には内緒に一人でチャン・ミーのいるスナックに行った。しかし、チャン・ミーは閉店になるまで現れなかった。翌日もスナックに行ったがチャン・ミーは現れなかった。チャン・ミーはスナックに来なくなったのでぶんさん、昭光の消息の手掛かりは無くなった。
 チャン・ミーはママの知り合いではなかった。一ヶ月前にスナックに入ってきて、私は台湾から来て、専門学校に通っているが学費や生活費が実家からの仕送りだけでは少ないのでスナックで雇ってくれないかとママに泣きついてきた。美人で日本語が堪能な中国人なら店の客も増えるだろうとママはすぐにオーケーをした。チャン・ミーは台湾の貿易会社のサラリーマンの子供であるとママには言っていたらしい。ママはチャン・ミーの身分証明書や家族の写真は見たこともなく、チャン・ミーという名前が本名であるかどうかも分からなかった。
 なぜ、チャン・ミーはぶんさんと一緒に歩いていたのか。がっぱいや諸味里、たっちゅうの死とチャン・ミーは関係しているのだろうか。しかし、黒い大男と揉めていたのはアメリカ人であり啓四郎を誘拐しようとしていたのはロイ・ハワードというアメリカ人である。チャン・ミーは台湾の人間であってアメリカ人ではない。アメリカ人グループとチャン・ミーはどのような関係なのだろうか。もしかするとチャン・ミーはアメリカ国籍の台湾人なのだろうか。啓四郎は色々推理した。諸味里やがっぱいやたっちゅうは事故死かも知れないが黒い大男と遭遇したということが原因で殺された可能性もある、ぶんさんと昭光にしても同じだ。なんらかの個人的な事情で他所に行っているだけかも知れない。しかし、ロイ・ハワードの組織に誘拐されたのかも知れない。諸味里やがっぱいやたっちゅうが死に、ぶんさんと昭光が行方不明であるのは偶然が重なり過ぎる。黒い大男を見て黒い大男の噂を広めたことに関係がないとは思えない。
もしかしたら、黒い大男の噂が広がるのを阻止するために諸味里とがっぱいは殺され、啓四郎は誘拐されそうになり、たっちゅうも殺され、ぶんさんと昭光は誘拐されたのだろうか。こんなに偶然が重なると偶然の事故とは思えなくなる。それ程に黒い大男はアメリカ軍にとって重要な存在なのだろうか。しかし、黒い大男の噂が広がるのを阻止するために黒い大男を見た全ての人間を抹殺するというのはやりすぎである。
黒い大男の正体はなにか。啓四郎には理解できないことだらけだ。ひょっとするとがっぱいや諸味里やたっちゅうは殺されたのではなく事故死かも知れない。ぶんさんや昭光も黒い大男とは関係がなく全然啓四郎の推理とは違う理由で消息不明になっているかも知れない。とにかくぶんさんと昭光が見付かれば啓四郎の危惧が当たっているか間違っているかはっきりする。
 ぶんさん、昭光の二人が一週間も行方不明であることに仲里も啓四郎の話を真面目に聞くようになってきたが、他人事に首を突っ込みたくない仲里はほっとけばそのうちに現れてくるよと二人を探している啓四郎を敬遠した。啓四郎は二人の行方を探したが、警官でも探偵でもない普通の民間人である啓四郎の捜索は限られていた。二人の写真さえ持っていないから、昼は食堂、喫茶店、建設現場、通りを歩く人に二人の顔や身長について話して、ぶんさんや昭光に似た人物を見かけたかどうかを聞くだけであった。夜はスナックやラーメン屋などを回って聞き込みをやった。しかし、成果はなかった。

啓四郎はチャン・ミーに会うのを諦めて、チャン・ミーとぶんさんが歩いていた一帯を探すことにした。啓四郎はぶんさんを見たという小学生に会うために仲里の駄菓子屋に行った。啓四郎が仲里の駄菓子屋に来て暫くすると小学生が店にどどうっと入って来た。啓四郎はぶんさんとチャン・ミーを見たという小学生を見つけ、シャーベットを奢ってからぶんさんとチャン・ミーが歩いていた場所を詳しく聞いた。ぶんさんとチャン・ミーは沖縄子供の国公園の入り口から南の方に歩いていたらしい。しかし、その道は数百メートル進むと二手に分かれていて、右方向はアパート、個人住宅、小さなスーパーマーケット、喫茶店、コンビニエンスなどが建ち並んでいる住宅密集地であった。小学生はぶんさんとチャン・ミーは左の方の道に曲がったと言った。左方向はコザ市外に出る旧道路だった。啓四郎と一緒にぶんさん探しを渋る仲里を説得して、翌日の昼に沖縄子供の国公園からぶんさんとチャン・ミーが歩いて行ったというコザ市外に出る道路に沿った一帯を調査して回った。啓四郎は道路沿いの家を一軒ずつ見て歩いたが怪しい家と怪しくない家の区別があるはずもなく、どうすればぶんさんが匿われていると思える家を見つければいいか分からず戸惑いながら歩き回った。そして、出会う人にチャン・ミーの写真を見せて、チャン・ミーを見かけなかったか聞いた。しかし、独身生活を送っている中年男の啓四郎と仲里の風体は紳士とは掛け離れていて人を信頼させるような格好ではなかった。むしろ、美しいチャイナ姿の美人の写真を見せる啓四郎の方が尋ねる相手に訝しがられ、誰も写真のチャン・ミーについては知らないと答えた。啓四郎と仲里はそれでもぶんさんと一緒に歩いていたというチャン・ミーの写真を見せながら歩き回った。夏の日差しは強く、汗は流れ、体内の水分は減り、喉が渇いてきた。二人は喫茶店で休憩することにした。
「警察手帳があればな。捜査ももっとやりやすいが、俺たちはなんの力もない民間人だから捜査なんてできやしない。ただ、道路をほっつき歩くだけだ。文房具店で黒い手帳を買って、刑事を装うことにしようか。」
「ばれたら刑務所行きだ。ぼくはそんな恐ろしいことはやらない。刑事の真似をするならお前だけがやれ。」
臆病な仲里は啓四郎の黒い手帳を利用して刑事を装う話にしり込みをした。
「冗談だよ。しかし、早くぶんさんを見つけないと。ぶんさんの死体が海岸か車道で発見される可能性がある。警察に捜索願いを出しても警察は動いてはくれないだろうし。どうしようもない。」
啓四郎は無力な自分を嘆いた。突然、仲里がくしゃみをして口に含んでいたコーヒーを吐き出した。
「うわぁー、汚ねえ。」
と啓四郎はテーブルに零れたコーヒーをテイッシュで拭いた。仲里は零れたコーヒーを拭かないでしきりに窓の外を指差し、啓四郎に窓の外を見るように催促した。向かいの歩道を若い男がビニール袋を提げて歩いている。ビニール袋にはコンビニのマークがついていた。近くのコンビニで買い物をしたのだろう。
「あ、あの男はチャン・ミーの知り合いだ。スナックで顔を見た覚えがある。」
啓四郎と仲里はレジで清算を済ますと急いで喫茶店を出た。夏の真昼、強い太陽光線が街の道路も建物もまぶしく輝かせている。暑い真夏の昼は道路を歩いている人間はほとんどいない。まぶしく閑散としている通りで尾行をするのにはかなりの距離を取らないと尾行をしている相手に気付かれてしまう。啓四郎と仲里は相手に見えない場所に隠れながら尾行をした。男は二車線の幹線道路を左に曲がりなだらかな坂を登っていく。啓四郎は車道を横切り、角からそうっと顔を覗かせて坂道を登っている若い男を目で追った。坂を昇りきった所で若い男は角を左に曲がった。啓四郎と仲里は若い男を見失っては拙いので急いで坂の上に移動した。坂の上は十字路になっていて一帯は住宅が並んでいた。啓四郎と仲里は住宅の壁の角に立っている電信柱から顔を覗かして通りを見たが若い男の姿は消えていた。若い男が入った通りは住宅街になっていて、若い男は通り沿いの家のひとつに入ったか、でなければ最初の角を曲がったのだろう。啓四郎が通りに入って行こうとした時、仲里は啓四郎を引き止めた。
「ぼくはあの男に顔を覚えられているかも知れない。だから、これから先はお前ひとりで行け。」
二車線に広い歩道。歩道にはでいごが植わり、一軒家が並んでいた。人の姿は見当たらない。うろうろしていたら目だってしまう。啓四郎はゆっくりと通りを歩いた。真昼に家を覗き見するわけにも行かない。右側の家の後ろは雑木林になっていて通りに面している家が十軒並んでいた。左側は坂下まで家が続いている。啓四郎は通りの奥で角を左に曲がり路地を通って仲里の居る場所に戻った。
「昼はまずい。夜がいい。夜なら車を通りに駐車して、見張りを続けることができる。」
啓四郎と仲里は車を駐車している場所に戻った。啓四郎は仲里を仲里の駄菓子屋の前で下ろし、仮眠を取るためにアパートに戻った。
 携帯電話のアラームの音に啓四郎は目が覚めた。夕方の六時。外はまだ明るい。シャワーを浴び、黒っぽいズボンに黒のシャツを着けると啓四郎は外に出た。八時に仲里の家に行くことになっている。車に乗りアパートの駐車場を出ると腹が空いていたので内間食堂に向かった。
 すき焼きを注文して、啓四郎は夕刊を広げた。新聞を開く瞬間は胸が締め付けられる。死亡事故者の欄にぶんさんか昭光の顔が掲載されているかも知れない。恐る恐る夕刊を広げた。新聞には死亡事故の記事はなかった。啓四郎はほっと胸を下ろした。しかし、今日の夕刊にぶんさんと昭光の死亡記事が載っていなくても明日の朝刊か夕刊にぶんさんか昭光の事故死が掲載されるかも知れない。 
テーブルの上に注文していたスキヤキが置かれた。啓四郎は夕刊を見ながらスキヤキを食べた。時計を見ると七時半になっていた。仲里の家は車で五分の場所だから待ち合わせ時間には早いが啓四郎は仲里の家に行くことにした。お茶を飲み、啓四郎は上間食堂を出た。すると駐車場に停めてある啓四郎の車の隣で二人のアメリカ人が陽気に話している。内間食堂にはアメリカ人もよく来るから駐車場にアメリカ人が居るのは不思議ではないがアメリカ人に神経質になつていた啓四郎は駐車場に行くことを躊躇した。背の高いアメリカ人がスペイン系のアメリカ人に上間食堂に誘っているがスペイン系のアメリカ人は手を振りながら断っている様子である。暫くアメリカ人の様子を見ていたが上間食堂に入るか入らないかで揉めている二人のアメリカ人は啓四郎の存在には無関心のようである。啓四郎は恐る恐る駐車場に近づいて行った。二人のアメリカ人は啓四郎が近づいても啓四郎の存在になんの関心も示さないで話し合っている。上間食堂の料理メニューについて話しているのか時々スペイン系のアメリカ人は「オー、ノー。」と言って顔をしかめた。背の高いアメリカ人は笑いながら上間食堂に入るように誘っている。啓四郎はアメリカ人が啓四郎に関心を示す様子を見せずに談笑しているので胸を撫で下ろし、車に近づいて車のドアにキーを差し込んだ。車を開けて中に入ろうとした瞬間に後ろから羽交い絞めされて、抵抗する間もなく隣の車の後部座席に入れられた。座席にはロイ・ハワードが座っていた。
「啓四郎さん。こんばんは。」
流暢な日本語で言うと、啓四郎に驚きの声を上げる間も与えないで猿ぐつわと目隠しをした。車は走り出した。駐車場を左に曲がりスピードを上げた。車は五回程急カーブを切り三十分後にはスピードを落として停まった。啓四郎は車から降ろされた。目隠しのまま、啓四郎は家の中に連れられて行き、入り口から左に曲がって十歩いて部屋に入れられた。啓四郎の目隠しと猿ぐつわは部屋の椅子に座らされてから外された。
「私の名前はロイ・ハワードです。彼はドナルド・ホールデンです。啓四郎さん。相談があります。」
ロイ・ハワードは流暢な日本語で自分と側に立っているアメリカ人を紹介した。
「啓四郎さんはアメリカ合衆国で住んでくれませんか。アメリカ政府があなたの身の安全は保証します。仕事はあなたがやりたい仕事を探して上げます。」
啓四郎はロイ・ハワードの唐突な話の真意が分からず返事に困った。「どうですか啓四郎さん。その方が啓四郎さんにとって都合のいいことです。」
啓四郎はロイ・ハワードが啓四郎の口封じのために政府管轄の下でアメリカで生活するように言っているということを理解した。啓四郎はロイ・ハワードの予想外の提案に答えることはできなかった。ロイ・ハワードが紳士的に対応したので死の恐怖は薄れた。啓四郎はロイ・ハワードの提案に答える前に気になっていることを聞いた。がっぱいと諸味里とたっちゅうをなぜ殺したかそしてぶんさんと昭光をどこに監禁しているのか、なぜこのようなことをするのかを聞いた。
「喜屋武弘と諸味里と中村桂三は事故で死んだのではなくお前達が殺したのか。なぜ喜屋武弘と諸味里とたっちゅうを殺したのだ。」
喜屋武弘はがっぱいの本名でありたっちゅうの本名は中村桂三である。ロイ・ハワードは啓四郎の話に答えようとはしないで啓四郎を凝視した。
「なぜ、私達が:喜屋武弘と諸味里という人を殺したと思っているのですか。あれは事故かも知れない。」
「事故にしては偶然すぎる。三人とも事故で死んだとは考えられない。なぜ三人を殺したのか。理由を知りたい。」
ロイ・ハワードは啓四郎の質問に呆れたとでもいうように両手を挙げた。
「なぜ、私達が喜屋武さんと諸味里さんを殺したと言えるのですか。喜屋武さんと中村さんは酔っ払って海に落ちて死んでいます。諸味里さんは釣りの最中に崖から海に落ちて死んでいます。三人とも事故で死んだのではないのでか。」
「なぜ、君は喜屋武と諸味里の死について詳しく知っているのだ。それこそが二人を殺した証拠だ。」
ロイ・ハワードは「ノーノー。」と言って首を振った。
「喜屋武さんと諸味里さんの死は新聞で知りました。仲ノ町の公園でミスターN・Hの噂をしている人々について私達は調査をしていますから新聞も読むしラジオも聞いています。だから知っているのです。でも調査をしているだけで殺したりはしていません。信じて下さい。」
上間食堂の駐車場で突然自分を襲って誘拐をした連中を信じることの方がおかしい。啓四郎はロイ・ハワードを凝視した。
「たった数週間の内に喜屋武と諸味里と中村が死んだ。三人とも事故で死んだとは信じきれない。三人とも殺されたか、少なくとも喜屋武か諸味里か中村の中で誰かは殺されたはずだ。」
ロイ・ハワードは困った様子で隣のドナルド・ホールデンに話した。
「それにぶんさん、玉城分太郎と上間昭光も行方不明になっている。お前達がぶんさんと昭光を誘拐したのだろう。」
ロイ・ハワードの表情が変わった。
「玉城分太郎さんと上間昭光さんは行方不明なのですか。」
ロイ・ハワードが驚いた顔をしたので啓四郎は戸惑った。ぶんさんと昭光を誘拐したのはロイ・ハワードのグループだと思っていたがロイ・ハワードの反応を見ると違うのではないかと思ったが、黒い大男の噂を封じるために仲ノ町公園の仲間達を襲ったのはロイ・ハワードの組織以外には考えられない。ロイ・ハワードはプロである。知らない芝居をするのは慣れているだろう。啓四郎は、
「お前達が誘拐したのだろう。」
と繰り返して言った。ロイ・ハワードは啓四郎をじっと見詰めていたが、暫く考えて隣に立っているドナルド・ホールデンに啓四郎の話を通訳した。暫くの間、ロイ・ハワードとドナルド・ホールデンが激しくやりとりした。二人の会話の中に喜屋武、昭光の言葉が出ている。会話からの様子ではロイ・ハワードもドナルド・ホールデンもぶんさんと昭光の消息について知らないようである。ロイ・ハワードに余裕は消え、真顔になっていた。
「喜屋武さんと昭光さんはいつから消息不明になったのですか。」
啓四郎がぶんさんと昭光が消えた日を言うとロイ・ハワードは難しい顔になりドナルド・ホールデンと話し合った。暫くしてドナルド・ホールデンは頷いた。
「啓四郎さん。私はあなたの質問に答えるわけにはいきません。それよりも私の質問に答えてください。啓さんはアメリカ合衆国で住んでくれませんか。アメリカ政府があなたの身の安全は保証します。」
「もし、断ったらどうする積もりだ。」
ロイ・ハワードは困った顔をした。
「啓四郎さん。断らない方があなたのためです。これが最良の方法です。」
啓四郎は黙ってロイ・ハワードを睨んだ。ロイ・ハワードは困った顔をして隣のドナルド・ホールデンと話をした。
「断ったら、俺を殺すのか。」
ロイ・ハワードは苦笑いしながら啓四郎の言葉を隣のドナルド・ホールデンに通訳した。ドナルド・ホールデンも苦笑いした。暫くの間ロイ・ハワードはドナルド・ホールデンと討論した。ロイ・ハワードはリーダーではないようだがドナルド・ホールデンがリーダーということでもないようだ。ドナルド・ホールデンと討論を終えたロイ・ハワードは啓四郎に言った。
「断らない方が啓四郎さんのためです。そうでなければあなたは私達が直轄している独房に入れられることになります。啓四郎さん。よく聞いてください。もし、私達と契約し、アメリカで住むようようになっても、永遠にアメリカに住むというわけではないのです。ミスターN・Hが処理されるまでです。ミスターN・Hが完全に処理されればあなたは自由になれます。再び沖縄に住むことができます。」
「ミスターN・H。」
「ミスターノーヒューマン。あなた達の仲間がコザシティー運動公園で見た化け物のニックネームです。アメリカ政府としてはミスターN・Hの噂が広まるのを恐れています。マスコミに掲載されると非常に拙いのです。」
「ミスターN・Hというのは何者なのだ。」
ロイ・ハワードはドナルド・ホールデンと話した。ミスターN・Hのことを啓四郎に話すかどうか相談しているようだ。ドナルド・ホールデンは「ノー、ノー。」と言いながら首を横に振った。
「ミスターN・Hについては話せません。啓四郎さん。明日までに結論を出してください。」
ロイはドアを開け誰かを呼んだ。ドアに現れたのは頑強な体格のロイやドナルドと違い、ひょろひょろとした長身の男だった。近眼めがねを掛け、猫背のアメリカ人は白衣を着け研究員の姿をしていた。長身のアメリカ人はロイ・ハワードと話した後、啓四郎の前に立った。
「私はビル・ロバートと言います。よろしく。」
ビル・ロバートは椅子に座りテーブルの上に脇に抱えている部厚いノートの類を置いた。ビル・ロバートがノートを開いて啓四郎の前に座るとロイ・ハワードは啓四郎に手錠を掛けてドナルド・ホールデンと一緒に部屋から出て行った。
「始めまして。これから啓四郎さんに質問します。いいですか。」
ビル・ロバートはノートに記入されているのを確かめるようにしながら啓四郎に質問した。
「啓四郎さんが見たミスターN・Hはどんな色をしていましたか。」ビル・ロバートは啓四郎たちが見た黒い大男の色について質問した。啓四郎が「黒かった。」と答えるとノートに記入してから、啓四郎を見つめた。
「啓四郎さんがミスターN・Hを見たのは夜だと聞いていますが、啓四郎さんはミスターN・Hが黒色だったと断言できますか。夜だから黒く見えたのであってひょっとすると青とか紫とか茶色であった可能性はありませんか。」
「黒かった。」
啓四郎はぶっきらぼうに言った。
「そうですか。」
ビル・ロパートは啓四郎がぶっきらぼうに返事したことを気にする様子もなくノートに書き込んだ。
「体は光っていましたか。」
「いや、光っていなかった。」
「体は光を反射しましたか。」
「さあ。よく分からない。」
ビル・ロバートはノートに記入する手を止めて啓四郎を見た。
「啓四郎さんがミスターN・Hを見た場所には外灯はなかったのですか。」
「外灯はあった。しかし、雨が降っていたし黒い大男を見たのは一瞬の間だったから体が光を反射していたかどうかははっきりしない。」
「そうですか。」
ビル・ロバートはミスターN・Hについて次々と質問した。身長はどれだけあったか。横幅は何センチあったか。移動するスピードはどれだけあったか。ジャンプ力は何センチだったか。物を投げる力はどれだけだったか。啓四郎か答えるとビル・ロバートは丁寧にノートに書き込んでいった。
「格好が、ううん、姿というのかな。ミスターN・Hは姿を変えましたか。そのう馬のような姿になったり鶏のような姿になったり。」ビル・ロバートはうまく日本語で言えないもどかしさで質問した。ミスターN・Hが馬の姿や鳥の姿になったのは見たことがなかったから啓四郎は「いや。馬や鳥の姿にはならなかった。」と言って首を横に振った。ビル・ロバートは自分の日本語が質問の内容に適切な言葉になっていないらしく適切な日本語を探して思案した。
「変形、そうそう変形です。ミスターN・Hは変形しましたか、馬とかにわとりとかの姿ではなくてもいいです。人間の姿意外の姿、いや形と言った方が的確です。ミスターN・Hは人間以外の形に変形しましたか。」
啓四郎は黒い大男がカーペットのように変形したことを伝えた。ミスターN・Hがカーペットから人間の姿に変貌したことにビル・ロバートは感激した。
「すごい。ドクターシュレッターは天才だ。天才の中の天才だ。」
と日本語で独り言をいった後、興奮したように早口の英語で独り言を言った。
 ビル・ロバートは気さくな研究員に似ていた。啓四郎はロバートに聞いてみた。
「ミスターN・Hというのは何者なのか。」
ロイ・ロバートは啓四郎に聞かれて戸惑った顔をした。
「ミスターN・Hは国家秘密なんです。私は一生他言をしないという誓約書にサインをさせられました。」
ビル・ロバートはミスターN・Hについては啓四郎に話すことができない立場にあった。しかしミスターN・Hの情報を啓四郎からより詳しく聞き出すには啓四郎がミスターN・Hについて知った方がいいとロバートは考えた。ロバートは啓四郎にミスターN・Hついて話すかどうか暫く考えていたが、話す決心をして、
「私がミスターN・Hについて話したことをロイ達に話さないと誓えますか。」
と言った。啓四郎は頷いた。
「私はミスターN・Hについて調査中ですが完全にミスターN・Hについて理解しているとは言えません。なにしろ三ヶ月前に沖縄に派遣されて、ドクター・シュレッターが残したドイツ語で書かれている研究論文を解読している最中です。ドイツ語と日本語が分かる人間として私が選ばれました。ドクター・シュレッターはドイツの学者でヒトラー時代にある研究をしていまして、第二次大戦が終わった後はアメリカ政府がアメリカに連れてきました。そして、1958年に沖縄の特殊研究所に移ってきて、ドクター・シュレッターは彼独自の研究を続けました。しかし、1980年に彼の研究に政府は必要性を感じなくなりました。ベトナム戦争が終わりアジアでベトナム戦争規模の戦争が再び起こらないだろういうアメリカ政府の判断に関係があったようです。アメリカ政府はドクター・シュレッターをアメリカに帰国させようとしたのですが彼は頑として拒否したので、仕方なく彼を沖縄の研究所にそのまま残したのです。そして、ドクター・シュレッターは細々と自分の研究を独りでそのまま続けていったのです。彼は去年死にました。八十三歳でした。ドクター・シュレッターが死んだ後、彼の論文も研究所も放置されていたのですが、ドクター・シュレッターの死後に黒い化け物が彼の研究所の近くに出るという噂が立ったのです。それからドクター・シュレッターの研究所があるアメリカ軍基地内でアメリカ兵の謎の事故死がひんぱんに起こったのです。人間の力を超えた力で殺されたとしか思えないような事故死です。不可解な事故死をしたアメリカ兵は五人も出たらしいです。MPが殺人者を捜査したのですが、その犯人が啓四郎さんたちが見たミスターN・Hだったのです。ミスターN・Hと命名したのは私です。ロイたちはミスターゾンビと言っています。」
「ミスターN・Hの正体はなんですか。」
啓四郎が聞くと、ロバートは両手を上げてお手上げであるという仕草をした。
「分かりません。」
ロバートは苦笑した。
「私は遺伝子の研究をしています。遺伝子と言っても範囲が広いです。私は突然変異と遺伝子の関係を研究しています。でも、ドクター・シュレッターの研究は私の知識を遥かに超えています。政府はミスターN・Hが突然変異と遺伝子に関係していると考えて私を派遣したと思いますが、突然変異と遺伝子に関係しているのはほんの一部です。ドクター・シュレッターの研究は生体学から遺伝子論、脳生体学、神経学、筋肉論、電子学に量子力学と何十もの分野に広がっているのです。とても私の手には負えません。私は遺伝子についてしか分かりませんからね。それに・・・・・。」
ロバートは入り口の方を見た。ロイたちに聞かれたら拙いのだろう。ロバートは声を潜めた。
「ミスター・シュレッターは現在では絶対に許されない人体実験をやったようです。」
ロバートは暗い顔になった。
「ドクター・シュレッターの研究論文がどんなに素晴らしい論文であっても絶対に公表されることはないです。ベトナム戦争で死んだ直後のアメリカ兵や瀕死状態のベトナム人が人体研究の対象だったようです。研究者としてはドクター・シュレッターが羨ましいですが、人間としてはドクター・シュレッターの研究に吐き気を催します。しかし・・・」
ロバートは苦笑いをした。
「ドクター・シュレッターはとてつもない天才です。なにしろミスターN・Hという化け物を誕生させたのですから。」
「ミスターN・Hは人間が変形したものか。」
と啓四郎が聞くと、ロバートは困った顔をした。
「それがはっきりわからないのです。ミスターN・Hが人造人間であるのは確かです。現代のフランケンシュタインです。しかし、ミスターN・Hが生命体なのかそれとも非生命体なのかははっきりしません。軟体ロボットである可能性もあるのです。ミスターN・Hが生体ならその生命を止める、つまり殺すことができます。しかし、非生命体ならそれができません。ミスターN・Hが非生命体なら彼のエネルギー源を突き止めてそれを遮断すればミスターN・Hの活動を停止することができます。ロイ・ハワードが私に要求しているのはミスターN・Hの動きを止める方法なのですが皆目見当がつかないのです。拳銃の弾を打ち込んでもミスターN・Hは平気なのですからロイたちはミスターN・Hはゾンビかロボットなのだと言い張っていますが、弾丸で死なないからといって生命体でないとは言い切れません。急所を外れたら平気でいる軟体動物はいくらでもいます。それにゴムのような軟体物でロボットを作るというのは今の科学では不可能です。」
「ミスターN・Hの誕生についてのドクター・シュレッターの論文を読めばミスターN・Hの正体が分かるのじゃないか。」
ロバートは首を振った。
「そうですが。その論文が見当たらないのです。研究所のどこかに隠されているのか、もしかしたらミスターN・Hについては論文がないかも知れません。というのもドクター・シュレッターは次第に論文を書かなくなっていたのです。独りだけの研究だから論文を書くのが面倒くさくなったのかも知れません。理論はドクター・シュレッターの頭の中あり、研究論文は書かないで実験を繰り返していたのかも知れません。高齢だったからね。理論を書くのがおっくうになっていたとしても不自然ではありません。とにかく死ぬまでの約十年間の論文がないのです。研究所に秘密の金庫があってそこに眠っているということも考えられますが。」
啓四郎はロバートの話を聞きながら映画か小説のような空想世界の中にいるような気分になった。啓四郎は運転代行の安い給料で生活の糧を得ているしがない庶民である。啓四郎の夢はインターネットで自前のインターネットショップを作り、その収入で老後も安定した生活を送ることである。インターネットショップで生活費を稼ぐ夢を見ながらパソコンのHP作成に必要なHTML語を四苦八苦しながら勉強している人間である。しかも、五十歳でHTML語を勉強しているのは啓四郎の回りにはいない。これでも、啓四郎は啓四郎の住む世界では文明の先端を行く人間である。ところがロバートの話は啓四郎の住む世界とは桁が違いすぎる。目の前に居るロバートはアメリカ政府から派遣された科学者である。多分、アメリカの有名な研究所の所員なのだろう。そして、ミスターN・Hなる化け物を誕生させたドクター・シュレッターはあのヒトラー時代のナチスドイツに居た天才学者だという。啓四郎は自分が誘拐されたことも忘れるほどのショックと感銘を受けていた。ロバートは溜息をついた。
「ドクター・シュレッターの論文は私のような凡人には手が負えません。もっと広範囲の科学者を集めて解読しないとドクター・シュレッターの論文は解明できないことを進言した上で、私は帰国願いを出しました。ドクター・シュレッターの論文を解明するには私のような遺伝子学専門家より電子力学、人造生体学、神経学、量子力学等の専門家が必要であることを進言しました。来週には帰国できると思います。」
ロバートがアメリカに帰国するということを聞いて啓四郎は我に帰った。ロバートはアメリカ人であり遺伝子学の専門家であり自由な立場の人間である。ところが啓四郎はいわれのない理由で謎のアメリカ政府機関のロイ・ハワードに誘拐され、このままではアメリカに連れて行かれ一生不自由な生活を強いられるのだ。ミスターN・Hという怪物を見たというだけでなぜ誘拐されなければならないのか、啓四郎は納得できなかった。啓四郎はまだ生きているががっぱいと諸味里とたっちゅうはすでに殺され、ぶんさんと昭光は行方不明である。啓四郎も状況次第では殺されるかも知れない。ロバートの話は驚くようなとても現実の話のようには思えなかったが、啓四郎の友人が殺されたり誘拐されていることは現実である。
啓四郎がそのことを話すとロバートは。
「それは仕方のないことです。ミスターN・Hの存在がマスコミに知られ公になるとアメリカ政府は二重三重に苦境に立たされます。ミスターN・Hのような化け物を作ったことやドクター・シュレッターが人体実験したことが公になると沖縄では軍事基地反対運動が高まるだろうし日本やアメリカ国内だけではなく世界中の人権協会が猛烈に抗議します。アメリカの権威が失墜します。ですから絶対にミスターN・Hのことが公になることは防がなくてはなりません。私はドクター・シュレッターの論文を呼んだことを非常に後悔しています。ドクター・シュレッターとミスターN・Hのことを絶対に他言してはならないのですから。私は一生重い枷を引き摺って生きていかなければなりません。しかし、アメリカ国民である限り、アメリカの汚点を秘密にするのは義務ですから。私は私の重い枷を一生ひきずっていく覚悟はあります。」
と言った。
ロバートはアメリカ人だからそれでいいかも知れない。啓四郎はアメリカ国民ではない。アメリカ政府の汚点を負う責任はないし、ミスターN・Hについてもロバートのように深く知っているわけではない。ミスターN・Hを雨の夜にたった一度見ただけである。それなのにどうしてこんな悲惨な目に合わなくてはならないのだ。
「啓四郎さんは気の毒です。しかし、この秘密は絶対に守らなければならないのです。啓四郎さんがアメリカ国民であっても同じ目にあったと思います。それにロイたちが強引な行動に出ているのには理由があるのです。どうやらC国のスパイにミスターN・Hの存在を気付かれたようなのです。そのために一刻を争う事態になったのです。」
「え、C国のスパイが沖縄に居るのか。」
「はい、C国だけではありません。沖縄はアメリカの軍事力が集中しています。そしてアメリカ軍のアジアの情報は沖縄に集められます。ですから沖縄には世界中のスパイが集まっています。ロイ・ハワードの話ではすでにC国のスパイにはミスターN・Hの存在は知られているようです。C国のスパイもミスターN・Hの情報収集に躍起になっているようです。」
「がっぱいや諸味里を殺したりぶんさんや昭光を誘拐したのはアメリカだけではなくC国のスパイがやった可能性もあるということなのか。」
啓四郎は気が重くなった。アメリカだけではなくC国のスパイにも狙われているとしたら啓四郎達の運命は風前の灯火である。
「そうかも知れません。」
がっぱい、諸味里、たっゅう、ぶんさん、昭光はアメリカのスパイに捕まったのかそれともC国のスパイに捕まったのか。
「ロバートが調べるのは俺が始めてなのか。それとも俺の前にがっぱいいや喜屋武や諸味里、玉城、昭光の誰かを調べたことがあるのか。」
啓四郎に質問されてロバートは苦しそうな表情をした。
「それは言えません。C国のスパイに知られたからには一刻も早くミスターN・Hを処分しなければなりません。ミスターN・Hのことがマスコミに漏れたりC国のスパイに漏れるようなことはあらゆる手段を使って防がなくてはなりません。」
「俺たちを殺してもか。」
ロバートは一瞬答え憎そうにしたが、
「とにかく、国家の秘密を守るという為にはあらゆる手段を使わなければならないということです。」
「アメリカ政府の下では俺たちみたいな庶民は虫けらに等しいというわけか。」
啓四郎にロバートは反論した。
「虫けらというのは虫のようになんの権利もない、粗末な存在という意味ですよね。それは違います。アメリカは民主主義国家であるし純然たる法治国家です。啓四郎さんを虫けらと同じように扱っているわけではありません。」
「突然目隠しをされて、分からない場所に連れて来られて、手錠を掛けられた。虫けらと同じだ。それに俺は日本人だ。アメリカ人じゃない。日本人の俺が、なぜアメリカ政府の組織に誘拐されなければならないのだ。」
ロバートは困った顔をした。
「私は遺伝子の研究者であって政治家ではありません。難しいことは分かりません。啓四郎さんを捕縛したロイと討論してください。済みませんが、ミスターN・Hの質問を続けさせてさせて下さい。」
その時ドアが開きロイが入って来た。ロイは啓四郎への尋問を終えるようにロバートに言い、ロバートはまだ終わっていないからもっと続けさせてくれと言ったが、ロイと一緒に入って来たドナルドがロバートの脇を掴んで部屋の外に連れて行った。ロイは啓四郎に近づき手錠を外した。
「明日、来ます。明日までに決心してください。」
ロバートは出て行ってドアを閉めた。

ドアは外から鍵を掛けられていて内から開けることはできなかった。窓はコンクリートで埋められている。古いコンクリートの家だ。啓四郎は部屋の外の様子を探るためにドアに耳を当てた。ドアの外は静かで人の声や動く物音が聞えない。冷房機のコンプレサー音だけがブーンと聞えてくる。啓四郎は耳を強くドアの壁に押し付けたがロイ・ハワードやロバートの話し声は聞こえて来なかった。彼らは出て行ったようだ。啓四郎はドアのノブを回したり、壁を叩いたりして部屋から脱出できる箇所を探したが見つけることはできなかった。啓四郎は脱出することを諦めて、部屋の壁に背を持たせて座った。秘密裏にアメリカに連れて行かれ、見知らぬ場所で生活しなければならないのか。啓四郎は自分の明日が分からない不安で気持ちが落ち着かなかった。
脱出を諦めて三十分程が過ぎた頃、天上からがさごそと音が聞えた。ねずみが天上の板を齧っているような音だがねずみの仕業にしては音が大きい。啓四郎は立ち上がって音のする方に近づいた。
「啓四郎。」
押し殺した声が天井から聞えた。声のする方を見ると天井の板が剥がれていきその隙間から仲里が顔を覗かせた。啓四郎は驚いた。なぜ仲里が誘拐された家の天井にいるのかわけが分からないが啓四郎は急いで仲里が顔を覗かせている天井の下の方に行った。仲里の顔が消え、バリバリと天井の板が小さなバールで剥がされた。天井板の一枚が取り除かれて再び仲里が顔を出した。
「啓四郎。上がって来い。」
天上を剥がす時、バリバリと大きな音を発したのでロイ・ハワードの仲間に気付かれないか啓四郎は気が気でなかった。
「大きな音を出して大丈夫なのか。」
「大丈夫だ。お前を連れてきたアメリカの連中は全員どこかに出かけた。家の中には誰も居ないから音を出しても大丈夫だ。」
啓四郎はテーブルを穴の真下に移動して、テーブルに乗ると天井の桟を掴み、仲里の助けを借りて天井裏に上った。啓四郎は這いずりながら仲里の後ろについて行った。仲里は明かりの漏れる場所に移動して、その穴から下に降りた。降りた場所は家のキッチンだった。キッチンには鍋やコンロはなく、キッチンが使われている痕跡はなかった。キッチンの隣は居間になっていて、居間には飾り付けも棚もないテーブルだけの殺風景な居間だった。この家には誰も住んでいないようだ。さらってきた人間を監禁する目的だけに使われている家なのであろう。
仲里はキッチンの裏ドアから外に出た。裏ドアの鍵は簡易なロック式の鍵で仲里はその鍵をバールを使って壊して家に侵入していた。仲里はおんぼろな駄菓子屋の修理をするために大工の七つ道具を車に乗せていた。生徒達が騒いで駄菓子屋の壁がよく壊される。トイレのドアや裏口のドアもよく壊される。子供たちが暴れてガラスを割ることもある。仲里は壊れされたら大工やガラス工に頼まないで自分で直していた。駄菓子屋の収入は少ないし子供に損害賠償を要求するわけにもいかない。修理を大工に頼んでは赤字になるからと仲里は自分で修理した。トイレのドアや裏戸の修理や雨漏れ修理などの大きな修理の時は啓四郎も手伝った。
「どうして、俺の居場所が分かったのだ。」
啓四郎は車の助手席に座ると仲里に聞いた。
「店を閉めて、ご飯を食べようと上間食堂に来た時、君の車を調べているアメリカ人を見た。僕は駐車場から離れた場所に車を停めて様子を見ていたら君がアメリカ人に無理矢理車に押し込められるのを見たんだ。それで尾行して来た。」

 啓四郎が連れてこられた家は海に近い一軒家であった。近くには十数件の一軒家がありアメリカ軍所属の人たちが住んでいた。仲里の車は海岸の住宅街から離れ、啓四郎の車を駐車している内間食堂に向かった。二人は内間食堂から住宅密集地の中にある目立たない食堂に入った。
食事をしながら啓四郎はロイ・ハワードやロバートの話を仲里に詳しく話した。仲里はドクター・シュレッターの話が出た時に驚いた。
「え、ドクター・シュレッターは生きていたのか。」
「ドクター・シュレッターを知っているのか。」
「若い頃に彼の論文を読んだことがある。」
「ドクター・シュレッターというのはどんな人物なのだ。」
「ドイツの伝説的な科学者だ。第二次大戦の時に行方不明になった。連合軍の空爆か銃撃戦に巻き込まれて死んだのだろうと言われている人物だ。ドクター・シュレッターが沖縄に居たというのは信じられない。生きていたら会いたかったなあ。」
ドクター・シュレッターの論文のほとんどは紛失していて仲里が呼んだ論文は若い時の草稿であったらしい。若きドクター・シュレッターの草稿には分子構造論、電子論、量子論等があり、仲里の専門である電気の超電導に関係する草稿もあったので仲里はドクター・シュレッターの論文を読んだらしい。
「ドクター・シュレッターという科学者の専門はなんなのだ。」
「それははっきりしていない。噂によるとナチスにはヒトラーの指令で最強の人造兵士を造る特別研究班があったらしくドクター・シュレッターはその特別研究班に属していたらしい。彼の論文は学生の時の草稿しか残っていない。多分、特別研究班に入ったために彼の論文は門外不出になったのだと思う。ドクター・シュレッターの論文があるなら読んでみたい。」
「ドクター・シュレッターはドイツ人だよ。ていはドイツ語が読めるのか。」
「僕達にはドイツ語は必修だよ。ドイツ語が読めなければ基礎研究さえできない。会話はできないが専門書は読める。」
啓四郎は仲里がドイツ語を読めるというのには驚いた。しかし、仲里は大学院に進学し、そのまま大学にいれば教授になった人間だ。ドイツ語が読めるのは当然なのかも知れない。
「英語も読めるのか。」
と啓四郎が聞くと愚問はするなよとばかりに、
「当たり前だろう。」
と言って仲里は笑った。
「話せるのか。」
と聞くと、
「会話はできない。」
と言った。ドイツ語にしろ英語にしろ読むことより会話の方が簡単であるのに読むことはできるが会話ができないというのは変な話である。仲里が言うにはドイツ語や英語の専門書を読む必要があったからドイツ語と英語を読むことができるけれどドイツ語や英語の会話は必要がなかったから会話はできないのだという。
「俺達が遭遇した黒い大男のミスターN・Hはドクター・シュレッターが造ったとロバートが言っていたが、仲里はミスターN・Hの正体はなんだと思うか。」
仲里は腕組みをして首を傾げて考えていたが、
「分からないな。強いて言えば量子力学的生命体と言えるが、やっと人ゲノムを解明したのが最近だ。ゲノムでさえ自由に操作できない現代の科学が遺伝子論を遥かに超えた量子力学的生命体なんか造れるばすがない。ミスターN・Hのようなものが存在する可能性はゼロだ。ミスターN・Hは幻かゴリラだろう。ドクター・シュレッターが天才であってもミスターN・Hを造ることは不可能だ。」
宮里はロバートから聞いたことを聞いてもミスターN・Hの存在を認めなかった。幻が梅さんを放り投げることはできないしゴリラがカーペットに変形することはできないと啓四郎は仲里に反論したかったが、科学の理論では仲里の足元にも及ばない。軽く反論されてしまうだけだ。これ以上ミスターN・Hについて仲里と話しても無駄だから啓四郎はミスターN・Hについて考えるの中断し、ロイ・ハワードやチャン・ミーが何者であるのかを仲里と検討し、行方不明になっているぶんさんや昭光の居所を探すのを優先することにした。
「ぶんさんと一緒に居たというチャン・ミーはロイ・ハワードのグループとは別組織の人間なのかな。ひょっとするとぶんさんたちを誘拐したのはロイのグループではないのかも知れない。」
「チャン・ミーは台湾から来たと言ったが、台湾ではなくてC国から来たのかも知れない。」
「C国のスパイということか。」
「僕達はとんでもないことに巻き込まれたみたいだ。あの日にコザ運動公園に行かなければよかった。」
「今さら遅い。嘆くよりぶんさんを探そう。」
啓四郎と仲里は食堂を出て、沖縄子供の国公園に向かった。車二台で行くのは拙いから仲里の車は沖縄子供の国公園の駐車場に置いて啓四郎の車でチャン・ミーの仲間の隠れ家があると考えられる高台に向かった。坂を昇り十字路を左に曲がって一軒家が並んでいる通りをゆっくりと車で移動しながら隠れ家らしき家を探した。しかし、外から見ただけではどの家も普通の家であり外見で隠れ家が分かるはずがない。啓四郎は数台の車が駐車している場所に車を停めた。啓四郎と仲里は明け方まで車の中で見張っていたが、チャン・ミーや彼女の仲間らしき者が通りに出てくることはなかった。
「どうしようか。」
朝日が昇り回りはすっかり明るくなった。仲里は時計を見た。
「午前九時まではここに居よう。朝は慌しいから怪しまれることはないだろう。」
午前九時まで見張っていたが、昨日見た男もチャン・ミーの姿も見ることはできなかった。
「僕の家に行くか。」
啓四郎の住んでいるアパートはロイ・ハワードに知られているに違いない。啓四郎は自分のアパートに戻ることはできないだろうと思った仲里は啓四郎を自分の家に誘った。啓四郎は仲里の家に行くことにした。二人は仲里の家で仮眠を取り、午後一時になると仲里は駄菓子屋に出かけた。啓四郎は昨日チャン・ミーの仲間と思われる若い男を見つけた喫茶店に入り、若い男が現れることを待つことにした。
 午後三時、その若い男は現れた。照りつける熱い日差しの下をコンビニの方に歩いている。啓四郎は急いで車に乗り、坂道を登って男が曲がった角の反対側の道路に車を停めて若い男が来るのを待った。三十分後に若い男はソフトドリンクの入ったビニール袋を持って坂道を登ってきた。角を曲がり閑静な通りを歩き、三件目の一軒家に入って行った。啓四郎は男が家に入って暫くしてから、車で男の入った家の前を通り過ぎた。三十坪程度のコンクリート造りの平屋に小さな芝生の庭があり、通りに面した車庫には白いカローラが駐車していた。通りの反対側は家やアパートが斜面の上に立ち並び、下の大通りまで密集していたが、男の入った通りの右側にある家は通り沿いに家が一軒ずつ並んでいて家の裏は林になっていた。
いつまでもうろうろしていたら怪しまれる。啓四郎は通りの奥で左折すると狭い道路を下って下の大通りに出た。ぶんさんは若い男の入った家に監禁されているのだろうか。昭光もぶんさんと一緒なのだろうか。啓四郎は仲里の居る駄菓子屋に向かった。

 深夜、啓四郎と仲里は車を坂の上のチャン・ミーのグループの家から百メートルほど離れた場所に停めて、チャン・ミーのグループの家に向かった。塀に隠れて家の様子を見たが人の動く影はない。車庫に車はなかった。住人は出掛けているようだ。家の中に人は居ないかも知れない。居たとしても一人か二人だろう。窓のカーテンは閉められ、家の中を覗くことはできなかった。仲里と啓四郎は家の裏に回った。家を囲っている塀の高さは一メートルあり、啓四郎と仲里は壁を越えて裏庭に入り用心深く窓に接近した。カーテンの隙間から家の中を見た。居間のソファーには見たことのない男が寝ていた。啓四郎と仲里は隣の窓を覗いた。その部屋は寝室らしくツインベッドがある。寝室には人影は無かった。寝室の隣の窓を覗いた。薄暗い小部屋の中をカーテンの隙間から目を凝らして見るとぶんさんらしい人間が後ろ手を縛られてベッドの上で横たわっていた。ぶんさんが生きていたことに啓四郎は胸を撫で下ろした。昭光の姿を探したが部屋の中にはぶんさん以外の人間は居なかった。別の部屋を覗いたが昭光の姿は見つけることができなかった。
仲里は車に戻り駄菓子屋の修理七道具の中からガラスカッターとガムテープとげんのうを持ってきた。仲里はガラスカッターで内鍵の箇所の側に拳の大きさの丸いキズを入れ、その上にガムテープを貼った。ガムテープの上をげんのうで叩いて音もなくガラスを割り、開いた穴から手を入れて内鍵を外した。窓を開け啓四郎は部屋の中に入った。
横たわっているぶんさんの縄を解いて起こそうとしたがぶんさんは寝入っていて起きる気配がなかった。頬を叩いたが反応がなかった。睡眠薬を飲まされて眠っているに違いない。
「どうする。ぶんさんは起きそうにない。」
啓四郎は仲里と顔を見合わせた。起きなければ担いで逃げるしか方法はない。
「担いで逃げよう。」
啓四郎はぶんさんを肩に担いで窓際に寄るとぶんさんを窓の外に出した。仲里は窓の外に出て啓四郎からぶんさんを受け止めた。
「俺がぶんさんを担ぐ。」
啓四郎はそう言うとぶんさんを仲里の腕から自分の背中に移した。痩せたぶんさんの体は軽かったが寝入っているためにずれ落ちそうになる。
「大丈夫か。」
「ああ、大丈夫だ。」
啓四郎がぶんさんを背中に乗せた時に家の中で犬が吼えた。啓四郎たちの浸入に犬が気付いて吼えたのだろう。犬の吼え声に見張りの男は起き出すに違いない。一刻の猶予もない。
「急ごう。」
啓四郎はぶんさんを担いで仲里の後ろに続いた。啓四郎が壁を越えた時に部屋のドアが開く音が聞え、犬の吼え声が大きくなった。
「待て。」
という声を背中に聞きながら、啓四郎は通りの方に出ると駐車している車に向かって走った。啓四郎は必死に走ったが背中にぶんさんを背負っているから走るのは遅い。通りに出て数十メートル逃げた所で急にぶんさんの体が重くなり、後ろに引っ張られた。見張りの男が担いでいるぶんさんを掴んで引っ張ったのだ。啓四郎は踏ん張って走ろうとしたが数歩進んだだけで、前進はできなくなった。見張りの男に啓四郎は肩を掴まれた。啓四郎はぶんさんから手を離して、見張りの男と揉み合った。
 啓四郎を掴んだ男は声をださなかった。啓四郎と揉めていることを隣近所の人間に聞かれたくないからだろう。啓四郎は見張りの男に倒されて足蹴りをされた。男はC国語で低く叫ぶと啓四郎に馬乗りになって、啓四郎を殴った。啓四郎も必死に応戦した。しかし、男は喧嘩慣れしているらしく啓四郎の反撃を難なく交わして攻めてくる。この男には勝てない。このままこの男に負けてしまうという実感が湧き、打ちのめされるのを啓四郎は覚悟せざるを得なかった。啓四郎が抵抗するのをあきらめかけた時、男の体重が軽くなり啓四郎の上を飛んで行って路上に墜落した。啓四郎はわけが分からずに起き上がると、
「大丈夫か。」
と言う声がした。振り返ると仲里が心配そうに啓四郎を見ていた。
「大丈夫だ。」
と答え、啓四郎はぶんさんの側に行った。ぶんさんはまだ寝ている。仲里は路上の男がふらふらと起き上がろうとしたので素早く男の胸倉を掴んで背負い投げで男を投げ飛ばした。男は「ぐぇー。」と鈍い声を出して動かなくなった。仲里は痛い腹を押さえながらぶんさんを担ごうしている啓四郎の所に来るとぶんさんを肩に担いで、
「急いで。」
と啓四郎に言い、啓四郎の脇を抱えて車に向かって走った。
「お前はいつからそんなに強くなったのだ。こっそりと拳法でも習っていたのか。」
啓四郎は仲里の強さが不思議に思われた。
「さあ、僕にも分からない。とにかく体がすごく調子いいのだ。」
「お前がこんなに強いのは信じられない。」
「僕自身もびっくりしている。しかし、そのお陰で助かったのだ。とにかく、今は逃げることが先決だ。」
啓四郎は後ろを振り返った。月の光りにアスファルトの所々は照り光りしている。男が倒れている辺りはアスファルトの黒い面だけが見えた。男が立ち上がっているのなら男の影が見えるはずだが男の姿らしい影は見えなかった。男はまだ倒れたままに違いない。
「男が追いかけて来る様子はない。」
車まで一気に走っていきぶんさんを後部座席に寝かせ、啓四郎は運転席に乗り車を発車させた。車はスピードを上げて坂を下り、左折してコザ市外の方向に走った。
「どこに行こうか。」
車を走らせながら啓四郎は仲里に聞いた。啓四郎のアパートも仲里の家もチャン・ミーのグループに知られている可能性がある。ぶんさんが奪回されたと分かれば啓四郎のアパートや仲里の家にチャン・ミーのグループが襲ってくる可能性がある。啓四郎のアパートに行くわけにはいかないし仲里の家に行くこともできない。
「二十四時間喫茶店に行こうか。あそこで朝まで居座るというのはどうだ。」
しかし、車を喫茶店の駐車場に置いているとチャン・ミーのグループに見つかるかも知れない。
「朝までドライブをするか。」
それもいい案だが、啓四郎は男に殴られた箇所が痛むし、疲労していたからゆっくり休む場所が欲しかった。
「モーテルに行こう。」
啓四郎の言葉に仲里は驚いた。
「モーテルは男と女がデートする場所だろう。そんな所に男三人が入っていいのか。」
啓四郎は苦笑いした。仲里はスナックで思う存分酒を飲みはしゃぎまくりはするが浮気はしない純情な男だった。モーテルに一度も行ったことがない。
「モーテルはなにも男と女のコンビだけが行かなければならないという場所ではない。車ごと入れるから隠れる場所としては最適だ。金が高くつくのが欠点だが。」
啓四郎が運転する車はコザ市の北側にあるモーテル街に入り、モーテル街の一番奥のエリザベスというモーテルに入った。ひとつしかないツインベッドにぶんさんを寝かせた。
 昼になりぶんさんの目が覚めた。
「ぶんさん。大丈夫か。」
「ああ、啓さん。ここはどこだ。」
「モーテルだ。」
ぶんさんは回りを見渡して、監禁されていた部屋とは違うのを確認して安堵した。
「私を助けてくれたのか。ありがとう。」
ぶんさんは疲れた顔で啓四郎と仲里に礼を言った。
「昭光と一緒ではなかったのか。」
「いや、私はチャン・ミーが酒を飲ましてくれるというのでチャン・ミーの家に行った。暫く酒を飲んでいると三人の男が奥の部屋から現れて私は小部屋に監禁された。ビールが欲しい。」
啓四郎は冷蔵庫からビールを出しぶんさんに渡した。
「監禁されてからどんなことをされたのか。」
「運動公園で見た黒い大男のことを根掘り葉掘り聞かれた。運動公園に連れて行かれて、黒い大男の行動や姿について聞かれた。嫌になるほどしつこくだ。」
なぜひどい目に会わなければならないのだと呟いてぶんさんは溜息を吐いた。
「昭光がぶんさんと一緒ではなかったということは昭光はC国のスパイではなくてアメリカのスパイに捕まったのかな。」
「かも知れないが、C国の別の隠れ家に匿われていることも考えられる。」
啓四郎と仲里はぶんさんを監禁から開放したが、ぶんさんを匿うことはできなかった。モーテルから出るとぶんさんは警察に保護してもらうと言ったのでコザ警察署の近くでぶんさんを下ろし、仲里は駄菓子屋に行き、啓四郎はアパートに戻った。
ぶんさんは警察に保護してくれるように訴えたが、警察に相手にされなかった。それどころか、ぶんさんが酔っ払って警察のロビーで悪態をついても、以前は留置場に入れたがパトカーに乗せられてコザ市のはずれで解放された。ぶんさんは昼はコザ市をうろつき、夜になると街の路地裏に隠れて生活するようになった。啓四郎は昼間はアパートで眠り夜は車代行の仕事をやり、代行の仕事がなくてもアパートには戻らなかった。仲里は駄菓子屋を続けたが日が明るい時刻に駄菓子屋を閉め、夜はコザ市から遠い場所に移動し、車の中で寝たり、安宿に泊まったりして、ほとぼりが冷めるのを待った。

ぶんさんを救出してから二週間が過ぎた。まだ昭光の事故死が新聞に掲載されていないから昭光はまだ生きているという望みはあった。しかし、昭光を探す手掛かりはひとつもないので昭光を探し出すことはできない。ぶんさんの死亡事故の記事も新聞に掲載されなかったからぶんさんもまだ生きているだろうと啓四郎は思った。時々、仲里の駄菓子屋に寄っているから仲里が無事であるのは確認している。
ぶんさんから電話が入った。相談したいことがあるから会いたいという。ぶんさんと人通りの多いパークアベニューで会うことになった。ぶんさんは身を隠して生きる日々に疲れすっかりやつれていた。
「私は疲れた。寝ている時に見つかって殺されるのではないかと思うと寝ることもできない。酒を飲んで寝ると黒い大男やアメリカ人やC国人に襲われる夢ばかり見る。」
ぶんさんとパークアベニューの喫茶店に入ろうとしたがパークアベニューの喫茶店にはアメリカ人の客が居たのでぶんさんは入るのを嫌った。啓四郎はぶんさんを連れてパークアベニューの裏にある小さな食堂にはいった。ぶんさんは近況を啓四郎に話した。
「一番安全な場所は刑務所しかないと思った。万引きをやって警察に逮捕されれば刑務所に入れると考えて、ゴヤの紳士服でスーツを万引きした。でも、警察は一日で私を釈放したんだ。金額が小さいから刑務所に入れないのかなと考え、こんどは宝石店で数十万円もするネックレスを万引きして捕まった。ところが再び一日で釈放された。三度目は高級時計を万引きして捕まった。それでも昨日の昼に釈放された。なぜか警察は私を刑務所に入れないんだ。多分アメリカが私を刑務所に入れないように工作しているのだと思う。刑事が私にそっと呟いたんだ。コザの街から出て行った方がいいよって。」
ぶんさんは泣きそうな顔になっていた。
「刑事が万引きを何度やっても刑務所には入れないと言ったんだ。刑務所に入りたかったら殺人を犯すしかないと言った。そんな大それたことは私にはできない。」
ぶんさんは絶望していた。
「警察も助けてくれない。コザの街から出て行っても、こんな小さな沖縄では逃げ隠れする所なんかない。」
警察にも圧力が掛かっているということは政府レベルの事件に啓四郎たちは巻き込まれているということになる。しかし、警察はぶんさんをロイ・ハワードの組織に引き渡すのではなく釈放した。それはなぜなのか。それにチャン・ミーの組織とロイ・ハワードの組織は同じ組織なのかそれとも敵対する組織なのか。その組織の正体を暴くことができれば対策の立てようもあるのだが、啓四郎は名も無い貧乏な庶民だ。権力もないし金もない。啓四郎にはぶんさんや啓四郎にふりかかった災難の謎を解くのは荷が重過ぎる。
「啓さん。金を貸してくれないか。私は大阪に逃げる。大阪なら安全だと思う。」
ぶんさんは大阪に逃げ、大阪でホームレス生活をしようとしていた。ぶんさんの言う通り、刑務所に入ることができなければ沖縄に安全な場所はないということになるかも知れない。那覇に住もうと名護に住もうと離島に住もうと沖縄という島は世界地図に載らないくらい小さいのだから隠れ場所なんてないのに等しい。啓四郎はぶんさんに同情し、金を貸す約束をした。啓四郎が金を貸すということになってぶんさんは安堵した。
「じょうさんは元気にしているかな。大阪に行く前にじょうさんに会いたい。」
運動公園の黒い大男の話を最初にしたのはじょうさんだった。そのじょうさんは黒い大男が現れて梅さんが殺されたことに恐怖してゴザから逃れて実家に帰った。その後のじょうさんに会った人間は一人も居なかった。雨の夜に黒い大男を見たのはぶんさん、じょうさん、たっちゅう、がっぱい、梅さん、五郎、諸味里、昭光に啓四郎と仲里の十人だった。梅さん、がっぱい、諸味里、たっちゅうの四人が死んで昭光は行方不明である。生き残っているのはぶんさんと仲里と啓四郎に五郎とじょうさんの五人だ。
「じょうさんはどうしているのか。」
「じょうさんは黒い大男が怖くなってやんばるの実家に戻ったままだ。」
「ぶんさんはじょうさんの家を知っているのか。」
ぶんさんとじょうさんと死んだがっぱいは若い頃から道路工事の労務をやっていて、時々現場が一緒なるので友人になり、お互いの実家にも行ったことがあった。ぶんさんは数回じょうさんの家に行った。じょうさんの家はコザ市から車で北に一時間程の小さな山村にあった。啓四郎もじょうさんの近況を知りたかったし、じょうさんの住む村にロイ・ハワードの仲間やチャン・ミーの仲間が姿を現したことがあるのかどうか、じょうさんは無事であるのかどうか確かめたかった。啓四郎の車でじょうさんの家に行くことにした。啓四郎はぶんさんを自分のアパートに連れて行き、風呂に入れた。一時間程して啓四郎とぶんさんはアパートを出た。
 海岸線を四十分走り、名護市に入った。じょうさんの家は名護市から山中に入り、曲がりくねった道路を二十分程走った山の中腹にあった。一帯はみかん畑が広がり、西の方には青い海原が見えた。じょうさんの家の前で車を停め、ぶんさんと啓四郎はじょうさんの家の庭に入って行った。家は十五坪の木製の粗末な家で戸は開け放たれて家の中は丸見えだった。「ごめんください。」と言いながら家の軒下に来て家の中を覗いたが、家の中からは返事がなく人の姿も見えなかった。啓四郎とぶんさんはみかん畑のある裏山に行った。山道は細く、急傾斜になっていて足腰が弱っているぶんさんは何度も転びそうになった。みかん畑には草刈りをしている痩せて黒く日に焼けた老人が居た。ぶんさんの父親である。
「隆盛は居ないですか。」
ぶんさんが聞くと老人は訝るようにぶんさんを見ていたが、ぶんさんの顔を思い出したようで微笑んだ。
「やあ、確かあんたは息子の友だちでしたな。」
「隆盛は居ますか、」
ぶんさんはじょうさんのことを聞くとじょうさんの父親は顔を曇らせた。
「居ないよ。」
父親の意外な返答に啓四郎とぶんさんは顔を見合わせた。
「隆盛は実家に行くと言っていましたが、家に来なかったのですか。」
「来たよ。しかし、三日で居なくなった。」
じょうさんの父親は溜息をついた。
「わしの預金から三十万を抜き出してな。家から居なくなった。心を入れ替えて、みかん畑でわしと一緒に働くと言ってわしを喜ばせておきながら・・・・・。あいつは駄目な男じゃ。」
そう言うとじょうさんの父親は啓四郎たちから離れてみかん畑の中へ入って行った。

「じょうさんはどこへ行ったのだろう。コザに戻っていれば私に連絡してくるはずだ。連絡がないということはコザに戻ってはいないということだ。もしかして本土に行ったのかな。」
「そうに違いない。じょうさんは沖縄に居ることが恐くなって本土に逃げたのだろう。」
「沖縄は狭いから。逃げ場がない。啓さんも沖縄から離れた方がいい。」
ぶんさんの話に啓四郎は頷いた。頷いたがぶんさんのように本土に逃げることに迷いがあった。こんな不況時代では本土に行っても仕事が見つかるかどうか不安である。ぶんさんはホームレス生活でもいいと考えているが啓四郎はホームレスになるのは嫌だった。

 翌朝、啓四郎は那覇空港までぶんさんを連れていった。ぶんさんに五万円を渡すと、ぶんさんは何度もお辞儀をしてターミナルに入って行った。

 啓四郎は仲里の居る駄菓子屋に行き、ぶんさんのことを話した。
「僕は妻子への仕送りがあるのでお金を稼がないといけない。ここを離れるわけには行かない。」
仲里はシャーベットの準備の手を休ませずに行った。
「長男は大学に行っているし長女は高校二年生だ。学費が掛かる。母親が九州に行ってもいいというなら土地やアパートを売ってさっさと九州に引っ越すが、母は絶対に九州には行かないと言い張っている。入院しているのだから沖縄の病院と九州の病院に大した違いはないのだから九州の病院でもいいじゃないかと説得しても承知してくれない。住む所はどこでも同じだと僕は考えるが、古い人間はそうではないらしい。困ったもんだよ。」
と笑いながら言った。仲里の母親は一年近く入院している。
「捕まらないようにしながらなんとかやっていくしかない。お前も本土に引越しをする積もりか。」
仲里は冷蔵庫を開け、ファンタグレープの缶を取り出して啓四郎に渡してから、シャーベット用に冷やしてある水道水の入ったボトルを取り出しながら啓四郎はどうするのかを聞いた。
「迷っている。本土で生活できればいいが。不況な時代だから仕事を見つけるのが難しい。年も年だしね。浮浪者になってまで生き延びようという気持ちにはなれない。それになぜ俺たちの命が狙われるのが府に落ちないし納得できない。黒い大男を見ただけで殺すというのは変だよ。」
「変だけど。国家から見れば僕達は虫けらみたいなものだし、黒い大男の噂が広がらないためには虫けらは軽く始末するということじゃないのか。」
仲里はボトルから水を飲みながら他人事のように言った。
「おいおい。そんなことを言っていいのか。お前も殺される対象に入っているのかも知れないのだぞ。お前が殺されたら奥さんへの仕送り途絶えてしまう。娘さんは大学にいけなくなる。」
「それは大丈夫。僕が死ねば土地とアパートを売ればいい。五千万円くらいにはなる。僕が死ねば僕の奥さんは大金持ちになれるよ。」
と言って愉快そうに笑った。
「ていは殺されるのが怖くないのか。」
「そりゃあ怖いさ。」
とにこにこしながら仲里は言った。
「俺はコザの密集地でアメリカ人が来ない場所に部屋を探すことにした。そんな場所なら見付からないだろう。これから空家を探すよ。」
啓四郎は仲里の駄菓子屋を出ると知り合いの不動産屋に行き、アパートを探した。今のアパートはロス・ハワードのグループに知られているかも知れないから住むわけにはいかない。一日も早くアパートを引っ越すことが必要である。不動産屋から数件の空いている部屋を聞き、隠れ家に最適であるかどうか確かめるために三件の部屋を回って見た。啓四郎はコザ市の北側に戦争直後に栄えた市場跡にある粗末な部屋を借りることにした。

引越しは仲里が手伝った。仲里は卸屋からお菓子などを仕入れるのに必要な軽貨物車を持っていた。引越しといっても啓四郎の荷物は少なかったので軽貨物車一台に啓四郎の荷物は全部載った。引越しを終えると啓四郎と仲里は引っ越し祝いとしてビールを飲んだ。啓四郎は愚痴った。
「俺達が犯罪を犯したわけではないのに隠れなければならないのは理不尽だよ。」
「仕方がないさ。」
「いつまで隠れた生活をしなければならないのだろう。」
「ミスターN・Hが捕まるまでだろう。長くは掛からないと僕は思う。」
啓四郎と仲里は愚痴を肴にしてビールを飲み続けた。
「もう、ビールはないぞ。」
窓がパラパラと音を立てた。大粒の雨が窓のガラスを叩いている。
「近くに酒屋はあるのか。」
啓四郎は時計を見た。十時になっていた。
「あるにはあるが八十歳を過ぎた婆さんの店だから七時には閉まる。大通りにあるコンビニまで行かないと開いている店はないな。」
啓四郎は窓から外を覗いた。外は大雨だ。
「台風が台湾に接近しているのと前線が沖縄諸島にやって来ている性だろうな。」
大雨は止みそうにない。
「コンビニに行くまでにはずぶ濡れになるな。」
これからの長い夜。酒がなければ過ごすことができない。二人はずぶ濡れるのを承知で酒を買いに外に出た。立ち並ぶ低い家の軒を伝わりながら二人は路地を歩き、車が通る大通りに出た。旧市街地の夜は活気がなく、闇に包まれ、車も滅多に通らない。啓四郎と仲里が旧市場の軒下に立ち、雨を防ぐダンボールを見つけてダンボールを頭に乗せて雨の中に出ようとした時、空きのタクシーがやって来た。二人はタクシーを止めてタクシーに乗り込んだ。
「お客さん。どこまで行きますか。」
というタクシーの運転手が聞くと、
「仲ノ町。」
と仲里は条件反射的に応えた。啓四郎は驚いて仲里の顔を見た。仲里は上機嫌な顔をして、「仲ノ町」とタクシーに行ったこともまるで覚えていない様子だ。
「おい、仲里。仲ノ町はまずいだろう。」
啓四郎に言われても仲里は気付いていない。
「チャン・ミーやロイ・ハワードの仲間に見つかったらヤバイだろうが。」
啓四郎に言われて中里は我に帰った。
「あ、そうか。仲ノ町に行くのは拙いな。でも、」
と言って身を乗り出してタクシーのフロントガラスを見た。フロントガラスに大粒の雨が次から次へと当たり、ウィンードーブレーカーが忙しく雨水をはじき出してもフロントガラスの視界は悪かった。
「今日は大雨だ。大丈夫だよ。」
啓四郎もフロントガラスを見た。雨はすごい土砂降りになっていて視界はゼロに近い。タクシーの運転手は身を乗り出して前方に目を凝らしタクシーを亀のようにゆっくりと走らせている。啓四郎も仲里の考えに同意したくなった。もう、一ヶ月近くスナックに行っていない。ストレスはかなり溜まっている。アルコールが体中に回っている啓四郎はチャン・ミーやロイ・ハワードの組織に捕まる恐怖よりスナックに行きたいという欲望の方が上まわっていた。アルコールは自由になりたい欲求や楽しい空間を欲する気持ちを高まらせ殺される恐怖でさえも吹き飛ばしてしまう。豪雨の夜はスナックの客は少ない。客が少なければ中年の男だってもてる。豪雨の向こうに酒を飲み女と楽しい時間を過ごせるスナックが手招きをしているように感じた。
「そうだな。この大雨なら俺たちを探し回らないだろう。仲ノ町に行くか。」
仲里は啓四郎の言葉に喜びの拍手をした。
「それによ、この大雨だ。他の客は来ていないだろう。今日なら僕達はもてるぞ。」
仲里の言葉に啓四郎の心も浮き浮きしてきた。
 タクシーは仲ノ町の北のはずれにあるスナック童夢の入り口で停まった。タクシーのドアが開くと大きい雨粒が車内に入り込んできた、啓四郎と仲里はほんの一メートルの距離を勢いよく走り、童夢のドアを思い切り開くと勢いよく童夢の中に駆け込んだ。
「いらっしゃーい、仲里さん。」
「ひどい雨だ。」
とにこにこ言いながら仲里はカウンターの席に座った。童夢のママはいそいそと乾いたタオルを持ってきて啓四郎と仲里に渡した。
「遠路はるばる大雨の中を童夢にいらっしてくれましてありがとうございます。どうもご苦労様でした。」
仲里が言った通り客は一人も居なかった。
「啓四郎。今日は我が天下だ。思いっきり飲もう。」
と仲里が言うと、
「あーら、仲里さんはいつも思いっきり飲んでいますことよ。」
とママは皮肉を言った。
「そうかな。」
と仲里は頭を掻きながら照れくさそうに笑った。
「ヒロミちゃん。歌を歌って。」
仲里は自分の失言を誤魔化すように小銭入れから百円玉を十枚ほど出すとカウンターの小皿に置いた。
「まだ早いわ。私は酔っ払わないと歌えないもの。」
とヒロミは仲里に注文を聞かないでさっさとあわもりの500mlボトルをカウンターに出し、四つのコップにあわもりを注いだ。酒は進み、ママとヒロミに啓四郎と仲里の四人、啓四郎と仲里にとって最高の宴であった。
啓四郎は酔っ払ってくるとどうしても行きたくなるおでん屋があった。若い頃は仲ノ町小町と呼ばれたほどの美人の啓子が母親と二人でやっているおでん屋だ。啓四郎はこっそりと携帯電話を取り出しおでん屋ゆきのに電話した。
「もしもし、ゆきのですか。」
その時ヒロミがカラオケを歌い出した。啓四郎はカラオケの音が大きいために電話の声が聞きづらいので外に出た。相変わらず大雨だ。啓四郎は雨を避け、ドアに身を寄せながら電話をした。
「もしもし、啓四郎だが。」
「あら啓さん久しぶり。どこに居るの。」
「童夢に居る。今から行きたいがいいかな。」
啓四郎は仲里と飲む時は途中で抜け出して一時間はおでん屋に行く癖がついていた。最初の頃は仲里も誘っておでん屋ゆきのに連れて行ったが、仲里は酒を飲む時はおでんを食べる気になれないので行かなくなった。啓四郎もおでんが食べたくておでん屋ゆきのに行くのではない。美人の啓子の顔を見、会話するのが目的である。啓四郎は電話を切り、おでん屋ゆきのに行ってくることを童夢のママに断わってから外にでようとした時、黒い雨ガッパを着た二人の人間が目の前を横切って行った。走る音に何気なく二人の人間を見て啓四郎は肝を潰した。なんと二人のうちの一人はチャン・ミーだった。啓四郎は無意識に身を隠して二人を目で追った。チャン・ミーと男は五十メートル先の十字路まで行くと暫く立ち止まり、右手の方に走り去った。大雨なのにチャン・ミーとその仲間は仲ノ町にいた。ひょっとしてミスターN・Hが仲ノ町に現れたのだろうか。啓四郎はスナックの中に戻り、ヒロミの歌に酔いしれている仲里の腕を掴んで強引にスナックの隅に連れて行って急いで啓四郎のアパートに帰ろうと説得した。しかし、すっかり酔って悦楽状態の仲里は渋った。
「チャン・ミーを見たんだ。ひょっとするとチャン・ミーの仲間が仲ノ町を歩き回っている可能性がある。」
チャン・ミーを見掛けたことを話しても仲里は動じなかった。
「チャン・ミーなんかほっとけよ。ボクはチャン・ミーなんか知らない。なあ、啓四郎。僕の人生の最上の喜びはダーイ好きな女性と一緒に酒を飲むことだ。ヒロミちゃんと酒を飲んでヒロミちゃんと話をしてヒロミちゃんの歌を聞く。これが僕の最高の喜び。なあ分かるだろう。今、最高に幸せなのだ。チャン・ミーだかチン・ミーだか知らないが僕の幸せを奪う権利はない。啓四郎。酒を飲もう。人生を楽しもう。」
仲里が特別にヒロミが好きであるわけではない。たまたまヒロミが相手になっているだけであり、ヒロミではなく別の女性が仲里の相手をしていたらその女性を好きであると言っただろう。啓四郎は仲里の肩を揺さぶった。
「仲里。酔いを覚ませ。いいか、仲ノ町にはチャン・ミーと彼女の仲間が歩き回っているんだ。仲ノ町に居るとチャン・ミーの仲間に見つかってしまうかも知れない。早く、仲ノ町から離れなくてはならない。」
アルコールが体中を駆け巡っている仲里は気が大きくなり、チャン・ミーへの恐怖が無くなっていた。啓四郎に肩を揺さぶられても正気に戻りそうにはなかった。強引に連れて帰るしかないと啓四郎は思った。
「ママ、タクシーを呼んでくれ。」
「え、もう帰るの啓さん。」
「ああ、ちょっと事情があってな。」
タクシーを呼ぶことに仲里が猛反対した。受話器を掴んでいるママの所に走ってきて、受話器を奪って元に戻した。
「タクシーは呼ぶな。さあ、飲もう。ヒロミちゃん歌を歌って。」
仲里はカウンター戻り、ヒロミと乾杯をした。啓四郎は仲里の側に座り仲里を説得した。
「仲里。帰ろう。なあ、帰ろう。」
仲里は啓四郎の声が聞えない振りをして、ヒロミやママと喋った。
「ママ、啓四郎に酒を注いでよ。酒が足りないから分けの分からないことを言うのだ。僕はコザで生まれコザで育った。コザは僕達のテリトリーだよ。なぜ自分の土地でびくびくして生きなくてはならないんだ。あいつらがのさばっていることが間違っている。そうだよなママ。啓四郎、僕はきっぱりとあいつらに言ってやる。ここは僕達の場所だ。僕達はこの地で自由に生きる権利がある。お前達はさっさとここから出て行けとな。僕は正しいことを言っているよなママ。」
仲里の気持ちはますます大きくなり、意地でも仲ノ町で酒を飲み続けようとしていた。ママは分けの分からない仲里の言葉に首を傾げた。首をかしげながら、
「そうですよね。今夜はおおいに飲みましょう。」
と言い、微笑しながら仲里と乾杯をした。乾杯をし酒を飲み干した後、
「今日の仲里さんと啓さんは変よ。なにかあったの。」
啓四郎がママに話す前に仲里が、
「何も無い何も無い。そうだよな啓四郎。さあ飲もう。今日はママとヒロミがずっと僕達の相手をしてくれる。最高の夜だ。今日は朝まで飲もう。」
仲里の粋のいい声に調子者のヒロミも「飲もう飲もう。」とはしゃいだ。啓四郎は外の様子が気になったが、仲里はてこでも動きそうにない。啓四郎は仕方なく仲里の側に座った。チャン・ミーは啓四郎に気付かなかっただろう。スナックの中に居ればチャン・ミーのグループに見つかることもないだろうと啓四郎は考え直し、暫くはスナックに残ることにした。
 しかし、啓四郎の推理は甘かった。チャン・ミーは啓四郎の存在に気付いていた。啓四郎の顔は見ていないが、啓四郎が童夢の入り口に居る姿はチャン・ミーの視覚の残像に残っていた。チャン・ミーの第六感は一瞬視界に入ったスナックのドアの前に立っていた影の男が啓四郎かも知れないと思った。ミスターN・Hがコザに現れたという情報がチャン・ミーの組織に入り、チャン・ミーの組織はコザ一帯に分散してミスターN・Hを探し回っていた。ミスターN・Hの情報はロイ・ハワードの組織にも入り、ロイ・ハワードの組織もコザ一帯で活動していたからチャン・ミーの組織とロイ・ハワードの組織の小競り合いも勃発していた。大雨の夜は啓四郎と仲里にとって仲ノ町は最も危険な場所になっていた。
チャン・ミーはミスターN・Hの姿を見たという仲間の連絡で仲ノ町の中央通りにやってきた。しかし、ミスターN・Hと思っていたのは背の高い黒人兵の酔っ払いであった。酔っ払いの黒人兵が大雨の中をふらふらとカデナ空軍基地の第三ゲートに向かって歩いているのだ。ミスターN・Hと思っていたのが背の高い黒人をであったと報告を受けたチャン・ミーは仲ノ町に入って来た時に目に入ったスナックのドアの前に立っていた男が気になり、男の正体を確かめることにした。チャン・ミーはスナック童夢に戻った。ドアに近づいてそうっと中を覗いた。スナックの中で啓四郎と仲里が酒を飲んでいることを確認するとボスに連絡し、ボスは仲ノ町一帯に散らばっている五人の仲間に童夢の回りに終結するように連絡をした。

 ざーっと雨の振る音が入り口の方から聞えてきた。スナック童夢のドアが開いて外の大雨の音がスナックの中に入って来たのだ。ママは雨音に条件反射をして、
「いらっしゃいませ。」
と言いながら入り口の方を見た。ママの言葉に釣られて啓四郎と仲里とヒロミもスナックの入り口を振り向いた。
「いらっしゃいませー。」
ヒロミが元気な声で新しい客を迎えた。ママとヒロミは新しい客に思わず「きれい。」と呟き、羨望の眼差しをした。啓四郎は新しい客を見て一瞬にして体が凍りついた。ところが仲里は新しい客を見てもにこにこしている。
「女の客でもよろしいかしら。」
鮮やかなチャイナドレスのチェン・ミーは美しく、チャン・ミーの正体を知っていなければ啓四郎も浮き浮きしていた筈である。チャン・ミーはスナックの中に入ると座る場所に戸惑った振りをした。
「私、どこに座ったらいいかしら。」
するとすっかり酔っている仲里が椅子を移動して、啓四郎と仲里の間の席を空け、
「どうぞどうぞ。こっちに座って。」
と、あろうことかチャン・ミーを手招きしたのだ。啓四郎は驚いて仲里を見た。酔っている仲里はチャン・ミーを恐れるどころかチャン・ミーの美しさに見とれてすっかり心を奪われている。チャン・ミーは「私がその席に座ってもよろしいのかしら。」としおらしく言いながら、啓四郎に軽く会釈した。チャン・ミーは啓四郎と初対面であるような表情をして遠慮ぎみに啓四郎と仲里の隣に座った。啓四郎が素面であったら体を強張らせてチャン・ミーへの恐怖心を態度に出していただろうが、啓四郎もかなり酒を飲んでいて素面の時のような緊張をすることはできなかった。頭の中ではチャン・ミーを恐れ、チャン・ミーの仲間に連れ去られるかも知れないという危機感がありながら、アルコールは緊張感や危機感を和らげ、チャン・ミーを張り倒してでも直ぐに逃げようとする決心を鈍らせた。チャン・ミーから魅惑的な香りが発散していた。清純なレモンの香りがし、レモンの香りは真っ赤で妖艶な薔薇の花弁をイメージさせる香りを内包していた。
「この店に来るのは初めてですよね。」
ママは大雨の突然の訪問者を訝りながら聞いた。
「はい、初めてです。突然お邪魔して済みません。」
「日本人ではありませんよね。お名前は。」
チャン・ミーは名前を聞かれて困ったように仲里と啓四郎を見た。「チャン・ミーと言うよ、ママ。」
仲里が自慢するように言った。チャン・ミーは仲里が自分の名前を知っていることに驚いた振りをした。
「まあ、私の名前を知っていたのですか。光栄です。あなたのお名前はなんというのですか。」
「僕の名前は仲里です。こいつは啓四郎と言います。チャン・ミーさん。僕達の酒を飲んで下さい。」
「いえ、それは余りにもあつかましいことですわ。私もお酒を注文します。」
「いえいえ、遠慮しないで飲んで下さい。ママ、グラスを出して。」
仲里は強引にチャン・ミーに自分達の酒を飲ました。十分程経った時、チャン・ミーの携帯電話が鳴った。電話は短く、チャン・ミーは「分かりました。」と返事をして携帯電話を納めた。
「すみません。私は失礼します。友達が待っています。」
と言って席を離れながら、
「仲里さんと啓四郎さんも私と来ませんか。ほんの一時間でいいです。私の友達のスナックに行きませんか。若くで美人の子が一杯いますよ。」
啓四郎はチャン・ミーの狙いを知っている。仲里と啓四郎を外に連れ出すのがチャン・ミーの目的であるのははっきりとしている。外にはチャン・ミーの仲間が待機しているだろう。外に出てしまえば捕まってしまう。一巻の終わりだ。啓四郎が断ろうとしたら、仲里がはしゃいで直ぐに、「行く行く。」と言い出した。啓四郎は仲里の言葉に仰天した。チャン・ミーの清純と妖艶が融合した美しさと香りに仲里は魅了され、チャン・ミーが仲里と啓四郎にとって危険な人間であることを忘れてしまったのだろうか。
仲里はうきうきしながら席を離れてチャン・ミーの後ろについて行った。啓四郎は仲里を呼びチャン・ミーに付いて行くのを思い止まらせようとした。仲里は逆に「来いよ。」と手招きをした。チャン・ミーはドアの前に立って啓四郎と仲里が来るのを待っている。啓四郎を誘っている仲里を引き止めようと啓四郎は席を離れて仲里に接近した。仲里は啓四郎が前進しただけ後ろ向きに移動してチャン・ミーの方に近づいた。次第に仲里がドアの方に近づき、啓四郎と仲里を見守っていたチャン・ミーがドアから出ようとした瞬間に仲里は予想外の行動をした。チャン・ミーを外に突き飛ばしてドアを閉め、鍵を掛けた。ふらつきながら啓四郎の所にやって来ると真顔になって、「早く早く。」と啓四郎の手招きしながらスナックの奥に移動した。仲里の異常な行動に驚いたママが「どうしたの仲里さん。」と言ったが、仲里はママの声を無視してスナックの奥のキッチンに入っていった。キッチンには裏口があり、仲里は裏口を開けると啓四郎を手招きして外に出た。ガラスが叩き割られる音がしてママとヒロミの悲鳴が聞えた。裏口には隣のビルとわずか五十センチ幅の路地があった。裏口から出るとビルの屋上から雨水が滝のように落ちてきて一瞬の内に啓四郎と仲里はずぶ濡れになった。ビルの落水に叩き潰されそうになりながら啓四郎と仲里はビルの裏道を走って逃げた。二階建てや三階建てや四階建てや五階建てのビルが混在している仲ノ町の裏道は人間が一人しか通れない迷路になっている。啓四郎と仲里はビルとビルの間の裏道を滝のような雨水に打たれながら走り続けた。右に曲がり左に曲がり、ブロック塀を乗り越え、五、六分走ると通りに出た。二人は身を潜めながら通りの様子を見た。人影が見当たらないのを確かめると大通りを横切って反対側の路地に潜り込んだ。大通りを渡りきった時に背後で声が聞えた。どうやらチャン・ミーの仲間に見つかったようだ。啓四郎と仲里は迷路のような路地を走り回り、通りを横切り再び路地に潜り込む行動を繰り返した。仲ノ町を北に下り、西に逃げ、再び北に下り仲ノ町の北外れまで逃げた。
「どうする。ゲート通りを越えて一番街に逃げようか。」
啓四郎の提案に仲里は首を横に振った。
「あそこはアーケード通りになっていて隠れる場所がない。僕について来て。」
コザで生まれてコザで育った仲里はコザの表通りも裏通りも熟知していた。仲里は暗い裏道に入ると一軒家の屋敷に入り、庭を横切って塀を越えた。路地を暫く移動して二つの塀を越えて古いコンクリート建ての裏側に入った。
「ここに通じる路地はない。ここはどこからも入って来れないエアーポケットのようになっている場所だ。ここで暫く休もう。」
啓四郎と仲里は古いビルの軒下に身を潜めた。
「仲里。お前がチャン・ミーと一緒に出て行こうとした時は肝を冷やした。」
「へへ、チャン・ミーは美人だったなあ。」
仲里は照れ笑いをした。
「本気でチャン・ミーについて行く気だったのか。」
「そんなわけはない。チャン・ミーが入って来た瞬間から、どうすれば逃げれるかを考えていた。酔っ払っていてもチャン・ミーの仲間に捕まったら命が危ないということは分かっているよ。」
啓四郎と仲里は逃げる相談した。一番安全な逃げ場所は十字路の東側にある警察署である。啓四郎と仲里は雨宿りを理由にして警察署に逃げ込むことにした。塀を越えて暗い路地に降りて背を屈めて移動した。路地から裏通りに出て、仲ノ町の中央通りを横切ると再び路地に入り、行き止まりの塀を乗り越えたりしながら国道に出た。大雨の深夜。行き交う車はまばらだった。啓四郎と仲里は国道に出ると国道を一気に横切り、警察署を目指して走った。十字路を右に曲がり、警察署の灯が見えた場所に来た時、前方に人影が見えた。啓四郎と仲里は立ち止まり、人影の正体を確かめながらゆっくりと進んだ。すると人影は仲里と啓四郎に向かって走って来た。人影は二人だ。仲里と啓四郎は走って来る人影の正体を確かめることはできなかったが走って近づいて来るので、条件反射的に後ずさりした。啓四郎と仲里は走って来る人影は警察署の前で待ち伏せしていたチャン・ミーの仲間であるに違いないと思い、十字路の方に逃げた。人影はどんどん近づいて来る。啓四郎と仲里は十字路を越えてゲートに向かって逃げた。十字路から百メートル逃げた所で啓四郎が捕まった。背中を捕まれ危うく倒されそうになりながら啓四郎は街路樹のヤシの木を掴んで倒されるのを免れた。啓四郎はヤシの木を盾にして男の攻撃を免れていたが啓四郎より俊敏な動きをする男からいつまでも逃れることはできそうにもない。仲里は啓四郎に構わずに逃げた。もう一人の男は仲里を追って行った。
 啓四郎は身構えながら後ずさりして車道に出た。啓四郎が身構えたので男は闇雲に飛び掛ることはしないで啓四郎との間を詰めてきた。男が間を詰めると啓四郎は後ずさりして間を離した。車道で啓四郎と男は対峙した。その時雨の中をヘッドライトの明かりが近づいてきた。ヘッドライトの明かりは啓四郎と男が対峙している場所にスピードを落とさずに突っ込んできたので啓四郎は危うく轢かれそうになった。啓四郎は突っ込んできた車を避けて尻餅をついた。車は啓四郎と対峙していた男に向かって進み男はよけることができないで車に突き飛ばされた。車は急停車するとドアが開いてアメリカ人が出てきた。アメリカ人は拳銃を構えながら啓四郎を襲った男の方に近づいて行った。啓四郎を襲った男は車に撥ね飛ばされたが肉体が頑丈らしく、直ぐに起き上がり身構えた。アメリカ人が拳銃を撃つ前に横に飛び、回転すると起き上がり歩道のヤシの木に隠れた。啓四郎は思わぬ展開に驚き、呆然とアメリカ人と中国人の対決を見ていたが、我に返ると急いでその場から逃げた。としゃぶりで道路は水が溜まっている。水の抵抗を跳ね返しながら啓四郎は走った。車道を横切り、一目散に走り、一番街の裏側まで逃げると路地に入り路地からビルの裏の奥に隠れると仲里に電話した。
仲里は直ぐに電話に出た。
「もしもし。仲里。大丈夫か。」
「ああ、大丈夫だ。君は大丈夫か。」
「ああ。仲里はどこに入るのか。」
「僕は金城タバコ屋の軒下に隠れている。」
金城タバコ屋を啓四郎は知らなかった。
「金城タバコ屋はどこにあるのだ。」
「仲ノ町の西通りの一番北側の十字路から北に五十メートル離れた場所にある。お前はどこに隠れているのだ。」
「一番外の裏側に来ている。」
「一番外の裏側のどこに居るのか。」
啓四郎はビルの表に出た。ビルの一階はクムイという喫茶店になっていた。
「クムイという喫茶店があるビルに隠れている。」
「クムイだな。分かった。君の方に行く。」
仲里は啓四郎の隠れている場所に行くと言って電話を切った。啓四郎は喫茶店の裏側で仲里を待つことにした。雨は降り続き、濡れた服は啓四郎の体熱を奪って行く。夏の夜だから急に寒さを感じることはないが、じっと体を動かさないでいると悪寒がした。
 十五分経過した時に啓四郎は身を伏せながら通りを覗いた。暫くすると雨の中にヘッドライトが見え、ばしゃばしゃと水を撥ねる音が聞えてきた。仲里の走っている姿が見え、啓四郎の前を仲里を走り過ぎていった。仲里に続いて車が通り過ぎた。啓四郎は建物の角に隠れながら車の行方を追った。車は五十メートル先の角を左に曲がって消えた。仲里はうまく逃げ切れるか心配になったが啓四郎の身も安全とは言えない。啓四郎はこの場所からどこに移動した方が安全か考えた。仲ノ町からできるだけ遠く離れた方が安全だろうとは考えたが、チャン・ミーの仲間と争っている時に車で突っ込んできたアメリカ人はロイ・ハワードの仲間だろう。チャン・ミーの仲間だけでなくロイ・ハワードのグループもコザ一帯を徘徊し続けているとしたら、どこが安全な場所か分からない。遠くへ逃げるより動き回らないで路地やビルの裏側に隠れて朝を待った方がいいかも知れない。啓四郎は安全な隠れ場所を探すことにした。啓四郎が路地から飛び出そうとした時、背後から声がした。振り返ると仲里が立っていた。
「大丈夫だったか。」
「なんとか逃げ切れた。」
と言う仲里は息も切れていないし余裕のある顔をしている。
「早く安全な場所へ逃げよう。」
「一番街を越えて市役所の下の方に逃げよう。あの一帯は車道が狭く住宅密集地になっている。」
啓四郎と仲里は歩道に出て、車も人影も見当たらないことを確かめると車道を横切って裏通りに入り一番街に向かった。一番街はアーケードに覆われた東西南北に五百メートルの広がりがある商店街で深夜でも外灯が点いていた。啓四郎と仲里は一番天街に入ると東に向かって走った。ところが一番街の中央辺りまで走った時、仲里が急に足を止めて、十字路の左角に隠れて南に延びている歩道を覗いた。啓四郎は仲里が居ないことに気付き振り返った。仲里は手で啓四郎を仕切りに呼んでいた。
「あの男はお前を調査したというロバートというアメリカ人ではないのか。」
啓四郎は十字路の角から覗いた。アーケードの出口付近で痩せて背の高いアメリカ人が時計を見ながらそわそわしている。そのアメリカ人は仲里が指摘した通りロバートだった。
「お前の言った通り、あの男はロバートだ。」
「強そうにないな。お前と僕で捕まえることができそうだ。」
「え、ロバートを捕まえてどうする積もりだ。」
仲里は真面目な顔で、
「彼とミスターN・Hについて話し合いたい。ミスターN・Hについての僕の仮説がどれほどの論理的正当性があるか彼の意見を聞いてみたい。」
啓四郎は仲里の言葉が信じられなかった。啓四郎達はロバートの仲間に追われている立場にある。そんな時に敵側の人間と論争はないだろう。それに、仲里はミスターN・Hについてやじ馬程度の内容しか話さなかったし強い関心は示さなかった。それなのに命の危険にさらされている状況でロバートを捕まえてミスターN・Hについて論争しようとしている。啓四郎は仲里の心情が理解できなかった。
「ロバートとどんな話をしたいのだ。」
と啓四郎が呆れた顔で言ったが、中里は真面目な顔で、
「ミスターN・Hが無機質な物体なのかそれとも遺伝子を持つ有機質な生物なのかどうかが大きな問題だ。無機質な物体であるなら、ロボットということになるが、そうなると思考回路や神経回路、伸縮システムがどのような構造になっているか。僕は遺伝子を有した有機体だと思うんだ。その遺伝子のスイッチが自在に入れ直すことが出来、しかも短期間で遺伝子の命令で変形するのではないかと思う。ミスターN・Hは神経体と動力体の二つで構成されているのではないか。神経体は感覚と思考が未分離状態だと思う。そのためにミスターN・Hの思考はまだ発達していないと僕は想定しているのだ。」
啓四郎は仲里の話がまるっきり分からなかった。啓四郎にミスターN・Hについて仲里が本気で話さなかった理由がなんとなく理解した。仲里の専門的な話は啓四郎には理解できそうにないから仲里はミスターN・Hに対する真面目な話を啓四郎とはやる気がなかったのだ。
「ロバートにばれずに接近するのは難しいのじゃないかな。」
と啓四郎が言うと、
「大丈夫。任せて。」
と言って仲里は角から三番目の建物と四番目の建物の間の隙間に入った。人間が横ばいでぎりぎりに通れる隙間だが、その隙間を抜けると路地があり、仲里は路地に出ると新たな建物と建物の間の隙間に入りロバートの立っている場所に進んだ。ロバートが立っている場所の近くの路地に出ると啓四郎と仲里はロバートを路地に引きずり込んだ。ロバートは啓四郎を見て驚いた。
「オオ、あなたは啓四郎さん。あなたはアメリカに護送されたのではなかったのですか。ロイはあなたはアメリカに護送されたから私があなたから調書を取ることができなくなったと言いました。」
啓四郎がロバートに話す前に仲里はミスターN・Hに対する自論をロバートに話した。
「ミスターN・Hは特殊な遺伝子で構成されていると思う。」
ロバートは仲里の話に戸惑った様子を見せた。啓四郎は仲里が日本の大学院に行った人間であることを伝え、仲里に仲里の専門分野をロバートに教えるように言った。仲里は大学で電気の超伝導と電気エネルギーの力エネルギー転換の研究をしていたことを説明し、ドクター・シュレッターの草稿を読んだことがあることを話した。
「そうですか。私は哺乳類動物の突然変異と遺伝子の関係を研究しています。」
「ロバートはドクター・シュレッターのことを知っているのか。」
「知りません。ドクター・シュレッターの論文を整理しているのですが私の専門外の論文が多く私には難解なものばかりです。」
仲里とロバートの討論は次第に熱を帯びていった。科学者同士の討論は啓四郎にはさっぱり理解できなかった。二人の討論を黙って聞いていた。チャン・ミーやロイ・ハワードの仲間に追われているという現実があるというのに、仲里はそのことをすっかり忘れていたし、ロバートはロイ・ハワードの組織の人間であり仲里と啓四郎を捕らえる組織の側の人間であるのに、ロバートもそのことはすっかり忘れ、ミスターN・Hの正体について二人の科学者は討論した。討論に熱が帯びにつれて二人の科学者の声は次第に大きくなり、首を縦に振って同意したり横に振って反論をした。二人のいる裏通りは何時の間にか大学の研究室になっていた。
「ミスターN・Hの捕獲方法は考え出したのか。」
「正体が分かりませんから捕獲方法も思いつきません。しかし・・・・」
ロバートは苦笑しながら言った。
「ミスターN・Hが生命体であっても非生命体であっても動き回るにはエネルギーが必要です。エネルギーを使い果たしたら弱るはずです。私がロイに提案したのはミスターN・Hが生命体なら電気ショックを与えて動けなくすることとミスターN・Hを追い掛け回してエネルギーを消耗させて捕獲することです。とにかくミスターN・Hの正体が分からないのですから適切な捕獲方法は分かりません。」
「捕獲したら研究用にミスターN・Hを生かしておくのか。」
「それは分かりません。」
お互いの考えを出し合ったロバートと仲里の討論は小休止した。
「仲里さんは有機質と無機質の融合生命体を造りだすことは可能だと思いますか。」
「不可能だよ。有機質を構成しているのが無機質ではあるが有機質と無機質の存在理由は異なる。そもそも今の科学は無機質から新たな生命体を作り出せない。無機質を使って遺伝子を組み立てることができない限り本当の意味で生命体を造りだすことにはならないし、それは理論的には可能だが現代科学では不可能だ。」
と仲里が言うとロバートは、
「そうですか。」
と言った。啓四郎は別人のような仲里の顔をしげしげと見つめた。啓四郎の前では見せたことのない目つきがするどく淡々とした仲里の顔だ。学生の頃、毎夜演劇クラブ室で酒を飲みどんちゃん騒ぎをやり裸踊りさえした仲里が大学院に進学したのが不思議だったがロバートと討論している仲里を見ると納得することができた。仲里はクラブ室の酒の座では演劇や文学の論争はまるで駄目だった。酒を飲んでわーわー騒いでいたのが仲里だ。仲里の脳は完全に理科系であり文化系の才能はゼロなのだろう。しかし、これほどまでに極端な理科系人間は滅多に居ない。

「ロパート。」
と呼ぶ声が聞えた。
「どうやら私を迎えに来たようです。」
ロバートは立ち上がり啓四郎、仲里と握手した。
「今夜は会えてよかったです。二人が無事に逃げることを祈ります。」
ロバートは路地から出て行った。
 啓四郎と仲里は一番街の大通りに戻り、急いで一番街を出ると国道339号線を横切った。どしゃぶりはまだ止まない。
「これからどうする。タクシーに乗るのも怖いな。ロイ・ハワードの仲間も動いているが分かった。チャン・ミーの仲間にロイ・ハワードの仲間がコザ一帯をうようよしていたとしたらタクシーを待っている間に見つかるかも知れないしタクシーに乗ったとしても彼らがタクシーを見逃してくれる保障はない。」
「歩いて帰ろう。」
「遠いよ。それより近くの路地の奥に隠れた方が安全ではないのか。」
と啓四郎は言ったが、
「濡れた服のままじっとしていたら風邪を引く。家に帰って体を温めた方がいい。」
と仲里は言った。確かに若くはない肉体は一晩中濡れた服を着ていると重い風邪に掛かるかもしれない。啓四郎と仲里は啓四郎の借家に歩いて帰ることにした。

啓四郎と仲里は大雨の中を歩き続けた。人影らしきものが見えると路地に逃げこみ、車のライトが見えると建物の影に隠れた。
「風邪を引くかもしれないな。」
濡れた体が冷えてきた。体を温めるためには走り続けた方がいいかも知れないが疲れた肉体ではそういうわけにもいかない。二人はゴヤの中通りを抜け、ゴヤ一町目の病院街を横切ってくすの木通りに出た。右左を見て人影もヘッドライトの灯も見えないのを確認してから車道を横切ってゴヤ二町目に入った。人家の間を進み、啓四郎と仲里は啓四郎のアパートのある南方に向かって歩き続けた。ゴヤ三町目を過ぎ、ゴヤ四町目を過ぎ、園田一町目の路地に入り、園田二町目の路地を急いでいると遠くの方で人間のうめき声が聞えた。啓四郎と仲里と顔を見合わせた。再び男のうめき声が聞こえた。声の聞こえる方を見ていると複数の人間の影が見えてきてその影は次第に近づいてくる。「うえー。」とか「うわー。」とか争っているような声であった。啓四郎と仲里は近づいて来る集団から離れるために走り始めた。園田二町目は新しい住宅が隣り合わせで並んでいて狭い路地はなかった。啓四郎と仲里は路地のない通りを走った。争っている集団の移動は以外に早くどんどん近づいてくる。啓四郎と仲里は全力で逃げた。服はびしょ濡れ、靴の中にも水が充満して足は重く道路は水が溜まっているので思うように走れない。それでも背後の争っている音は次第に小さくなっていった。
啓四郎と仲里は十字路を左に曲がった。なだらかな坂を啓四郎と仲里はゆっくりと走った。雨は相変わらず土砂降りで、道路は川のように濁流となっていた。坂を走っていると前方に二つの丸い灯が見えた。車のヘッドライトの明かりだ。ヘッドライトの明かりは次第に近づいてくる。ロイ・ハワードの仲間の車ではないだろうかという恐怖が啓四郎に走り、走る歩を緩めて隠れることができそうな場所を探した。しかし、道路は塀が続き、身を隠す場所がなかった。二人は顔を伏せて歩いた。後ろの方で叫び声が聞えた。振り返ると黒い大男の回りを五、六人の男たちが取り巻いていた。黒い大男は前に進み続けているが、黒い大男を取り巻く男たちは獲物を襲う狼のように次から次へと黒い大男に飛び掛かって行った。しかし、黒い大男にしがみついても振り払われていた。黒い大男はミスターN・Hに違いない。ミスターN・Hを囲んでいる男達は声からするとチャン・ミーの仲間だろう。ミスターN・Hと男達は十字路を真っ直ぐに進み視界から消えていった。啓四郎はミスターN・Hと彼を追っている集団が十字路から消えてほっとした。ヘッドライトの灯りのスピードが増して啓四郎たちの側を通り過ぎて行った。車は十字路を左折して消えた。車に乗っていたのはロイ・ハワードの仲間に違いない。ミスターN・Hを追って十字路を左折したのだろう。もし、車の人間がミスターN・Hを見付けなかったら啓四郎達が狙われていたに違いない。暫くすると仲里が足を止めて、啓四郎を呼んだ。
「どうした仲里。疲れたのか。」
「いや、疲れてはいない。啓四郎。」
と言って中里は啓四郎に寄って来た。
「ミスターN・Hの後をつけよう。ミスターN・Hとロイ・ハワードの仲間とチャン・ミーの仲間の三つ巴戦を見学したくないか。」
ロイ・ハワードの組織とチャン・ミーの組織はミスターN・Hを捕獲するのが目的である。ミスターN・Hが現れたのだから啓四郎や仲里を追いかける可能性は低い。彼らに見つけられないように隠れながら見物することはできる。一生に一度しか見られないであろう怪物の捕り物とアメリカのスパイとC国のスパイの争いだ。啓四郎に見たくない理由はない。啓四郎は頷いた。
 仲里と啓四郎は小走りで十字路にやって来ると左側の道路を覗いた。雨の中で所々に点灯している街灯の白い光りに煌いている雨の滝が見えるだけで人影は見えなかった。二人は小走りでミスターN・Hの後を追った。道路は百メートル過ぎると道路は右に湾曲していて昇り坂になっていた。耳を澄ましたが争う声は聞えてこない。啓四郎と仲里は坂を昇った。仲里が啓四郎の肩を叩いた。
「聞えたか。」
「いや、なにも聞えなかった。」
「いや、確かに聞えた。向こうの方だ。急ごう。」
啓四郎には雨が道路や建物を叩く音や下水道を流れる水の音しか聞えなかったが仲里にはミスターN・Hと争う音が聞えたようだ。二人は足を速めた。その時、後ろの方からヘッドライトの明かりが登場し、道路上の水を弾きながら猛スピードで近づいてきて啓四郎と仲里の側を通り過ぎていった。この車もロイ・ハワードの仲間なのだろうか。それとも、関係のない一般の人が運転していたのだろうか。暫くすると再び後方からヘッドライトの灯が現れ、啓四郎の側を通り過ぎて行った。しかし、その車は三十メートル程離れた場所に来るとスピードを落として停まった。啓四郎は悪い予感がした。歩をゆっくりと進めた。後方から新たなヘッドライトの灯りが現れ、啓四郎たちの後ろに来ると停まった。中から二人のアメリカ人が出てきた。坂道で通り過ぎた車は啓四郎と仲里を見つけて他の仲間に連絡したのだろう。啓四郎と仲里を捕まえる為に車から出てきたのは明らかだ。啓四郎と仲里は走って逃げた。すると前方に停まっている車からも一人のアメリカ人が出てきて近づいてきた。啓四郎と仲里は挟み撃ちされた。ロイ・ハワードの組織は啓四郎と仲里の存在も忘れていなかったのだ。ミスターN・Hに気を奪われて自分達のことはないがしろにするだろうというのは軽率な判断であったことを啓四郎は後悔した。
屈強なアメリカ人にとても勝てそうにない。啓四郎がありったけの力で殴っても相手は痛くも痒くもないだろう。しかし、おとなしくつかまるわけにはいかない。逃げ場がないか道路沿いの建物の隙間を探したが見当たらない。啓四郎と仲里は三人のアメリカ人に囲まれた。啓四郎は車道を横切って逃げようとしたが後ろから襟首を捕まれて後ろに放り投げられた。腰を車道に打ちそのまま濁流が流れる車道の上を滑っていった。啓四郎は起き上がって逃げようとしたが右手首を捕まえられると腕を背中の方に捩じられ、顎は腕に挟まれて動けなくなった。足をばたつかせて体を振り解こうとしてもびくともしない。腕を捩じられたまま啓四郎は引き摺られた。車に押し込める積もりだろう。なんとか振り解こうと必死に体をばたつかせたが子供と大人のような力の差があり、啓四郎はどんどん車の方に引き摺られていった。もう逃げることができないと諦めかけた時、「う。」と背後で声がして捩じ上げていた手が緩み離れた。体が自由になり後ろを振り返ると、啓四郎を掴んでいたアメリカ人の体がくるっと宙を舞って路上に叩きつけられた。路上に叩きつけられたアメリカ人は横腹を押さえながらもがいていた。
「大丈夫か。」
仲里は啓四郎を掴んで立たせた。啓四郎は事情が飲み込めず困惑した。
「お前がアメリカ人を投げたのか。」
「そうだ。他のアメリカ人も気を失っている。」
啓四郎は体の小さい中里が三人のアメリカ人をやっつけたことが信じられなかった。
「車に乗って逃げよう。」
アメリカ人が乗っていた車はヘッドライトが点いていた。エンジンは掛かったままだろう。歩くより車の方が楽であるし安全である。啓四郎と仲里は前方の車に向かった。車に乗ろうとした時助手席が開いてロバートが出てきた。
「捕まらなくてよかったです。」
ロバートは啓四郎と仲里が捕まらなかったのを喜んでいた。
「ロバート。この車を僕達が借りるよ。」
「どうぞ。」
ロバートは車から離れた。啓四郎は運転席に乗った。助手席に仲里が乗ろうとした時、ロバートは仲里に近寄り、
「中里さん。ミスターN・Hを見たいとは思いませんか。」
と言った。助手席に入りかけた仲里はロバートを向いた。
「ミスターN・HはC国のスパイ団に囲まれながら逃げています。ミスターN・HがC国のスパイ団に捕まえられる前に捕まえようとロイ・ハワードは全員に集合を掛けています。そして海兵隊の特殊部隊も出動することになりました。ミスターN・Hの居所を私は分かります。」
ロバートは携帯電話を翳した。仲里は啓四郎に、
「どうしようか。」
と言った。仲里の顔はロバートと一緒にミスターN・Hを見に行きたいと言っている。啓四郎はロバートが信用できるか不安だった。ロバートがその気になればロイ・ハワードの仲間の所に案内して啓四郎達を捕縛させることもできる。
「ロバートはロイ・ハワードの仲間だ。信用していいのかな。」
「大丈夫だ。ロバートは科学者であってロイ・ハワードの仲間ではない。危ない時は逃げればいい。」
元科学者である仲里はミスターN・Hの正体を知りたいという欲望が高まり、危険は二の次であった。啓四郎もミスターN・Hを見たいという好奇心はあった。
「分かった。行こう。」
ロバートは助手席に座り、仲里は後部座席に座った。ロバートは携帯電話を取り出して電話をし、ミスターN・Hの居場所を聞いた。
「コザシティー野球場の近くにミスターN・Hは居ます。急ぎましょう。」
啓四郎が運転する車は国道339号線に出ると北に向かった。コザ市の上地に入ると左折してコザシティー野球場に向かった。二つの十字路を過ぎるとコザシティー野球場である。啓四郎はコザシティー野球場に近くなるに従い車のスピードを落とした。前方に車が停まっていて二人のMPが検問をしていた。啓四郎は車を停めた。
「どうする。」
啓四郎は仲里に聞いた。ロバートは電話をして現在の状況を詳しく聞いた。
「ミスターN・Hはコザシティー野球場の広場でC国のスパイ団九人に囲まれているそうです。海兵隊の特殊部隊もまもなく到着するようです。トム・ハワードの仲間の全員が到着してから包囲網を敷いて、ミスターN・Hの捕獲作戦を実行します。C国のスパイ団も一網打尽にする計画です。実行は十分後です。早くコザシティー野球場に行きましょう。」
ロバートはコザシティー野球場に啓四郎と仲里を連れて行こうとした。しかし、コザシティー野球場はロイ・ハワードやアメリカ特殊部隊に囲まれた世界である。啓四郎達を知っているロイ・ハワードの仲間に見付かれば捕まってしまう可能性がある。啓四郎はこれ以上車を進める勇気はなかった。
「私と一緒に居れば大丈夫です。」
とロバートは言ったが啓四郎の不安は消えなかった。
「仲里。これ以上進むのは危険だ。」
「ロバートと一緒に車の中に居れば大丈夫だよ。早く行こう。」
一分一秒でも早くミスターN・Hを見たい仲里はロイ・ハワードの仲間やアメリカ特殊部隊の中に入り込む危険よりミスターN・Hへの好奇心の方が勝っていた。好奇心の方が命の危険より優先する学者タイプの仲里と好奇心よりは命の危険性を優先する普通の人間のタイプである自分との違いを啓四郎は知った。啓四郎は仲里と同じ気持ちにはなれなかった。
「いや駄目だ。俺は行かない。俺は車を下りる。」
仲里は啓四郎の言葉を信じられないという顔をした。
「どうして。」
「敵の中に入り込むなんて狂い沙汰だ。俺は行かない。」
啓四郎たちが車の中で話し合っている間に次々とコザシティー野球場の周りに四方八方から車が集まり、ぞろぞろとアメリカ人が出てきた。啓四郎達の車の側を何台も車が通り過ぎた。車が通り過ぎる度に啓四郎は恐怖した。
「分かった。お前が行かないのなら僕も行かない。それじゃあ車を下りて野球場広場の木々の闇に隠れながら接近しよう。それならいいだろう。」
啓四郎は承諾した。するとロバートが、
「私もあなたたちと一緒に行きます。」
と、啓四郎や仲里と一緒に行きたいと言い出した。
「私はミスターN・Hについて仲里さんの意見を聞きたいです。」
その時ロバートの携帯電話が鳴った。相手はロイ・ハワードだった。早くコザシティー野球場に来るようにとロイ・ハワードは言い、ロバートは車が故障しているからコザシティー野球場に着くのは遅れると嘘をついた。ロバートが電話している間に啓四郎達の車の存在に気づいたMPが近寄ってきた。啓四郎はロバートの肩を叩いて近づいて来るMPを指さした。ロバートは近づいて来るMPに気づくとロイにできるだけ早く行くと言って電話を切り、急いで車を出て車を睨みながら歩いて来るMPに近づいて胸ポケットから身分証を出した。MPは豆電灯で照らしながら身分証を確かめると戻っていった。ロバートは戻ってきた。
「ロイの話だと海兵隊の特殊部隊が到着したので数分後に行動を開始するそうです。ミスターN・HとC国のスパイを一気に捕まえる作戦のようです。急ぎましょう。」
三人は車を下りるとコザシティー野球場奥の広場の中に侵入した。激しい雨が枝葉を叩いている。ぽたぽたと大きな雫が背中や肩に落ちた。仲里が先頭になり三人は闇の中を歩いてコザシティー野球場の入り口の方に進んだ。

 白い街灯の光線に雨が白い線の光になって落ちて来るコザシティー野球場の入り口広場にはC国の男達が黒い大男を囲んでいた。二人の男がミスターN・Hの足に絡みつき動きを止めようとしたが足はするりと抜け、腹に組み付いた男の首を掴むんで放り投げた。後ろから腰を掴み他の男が胸にしがみ付いたが、ミスターN・Hは男の首を掴むと高々と持ち上げ投げようとした。男は足を肩に回して首を掴んでいる腕を両手で外し反転するとミスターN・Hから離れて身構えた。男達は武術家のように闘いに慣れているようだ。ミスターN・Hは西側の広場に歩き始めた。すると二人の男がミスターN・Hに飛び掛りミスターN・Hを倒そうとしたが弾き飛ばされた。仲里とロバートはミスターN・Hと男達との争いをじっくりと観察した。
「ミスターN・Hには目鼻口耳はないようですね。」
「いや、小さくてここからは見えないということも考えられる。腕や足の動きがなんとなく変だ。関節があるようでないようで。」
「そうですね。擬似間接のようです。軟体動物のように腕や足のどの箇所でも曲がるが、基本的に人間の関節を支点にした動きですね。体のバランスはいいようだ。倒れそうで倒れない。」
「いや、体のバランスは悪い。動きがぎこちないのは体のバランスが悪い性だ。」
「しかし、あれほど激しくぶつかっても倒れないということはバランスがいいということです。」
「倒れないのは類い稀な力と体に柔軟性があるせいだ。歩くときにぎこちないということは体のバランスが悪い性だ。」
「そうでしょうか。」
ロバートは仲里の推察に同意できないようだ。
「目はないと思いますよ。相手を攻撃しないのは目がない証拠です。捕まれてから反撃しています。目はないが皮膚の知覚はあるというこどになります。」
「そうかも知れない。」
「ミスターN・Hは生体と思いますかそれともロボットと思いますか。」
「ううん、どちらとも言えるしどちらとも言えない。」

その時、二十人余りの迷彩服を着たアメリカ兵が一斉に広場に現れ、C国の男達を囲んだ。アメリカ兵の半数は軽機関銃や拳銃を持っている。大声で警告を発するとC国男達は動きが止まった。アメリカ兵とC国の男達は睨み合いが続き、アメリカ兵のグループは次第に輪を縮めていった。ミスターN・HはC国の男達の輪から抜け広場の西の方に歩き始めた。ミスターN・Hを捕まえようとアメリカ兵の数人がミスターN・Hに飛び掛ったが二人は路上に転がされ、一人はアメリカ兵の輪の中に投げ飛ばされた。アメリカ兵の輪が崩れた瞬間にC国の男達は一斉にアメリカ兵に飛び掛っていった。激しい肉弾戦が雨の中で繰り広げられた。
「チャン・ミーもあの中に居るのかな。チャイナ服の人間は居ないからチャン・ミーは居ないかもな。」
仲里は心配そうに呟いた。
「俺が仲ノ町で最初に見た時はズボンを着けていた。スナックに入った時のチャン・ミーは俺たちの気を引くためにチャイナ服を着けたはずだ。今は戦闘服を着けていると思う。」
「それではあの闘いの中にチャン・ミーが居るかも知れないのだ
。大丈夫かな。美しい顔に傷をつけないかな。心配だ。」
チャン・ミーを心配している仲里に啓四郎は苦笑した。
「仲里さん。携帯電話を持っていますか。」
ロバートが聞いたので仲里は持っていると言って携帯電話をロバートに見せた。仲里の携帯電話を取ると自分の電話番号を打ちこんだ。ロバートの携帯電話が鳴ったのを確認してから仲里に携帯電話を返した。ロバートはアメリカ兵とC国のスパイの争いには興味がなかった。視界から消えたミスターN・Hをロバートは気になっていた。
「私はミスターN・Hを追って行きます。後で電話します。仲里さんもなにかあったら私に電話してください。」
ロバートは携帯電話をポケットに入れるとコザシティー野球場の入り口広場に行き、アメリカ兵とC国の男達が戦っている場所を避けて通り過ぎるとミスターN・Hが去った方向に消えて行った。
 コザシティー野球場の広場のアメリカ兵対C国スパイの戦闘は入り乱れて五分五分の闘いだったが続々と新たなアメリカ兵が戦闘に参加してC国のスパイは不利な状況になってきた。不利な状況に追い込まれたC国のスパイ団は四方八方に逃げ始めた。コザシティー野球場の広場から三人のC国スパイが啓四郎達が潜んでいる場所に向かって逃げてきた。
「ここに居たら俺たちも争いに巻き込まれる。逃げよう。」
啓四郎と仲里は道路とは反対側のデイゴや蘇鉄や松の木が植わっている広場の奥の方に逃げた。ところが逃げている三人の中の一人は啓四郎達と同じ方向に逃げてきた。パンパンと数初の銃声が聞えた。啓四郎と仲里は左側に方向を変え、広場のはずれにある木の裏に隠れた。拳銃の弾に肩を打ち抜かれたC国のスパイは二人のアメリカ兵に追いつかれて格闘を始めた。C国のスパイは体が小さく、大柄なアメリカ兵に比べると子供のようだ。しかし、C国のスパイはかなりの武術家のようで二人のアメリカ兵に簡単に組み伏せられることはなく抵抗した。
「あれはチャン・ミーではないのか。」
仲里が言った。啓四郎は目を凝らして小柄なC国の人間を見たが闇の中では顔を判別することはできなかった。しかし、動きを見れば女性であることを想像させた。その時稲光が走り、一瞬の間広場は明るくなった。争っている三人の姿がはっきり見え、C国の人間の顔が見えた。仲里が言った通りその顔はチャン・ミーであった。チャン・ミーがいくら武術で鍛えていても二人のアメリカ兵も戦闘に長けた男達である。チャン・ミーはアメリカ兵に組み伏せられてしまった。
「チャン・ミーを助けよう。」
予想していない仲里の言葉であった。ぶんさんを誘拐し、啓四郎や仲里を捕まえようとしていたチャン・ミーを助けるのは自分の危険要素を増やすだけである。啓四郎はチャン・ミーを助ける気にはなれなかった。それにチャン・ミーを助けようとしたら屈強なアメリカ兵に逆に自分の方がやられてしまうかも知れない。啓四郎は屈強なアメリカ兵を襲うことに戸惑ったが、仲里は言うと同時に飛び出していった。仲里に引っ張られるように啓四郎も走り出した。チャン・ミーの腕を後ろに回して締め上げていた男に仲里は体当たりをした。啓四郎は拳銃をチャン・ミーに向けているアメリカ兵に飛びついた。アメリカ兵は後ろから不意に体当たりされたので前につんのめった。地面は濡れていて啓四郎は足を滑らせて相手のアメリカ兵と一緒に転んだ。啓四郎はアメリカ兵に飛びついた瞬間に体力の差を感じ一対一の闘いで勝てる相手ではないと感じたがもう戦うしかない。啓四郎は無我夢中でアメリカ兵に馬乗りになろうとしたが足が滑って思うように動けない。それでもアメリカ兵の胸倉を掴んで一発殴ったが効果があるようには思われなかった。逆に肩を捕まれ体勢は逆転し、下に組しかれそうになった。あわててアメリカ兵の足にしがみ付いた。太い腕が啓四郎の顔を掴み、啓四郎の顔は地面に打ち付けられた。脇腹に拳を打ち込まれ息ができなくなる程の痛みが走った。啓四郎は必死に反撃しようとしたが体格も大きいし体力の鍛えも数段上のアメリカ兵には啓四郎の攻撃は通用しなかった。アメリカ兵が啓四郎に馬乗りになった時に起き上がったチャン・ミーがアメリカ兵の顎を蹴った。アメリカ兵は声も出さずに横倒しに倒れて動かなくなった。啓四郎は痛い腹を押さえながら立ち上がった。チャン・ミーは啓四郎の顔を見て驚いたが、なにも言わず逃げて行った。啓四郎は当たりを見回して仲里を探した。アメリカ兵が横たわっている十メートル程離れた場所から中里は啓四郎の所に寄ってきた。
「アメリカ兵をやっつけたのか。」
「まあな。チャン・ミーはどうした。」
「逃げて行った。」
仲里は「そうか。」と言ってほっとした。
「俺たちも逃げよう。」
啓四郎は仲里の同意を求める前に広場の外の方向に走り出した。仲里は啓四郎を呼び止めたが啓四郎は仲里の声を無視して走った。仲里は仕方なく啓四郎の後ろについてきた。コザシティー野球場の広場から出て数百メートル走って住宅街の中に来た時、啓四郎は走るのを止めた。仲里は啓四郎と並んで歩きながら野球場に戻ってミスターN・Hとアメリカ兵の戦いを見物しようと言ったが啓四郎は仲里の引き止めに応じないで歩を進めた。住宅街を歩き続けて野球場からかなり離れた場所にやってきて啓四郎の恐怖は和らいできた。
「ミスターN・Hはどこに逃げたかな。」
仲里はまだミスターN・Hを見たい欲求があったが啓四郎は死の恐怖から逃れたかった。
「早く安全な場所に逃げよう。ロイ・ハワードの仲間はミスターN・Hを捕まえるのに懸命になっているはずだから逃げるチャンスだ。急いでアパートに戻ろう。」
仲里は不満な顔をしたが啓四郎の後ろを付いて来た。
 仲里の携帯電話が鳴った。ロバートからの電話だった。
「仲里さん。ミスターN・Hは野球場の中に逃げました。私が予測していた通りミスターN・Hのエネルギーは無限ではありませんでした。かなり弱っています。仲里さん。早く野球場に来て下さい。ミスターN・Hは捕まるでしょう。仲里さんにも見て欲しいです。ミスターN・Hについて仲里さんの意見を聞きたいです。」
仲里はロバートの電話を聞いているうちに野球場に戻りミスターN・Hの捕り物劇を見たい欲求が強くなった。
「啓四郎。野球場に戻ろう。」
啓四郎は野球場に戻ることに反対した。
「アメリカ兵は拳銃を持っている。見付かったら殺されるかも知れない。危険すぎる。さっきだって運が悪かったら殺されたかも知れない。俺は行きたくない。」
啓四郎は野球場に戻ることを嫌った。しかし、仲里は一人でもコザシティー野球場に行くといって譲らなかった。
「てい。よく考えろ。ミスターN・Hを見たってミスターN・Hを直接調べることはできない。ミスターN・Hの正体を知ることができてもなんの得にもならない。野球場へ行けば捕まってしまう。行かないほうがいい。」
啓四郎は仲里を説得したが啓四郎の説得は仲里の好奇心を萎えさせることはできなかった。
「分かった。お前は帰れ。僕ひとりで行くよ。」
仲里は携帯電話をホルダーに納めると野球場の方に歩き始めた。啓四郎は慌てて仲里の前に立ち塞がって仲里を止めた。
「行くのは止めろ。命は惜しくないのか。」
仲里は、
「命は惜しいよ。でも、ミスターN・Hとアメリカ兵の戦いは見ものだ。一生に一度しか見れない凄いショーを見ないなんて生きている意味がない。人生を楽しまなくちゃ。」
啓四郎は仲里の一途な好奇心に苦笑いするしかなかった。
「仕方がない。俺も行く。ていはまるで子供だな。」
二人はコザシティー野球場に向かった。

 雨は小降りになってきた。暗い夜空には稲光りが盛んに走る。再び土砂降りになるかも知れない。数時間も雨に濡れた啓四郎と仲里の体は冷えていた。
「体が冷えて寒気がする。コンビニで酒を買ってから野球場に行こう。」
「そうだな。」
啓四郎の提案に一秒でも早くコザシティー野球場に行きたい筈の仲里も頷いた。びしょ濡れの服は二人のからだから熱を奪い続けていた。体を温める必要がある。それにはアルコールを体内の血に流し込むのが一番いい方法だ。コンビニは十分程歩いた場所にあった。ミスターN・Hとロイ・ハワードのグループはコザシティー野球場に集まり、チャン・ミーの仲間は命からがら散会したから啓四郎と仲里は二つの危険グループに狙われる心配がなくなっていた。二人は襲われる恐怖もなく隠れないで通りを歩いた。
 深夜のコンビニは客が居なかった。ずぶ濡れの浮浪者のような姿の中年の客にコンビニの店員は用心したが、二人はウィスキーを一本と紙コップを買うとコンビニを出た。
 コップから口の中へウィスキーが浸入し、ウィスキーは喉を熱くして胃の中へ下りて行った。啓四郎は建物の軒下で腰を下ろし、雨を避けてウィスキーを飲みたがったが一刻も早くコザシティー野球場に行きたい仲里がそれを許さなかった。
コザシティー野球場は啓四郎の予想以上に危険な状況になっていた。コザシティー野球場入り口一帯には数台のMPのパトカーが赤いランプを点滅させ、五、六台の軍用ジープやトラックが道路沿いに駐車していた。一帯はまるで戦場のようなものものしい状況になっていた。啓四郎と仲里は道路から右に折れ住宅街の方に移動した。
「MPや軍隊も動員している。野球場の回りはどこもかしこもMPや軍隊が警戒している筈だ。これでは野球場に行くのは危険だ。」
と啓四郎は警告したが仲里の決心を鈍らせることはできなかった。二人は住宅街を通ってコザシティー野球場の広場に隣接する雑木林に入った。稲光が走り一瞬の間野球場の広場が明るくなった。二人の予想に反して表のものものしい状況と違い闇が広がる野球場の外野側の広場にはアメリカ兵やMPの姿は見当たらなかった。二人は腰を低くして塀を越えてコザシティー野球場の広場に忍び込んだ。がじゅまるや黒木やでいごの木が茂っている広場は闇に覆われていたが時折り稲光りが走って明るくなる。明るくなった瞬間はMPに見つからないかと啓四郎は思わず身をすくめた。啓四郎と仲里は木々に隠れながらコザシティー野球場の外壁に沿って移動しながらコザシティー野球場に入る裏口を探した。
「ここから球場に入れるだろう。しかし、鍵が掛かっている。」
啓四郎は裏口から入るのを諦めて、壁をよじ登って球場に入れる場所がないか探した。仲里は裏口に近寄り鍵をいじった。
「おい。鍵が開いたよ。」
「え、ほんとか。」
仲里の言う通り鍵は外れていた。
「鍵は壊れていたのか。」
「そんなところだろう。」
啓四郎と仲里は球場の中に入ると外野席に向かった。

コザシティー野球場はナイター用のライト照らされていた。黒い大男を迷彩服を着けた十数人の兵士たちが取り囲んでいる。グランドは格闘技場になっていた。次々と黒い男に迷彩服の兵士達は襲い掛かった。黒い大男は襲ってくる兵士たちを次々と放り投げた。大男を取り巻く輪は弾き飛ばされて乱れた。輪の後方に居たウォーカー軍曹が号令すると黒い大男を囲んでいた迷彩服の男たちが後退した。
 機関銃を構えた二人の兵士が出てきて、黒い大男に向けて機関銃を連射した。二つの機関銃が火を吹き、黒い大男は十メートル以上も弾き飛ばされ野球場の壁にぶつかった。そのまま倒れ込むと思ったが黒い大男はなにも無かったように壁伝いに歩き始めた。黒い大男に向かって再び二つの機関銃が火を吹いた。壁と大男に数百発の弾丸が打ち込まれ、黒い大男の背後の壁に弾丸がぶつかりコンクリートが悲鳴を上げているように聞こえる。機関銃の火が吹くと黒い大男は肉体がひきちぎられるようにもがいた。まるで断末魔のもがき苦しみの踊りを演じているようだ。しかし、機関銃の発射音が止むと黒い大男はなにごともなかったように歩き始めた。
 ウォーカー軍曹が号令を掛けると、十数名の迷彩服の男たちが球場の壁沿いを歩いている黒い大男を囲み、次々と黒い大男に襲い掛かり球場の壁に押し付けた。壁に押さえつけた男を後ろの男が抑えつけるようにして十人以上の迷彩服が球場の壁に張り付いた状態になった。兵士達に押さえつけられた黒い大男は身動きができないと思われたのだが、黒い大男は圧力をすり抜けると次々と迷彩服の兵士たちを放り投げた。迷彩服の壁は崩れ、黒い大男は迷彩服の兵士達を踏み潰したり放り投げながら、ウォーカー軍曹の方に向かって進んだ。
 黒い大男=ミスターN・Hの態度が変わった。これまでは逃げながら襲い掛かってくる兵士だけを振り払っていたが、ミスターN・Hは態度を豹変させて逆襲を始めた。思いも寄らぬミスターN・Hの逆襲は特殊部隊を戸惑わせた。目も鼻も口もないミスターN・Hがどのような知覚能力を持っているのかは知らないが、視力の弱い人間のように動きながら兵士達を追いまわした。ウォーカー軍曹の叱咤号令で兵士は体勢を立て直してミスターN・Hを取り囲んだが攻撃をしてくるミスターN・Hにすぐに蹴散らかされてなす術はなかった。
 野球場の中に背にタンクを抱えた防火服を着けた隊員が入ってきた。脇には火炎放射器を抱えている。ケイン隊長はウォーカー軍曹にミスターN・Hを囲んでいる兵士を退却させるように命じた。兵士達は退却を始めたが攻撃的になったミスターN・Hは退却する兵士を追いかけてきた。
「ケイン隊長、これでは火炎放射器は使えません。兵士とミスターN・Hを十メートル以上は離してください。今、火炎放射器を使うと仲間の兵士を焼き殺してしまいます。」
ケイン隊長は困った顔をした。
「早くミスターN・Hから離れろ。さもないと火炎放射器に焼き殺されるぞ。」
ケイン隊長は大声で呼びかけたが、兵士を追いかけ回すミスターN・Hから兵士全員が十メートル以上離れるのは困難であった。
 火炎放射器が野球場に持ち込まれたことにロバートはロイ・ハワードに抗議した。
「ミスターN・Hは生け捕りにするべきです。殺すにしても原形は残すべきです。火炎放射器で焼き殺したら原形どころかミスターN・Hの組織が全て焼かれてしまう。それではミスターN・Hの研究ができません。直ぐに火炎放射器は撤去して下さい。」
「ミスターN・Hの捕獲は私達のグループの権限ではない。私たちの任務はミスターN・Hの情報を集めることだ。ミスターN・Hの捕獲に対しては助言だけに限られている。」
ロバートの抗議にロイ・ハワードは苦笑いして取り合わなかった。ロバートはロイ・ハワードに抗議しても取り合ってくれないので、ミスターN・H捕獲を指示しているケイン隊長に抗議することにした。
「無駄なことは止めろ。」
とロイ・ハワードはロバートを引き止めたが、ロバートはロイ・ハワードを振り切ってケイン隊長のいる一塁ベースの方に行った。ロバートはケイン隊長の前に立った。
「火炎放射器を使用するのは止めて下さい。火炎放射器は国際法でも使用が禁止されています。」
ケイン隊長はロバートを睨んだ。
「お前は何者だ。」
ケイン隊長の鋭い眼光、威圧ある声にロバートは一瞬気後れした。
「私はミスターN・H捕獲作戦のアドバイザーです。」
「アドバイザーだって。」
ケイン隊長はロバートを嘲笑しながら、側のウォーカー軍曹に聞いた。
「俺たちの部隊にアドバイザーが居たか。」
ウォーカー軍曹は火炎放射器を発射するタイミングのない状況にイライラしていた。
「いえ、聞いていません。」
ケイン隊長は疑いの目でロバートを睨んだ。鋭い眼光に睨まれたロバートはおどおどしながら、
「ロイ・ハワードと同じグループに居る者です。」
と言うと、ケイン隊長は胡散臭そうにロバートを横目に見ながらウォーカー軍曹に聞いた。
「ロイ・ハワードって誰だ。」
「ミスターN・Hの情報を収集しているCIAの情報部員です。」
「ああ、情報屋のアドバイザーねえ。ミスターN・Hの体力が落ちた時に生け捕りにしろなんてことをアドバイスされたがそのアドバイスは少しも役に立たなかった。機関銃も効果がないのだから火炎放射器を使うのは当然だ。それとも爆弾を使うか。」
ケイン隊長はロバートを見下すように笑った。
「お前達の情報は役に立たない。もうお前達情報屋の仕事は終わった。あとは俺たちの仕事だ。アドバイスは無用だ。」
「しかし、火炎放射器を使用するのは止めて下さい。ミスターN・Hが黒こげになったらミスターN・Hの正体を調べることができません。」
「ミスターN・Hの正体だって。」
「そうです。ミスターN・Hの正体はまだ解明されていません。科学的に貴重な存在です。」
「なにがミスターN・Hの正体だ。あいつに俺の隊員の一人が殺され、六人が重傷を負わされているんだ。いいか小僧、よく聞け。生捕りにすることを優先しろと上から命令されていたのは確かだ。しかし、これだけの犠牲を出しても捕獲はできなかった。機関銃でも死なない化け物なのだ。あいつが生きていると死人が増えるだけだ。一秒でも早く始末しなければならない。」
「しかし。」
とロバートが反抗しようとしたが、
「こいつを摘み出せ。」
ケイン隊長が言うと側に居た兵士二人がロバートを両方から腕を抱えて野球場の外に連れ出した。
「ウォーカー軍曹。あいつに機関銃を撃て。あいつを機関銃で後ろに吹っ飛ばしてから火炎放射器を使うのだ。」
「トニー、ミッチャム、アームストロング。」
ウォーカー軍曹は機関銃を携帯している三人を呼んだ。三人に計画を話して一緒にミスターN・Hが暴れている場所に移動した。ミスターN・Hはセンターで一人の兵士を掴んで投げようとしたが兵士は腕にしがみ付いて抵抗し、二人の兵士はミスターN・Hに殴りかかっていた。
「ジョーン。」
ウォーカー軍曹は狙撃兵のジョーンを呼んだ。ジョーンは走ってきた。
「ジョーン。今の状況では機関銃は使えない。あの三人が離れた瞬間にミスターN・H狙撃しろ。行け。」
ジョーンは狙撃銃を構えながらミスターN・Hに接近していった。ミスターN・Hにしがみ付いている兵士は数メートル投げられた。ミスターN・Hは振り返ると二人の兵士を捕まえようとした。二人の兵士は急いでミスターN・Hから離れた。ジョーンの狙撃銃が火を吹いた。鋭い銃弾はミスターN・Hの頭部に命中し、ミスターN・Hの頭部が傾いた。二発三発と銃弾は発射しミスターN・Hの胸腹頭に銃弾は命中してミスターN・Hはよろめいた。しかし、直ぐに体勢を立て直すと次々と命中する弾丸によろめくこともなく歩き始めた。三つの機関銃が同時に火を吹いた。無数の赤い閃光がミスターN・Hに突き刺さる。ミスターN・Hは赤い閃光に押されてどんどん後ずさりした。
 黒い大男から兵士達が離れた瞬間に野球場の一面が赤い光に覆われた。火炎放射器から赤い炎の柱が飛び出しミスターN・Hを赤い炎が包んだ。

 仲里の携帯電話が鳴った。野球場から放り出されたロバートからだった。
「仲里さん。どこに居ますか。」
「野球場の外野席にいる。」
「火炎放射器が準備されました。ミスターN・Hが火炎放射器で焼かれようとしています。なんとか生け捕りしようと思っていましたが駄目でした。仲里さん。ミスターN・Hを生け捕りをする方法はないですか。」
ロバートは泣きそうな声になっていた。仲里は返事に困った。
「さあ、僕には思いつかない。」
「そうですか。私は仲里さんの所に行きます。」
仲里は慌てて「それは困る。」と言ったが、ロバートは仲里の返事を聞かずに電話を切った。ロバートは三塁のダッグアウトの通路に入り観客席に上がった。啓四郎と仲里が潜んでいる外野席に向かった。
「やあ、仲里さん。」
ロバートは啓四郎と仲里を見つけると近寄ってきた。仲里はロバートに身を屈めるように言った。
「仲里さん。ミスターN・Hの正体が分かりましたか。ミスターN・Hには目鼻口耳がありません。それなのに知覚はあるようです。どう思いますか仲里さん。」
若い科学者の質問に仲里は答えるのに戸惑った。仲里の専門は超伝導であって人間の知覚について専門的に勉強したことがなかった。
「全身に神経があり、それが知覚の働きをしているのではないかな。」
仲里は無難に答えた。
「そうですか。ミスターN・Hの知覚神経はこうもりと似ている知覚神経なのでしょうか。」
とロバートが仲里に聞いた時、外野席が赤く輝き熱風が襲ってきた。火炎放射器が火柱を放ち、火柱がミスターN・Hの全身を覆い包んだ。
「オーノー。」
ロバートは絶叫した。横一直線の火柱はミスターN・Hの全身に激しくぶつかりミスターN・Hは火達磨になった。ミスターN・Hの体にぶつかった炎が四方八方に飛び散った。炎に包まれたミスターN・Hはよろけながら歩いている。動きは鈍くなり今にも倒れそうだ。ロバートは立ち上がり大声で抗議した。するとどこからかロバートをめがけて弾丸が連続して飛んできた。弾丸のひとつがロバートの肩を射抜いた。ロバートは肩を射抜かれて後ろに倒れこんだ。
「仲里。ここは危ない。逃げよう。」
啓四郎と仲里は肩から血を流しているロバートを連れて、身を屈めながら移動して、出入口から球場の下に逃げた。

 ミスターN・Hは炎に包まれて外野をよろけながら歩いた。火炎放射器の炎で焼かれたためなのだろうか体は小さくなり動きは鈍くなっていた。
「隊長、もう一度火炎放射器を放ちますか。」
「待て。様子を見よう。」
ミスターN・Hの体から炎は消えて雨水が水蒸気となりミスターN・Hの体から白い煙が立ち昇った。ケイン隊長は双眼鏡でミスターN・Hの体を観察した。ニメートルを越す巨人が二十センチ程小さくなっていた。火炎放射器の炎で焼かれたために小さくなったとケイン隊長は期待したが、双眼鏡で見るミスターN・Hは炎で焼かれて小さくなったにしては体形が変わっていない。焼かれたというより収縮したように見える。収縮して密度が高くなった性かミスターN・Hの表面は黒光りしている。
「少しも焼けた後がない。」
と言ってウォーカー軍曹に双眼鏡を渡した。
「もう一度火炎放射器を発射しろ。」
ケイン隊長の指示を受けたウォーカー軍曹が大声で号令すると、再び火炎放射器の火柱がミスターN・Hに向かって走った。ミスターN・Hは炎に包まれ、ミスターN・Hの体はさらに小さくなって動きは鈍くなっていった。
「焼け焦げはしないが明らかに体は小さくなり動きは鈍くなっている。」
「隊長、このまま火炎放射器で攻撃し続ければミスターN・Hは死ぬ可能性があります。火炎放射器攻撃を続行しますか。」
ケイン隊長はできるなら生け捕りにするように上から命令されていた。ケイン隊長はどうするか迷った。その時、火炎放射器の燃料が切れたので燃料を補給しなければならないという連絡が入って来た。
「よし、火炎放射器の燃料補給の間にミスターN・Hを捕獲してみよう。」
ウォーカー軍曹の号令で十数名の迷彩服の兵士が外野の奥で動かなくなったミスターN・Hを捕獲するためにまわりを囲んだ。用心しながら輪を狭めて生け捕りにしようとしたが、火炎放射器の炎に包まれた後のミスターN・Hの体は数百度もあり、手を触れることができる状態ではなかった。
「ケイン隊長。ミスターN・Hの体が高温なために手を触れることができません。ミスターN・Hを捕獲するためには防火服が必要です。防火服の手配をして下さい。」
ミスターN・H捕獲に行ったウォーカー軍曹から無線連絡が入った。ケイン隊長は部下に命令して隣接するカデナアメリカ空軍基地の消防署に連絡を入れ、消防車を手配させた。
「十分後に消防車が到着する。防火服を十着準備するから、ウォーカー軍曹、防火服を着ける兵士を選べ。屈強な奴を選ぶのだぞ。」
「分かりました。」

 体温が下がるに従ってミスターN・Hの動きが戻ってきた。体も少しづつ大きくなっている。ミスターN・Hは外野席に向かって歩き始めた。ひとりの兵士がミスターN・Hに組み付いたがまだ百度を越す体温のミスターN・Hの腕に殴られて火傷を負い、グランドの上でのた打ち回った。
「手を出すな。もう直ぐ防火服が来る。」
ウォーカー軍曹は兵士達に注意した。周囲の迷彩服の兵士たちはミスターN・Hの周りを囲んで移動した。ミスターN・Hは外野席の壁の縁に立ち両手を上げた。すると両手が油圧式クレーンのようにするすると腕が伸びていって三メートルもある外野席の壁の縁を掴んだ。外野席の縁を掴んでいる腕が縮んでいきミスターN・Hの体は浮いていった。ミスターN・Hは外野席に入った。
「トニー、ミッチャム、アームストロング。」
ウォーカー軍曹は機関銃を携帯している三人を呼び、ミスターN・Hに向かって機関銃を発射させた。コンクリートの壁は無数の火花を発した。ミスターN・Hは銃弾に叩きつけられて外野席に倒れると思われたが、体が小さくなったミスターN・Hの体は硬くなり頑強になっていて機関銃から発射された銃弾を跳ね返した。
「ウォーカー軍曹。防火服に着替えた隊員をお前の方に向かわす。」
ケイン隊長からの連絡にウォーカー軍曹は、
「ケイン隊長。防護服の隊員は外野席に移動させて下さい。」
十人の防火服を着けた隊員はトラックに乗り込むと外野席へ移動して梯子を掛けて外野席に移動した。外野席に上ったミスターN・Hはゆっくりと三塁側の観客席に向かって歩いていた。
 防火服の兵士達は三塁側の観客席でミスターN・Hに追いついた。防火服の兵士による捕獲作戦が始まった。ミスターN・Hを囲んだ防火服の兵士は次々とミスターN・Hを掴んで倒そうとした。動作の鈍いミスターN・Hと防火服の兵士たちとの戦いはスローモーションのような戦いであった。三人がミスターN・Hに組み付いて倒そうとしたがミスターN・Hは三人を引き摺って歩いた。ミスターN・Hの動きは遅いが足取りはしっかりとしていて力は超人級であった。ミスターN・Hに組み付いた防火服の兵士を掴んだ腕力は桁違いに強く防火服を掴むとゆっくり体から引き離して持ち上げると観客席からグランドに投げた。横から組み付いた防火服の兵士は簡単に観客席に転がされた。
「隊長。ミスターN・Hは強すぎます。火炎放射で動きを止めないと捕獲するのは無理です。」
ケイン隊長はやっとミスターN・Hを捕獲するめどがついた。機関銃の銃弾に平気であり強靭な肉体を持つミスターN・Hを捕獲するのは不可能に思えた。しかし、ミスターN・Hは火炎放射をすれば小さくなり動かなくなる。火炎を徹底して放ち、動けなくなったミスターN・Hを防火服の兵士が格納庫に運ぶことでけりをつけることができる。ケイン隊長は計画の手順をウォーカー軍曹に伝え、ウォーカー軍曹に指揮することを命じた。
「ウォーカー軍曹。火炎放射器を三塁観客席に向かわせろ。ミスターNHの動きが止まるまで火炎を放射し続けるのだ。それからミスターN・Hを格納するトレーラーを三塁側の壁に横付けさせろ。」
「分かりました。」
ウォーカー軍曹は防火服の兵士ミスターN・Hから離れるように命令し、火炎放射器を担いでいるダンを三塁側の観客席に向かわせた。

ケイン隊長に上司から無線電話が入ってきた。これ以上は日本の警察を押さえ込むことは困難であり一刻も早くミスターN・Hを処理するようにという命令であった。コザシティー野球場一帯の道路はMPのパトカー五台を配置して交通止めにしてある。M・Pは一般の車だけでなく日本のパトカーもコザシティー野球場に近づくことを禁じていた。このような日本の領土であることを無視した行為は許されることではない。異常を察知した日本の警察がアメリカ沖縄司令部になぜMPがコザシティー野球場一帯を通行止めにしているのか問い合わせてきたのだ。軍事機密上のトラブルであり明らかにすることはできないと返答したが日本警察の承諾なしにMPが長時間通行止めをするのは越権行為だとして日本の警察は通行止めの理由を明らかにし日本の警察に対する通行止めを解除するように要求してきて日本の警察とアメリカ司令部が揉めていた。ミスターN・Hの処理をこれ以上長引かせると日本警察の介入を許さざるを得ない。それにマスコミにでも知られたらアメリカ軍の横暴な行為としてマスコミや住民に猛抗議される。道路封鎖する時間が長ければ長いほど沖縄警察の抗議は強まり、弁解が困難になるのだ。アメリカ司令部はそのことを最も恐れていた。
「分かりました。ミスターN・Hは三十分以内に処理します。」
とケイン隊長は返答して電話を切った。ケイン隊長はミスターN・Hを捕獲することに自信があった。火炎放射をやって気づいたことはミスターN・Hは高温になると体が収縮して動きが鈍くなることだ。火炎放射を放ち続ければますます体は収縮して硬直してしまうだろう。硬直させてしまえば防火服を着けた兵士たちが三塁側に横付けしたトレーラーの格納庫に運ぶのは簡単である。捕らえることが不可能に思えたミスターN・Hの捕獲作戦にやっと光明が見えてきたから司令部にケイン隊長はミスターN・Hは三十分以内に処理すると返答した。
 急に風が吹き、雷鳴が轟き雨が降ってきた。雨はすぐに土砂降りになった。激しい大粒の雨が高温のミスターN・Hの体に当たりジューと音を発してもうもうと白い噴煙のように水蒸気が舞い上がった。白い蒸気が体の回りを覆いミスターN・Hの姿が見えなくなった。
「ウォーカー軍曹。こっちからは白い蒸気の性でなにも見えない。ミスターN・Hはどんな様子だ。」
「雨で体が冷えてきたようです。体が次第に大きくなり動きも早くなってきています。」
「火炎放射器が着き次第ミスターN・Hに徹底して火炎を放射しろ。」
「今、ダンが来ました。」
「ウォーカー軍曹。のんびりとやる余裕はなくなった。日本の警察から抗議がきたらしい。私は三十分以内でミスターN・Hを処理するとトンプソン司令官に約束した。」
「え、三十分でですか。」
「そうだ。ミスターN・Hに徹底して火炎放射をするのだ。そしてミスターN・Hの動きが止まったら防火服の兵士が急いでトレーラーに運ぶのだ。この作戦はうまくいく筈だ。」
「分かりました。」

 背中に燃料タンクを担いだダンがやって来た。
「ダン、急いで火炎放射器をぶっ放せ。」
ウォーカー軍曹は大声で防火服のダンに命令をした。
「軍曹。床が濡れていて火炎放射器を使うのには足場が悪いです。」
「ダン。贅沢を言うな。さっさと火炎を放射して、あの生意気な大男を火達磨にしろ。」
ダンはコンクリートの床を踏みつけながら、滑りにくい場所に足を置くとミスターN・Hに火炎放射器の筒を向けた。その時、ダンは何者かに後ろから追突されて前のめりに転倒した。ダンに追突したのはロバートだった。ロバートも勢いのままダンと一緒に転倒した。ロバートは這ってダンに近づき、ダンの背中にある燃料タンクの蓋を開けようとした。予期せぬ襲撃にウォーカー軍曹はあっけに取られたが直ぐに気を取り直して燃料タンクを掴んでいるロバートの腕を捕まえると襟を掴んで立たせて掴んでいる腕を捩じ上げた。
「おやおや、青瓢箪の学者さんじゃありませんか。」
ロバートの腕を締め上げながらにやりと笑ったが、すぐに戦場の厳しい顔に戻り、
「こいつをMPに引き渡せ。」
と部下にロバートを渡すとダンに駆け寄ってダンを助け起こした。
「火炎放射器は大丈夫か。」
「簡単に壊れるような代物ではないですよ。」
「よし、それじゃ、火炎放射をやれ。」
ケイン隊長から無線電話が入った。
「どうした。ウォーカー。トラブルか。」
「いえ、大したことではありません。青臭い学者さんがちょっとちょっかいをやったものですから。捕まえてMPに引き渡しました。」
ケイン隊長は苦笑いをした。
「彼は特別に身分が保障されている。なにしろCIAが招待した特別任務の学者さんらしいからな。MPに渡すわけにはいかない。ロイに渡してやれ。」
「分かりました。」

 ダンの火炎放射器から再び真っ赤な火柱がゴーッと吹き出した。黒い大男は一瞬の内に炎に包まれ、激しい勢いで黒い大男にぶつかった炎は火の粉を一面に散らした。
「ミスターN・Hの動きが止まったら下のトレーラーの格納庫に運べ。」
ウォーカー軍曹は防火服を着けた兵士に指示しながらミスターN・Hの様子を見つめた。炎に包まれたミスターN・Hは火炎放射から逃れるように観客席の上の方に進み始めた。
「ミスターN・Hを上に逃がすな。」
二人の防火服の兵士がミスターNHの上の方に回りミスターN・Hの行く手を阻んだ。激しい炎の中でミスターN・Hと二人の防火服兵士の押し合いが始まった。二人はミスターN・H体当たりしてミスターN・H押し戻そうとしたが強靭なミスターN・Hは二人を押し返して観客席を上っていった。ミスターN・Hが一人の兵士の防火服を引きちぎった。防火服の腕を引きちぎられた兵士が「ギャー。」と悲鳴を上げ腕が炎に包まれながら転げ落ちた。横から飛び掛った防火服の兵士がミスターN・Hの顎を押し上げて後方に倒そうしたがミスターN・Hはびくともしない。ミスターN・Hの手が伸びて防火服の頭を掴んだ。兵士はミスターN・Hに防火服の頭を引き継ぎられて、一瞬の内に顔が炎で焼かれて悲鳴を上げることさえできないで倒れた。
 ミスターN・Hは防火服の兵士達の攻撃を撥ね退けながら観客席の最上階に達した。ダンは雨で濡れている階段を上り、階段の中段までやって来ると、雨で濡れている階段を軍靴で擦って水気を拭い足場を固めてから火炎放射器の引き金を引いた。ボォーっと丸い真っ赤な火柱が一瞬の内にミスターN・Hを再び火達磨にした。真っ赤な炎の塊を浴びながらミスターN・Hはゆっくりと階段を昇る。防火服の兵士が階段を転げ落ちた。ウォーカー軍曹は防火服の兵士がミスターN・Hには無力であることを知り防火服の兵士はミスターN・Hから離れるように指示した。雨は小降りになっていた。
「ダン。雨が小降りになった。天も我々に味方したのだ。もっと接近して火炎をどんどん放射してミスターN・Hの体温を高めろ。ブラウンとハワードはダンをカバーしろ。」
雨に濡れている観客席の階段は滑りやすくて火炎を放射しているダンが足を滑らすと危険である。ブラウンとハワードはダンの腰をしっかりと掴んでダンの体を支えてゆっくりと階段を上った。火炎放射を浴びたミスターN・Hは次第に動きが鈍くなっていった。ミスターN・Hは観客席の最上階の通路を歩いてゆっくりと照明塔の方に進んだ。ダンの放つ火炎は容赦なくミスターN・Hに襲いかかる。ミスターN・Hが照明塔に手を掛けた。ミスターN・Hは照明塔に登ろうとしている様子である。ミスターN・Hが照明塔に登ってしまったらミスターN・Hを捕獲する作業が困難になる。ダンはミスターN・Hに接近して、最後の留めとばかりに間断なく火炎を放射した。照明塔に登りかけたミスターN・Hは動かなくなった。二メートルを越していた身長は百五十センチメートルに縮まっていた。
「ウォーカー軍曹、火炎放射器の燃料が切れそうです。急いで補充タンクを持ってきてください。」
「分かった。スパーン。ダンに補充タンクを持っていけ。」
ウォーカー軍曹は観客席の中段にいる防火服の兵士に照明塔に登ろうとして動かなくなったミスターN・Hの様子を調べるように指示を出した。
 身体が縮小したミスターN・Hは凝固したように動かなくなっていた。ミスターN・Hが凝固していると報告を受けたウォーカー軍曹は観客席の最上段に行き、ダンに火炎放射を中断させて、動かなくなったミスターN・Hを下のトレーラーの格納庫に運ぶ指揮を取った。
「ミラー、モーガン、マーフィー。動かなくなっているミスターN・Hを照明塔から引き離してトレーラーまで運べ。温度が下がったら動き出すはずだから急いでやれ。」
ウォーカー軍曹の指令でミスターN・Hに接近したミラー、モーガン、マーフィーは照明塔の鉄製の梯子を掴んでいるミスターN・Hの手を引き離しにかかった。しかし、凝固したミスターN・Hの手はダイヤモンドのように硬く人間の力では引き離すことが出来なかった。
「ウォーカー軍曹。ミスターN・Hの体はダイヤモンドのように硬くて照明塔から離すことは出来ません。」
「くそ。」
一難去ってまた一難の状況にウォーカー軍曹はくやしがった。
「ケイン隊長。ミスターN・Hが照明塔を掴んでいる手を離すことができません。どうしますか。」
ウォーカー軍曹はケイン隊長に無線電話をしてケイン隊長の指示を仰いだ。
「ミスターN・Hの動きはどのような様子なのだ。」
「はい。ダイヤモンドのように固まって動きません。」
「それではカッター機を準備する。ミスターN・Hが掴んでいる箇所の周りをカットしろ。カッター機が到着するまでダンにミスターN・Hが動き出さないように火炎を放射させろ。」
「分かりました。」
ダンは断続的にミスターN・Hに火炎を放射した。やがてカッター機を持ったフラー兵士が到着した。防護服のミラーがカッター機をフラーから受け取りカッター機のエンジンを起こした。白煙がカッター機の筒から勢いよく出てググググーンと甲高いエンジン音が鳴り、カッターが勢いよく回転した。ミラーがミスターN・Hの掴んでいる照明塔の橋桁にカッターを押し付けるとガガガガと橋桁が叫び勢いよく火の粉が飛び散った。
「ミラー。急げ。」
ウォーカー軍曹がミラーを叱咤した。
 その時、照明塔の一帯が轟音とともに真っ白な閃光に覆われた。カミナリが照明塔に落ちたのだ。カッター機を掴んでいたフラーの体に青白い光線が走り、フラーは後方に突き放されるように倒れた。火炎放射器を構えていたダンもその場に倒れた。十メートル離れていたウォーカー軍曹と三人の部下が立っていた場所にも青白い光線が走り、ウォーカー軍曹と三人の部下はその場に倒れた。
 落雷で野球場全体が眩しい光に追われた瞬間の後、野球場の照明が消えて野球場は暗闇に覆われた。
「ウォーカー軍曹。どうした。返事をしろ。ウォーカー軍曹。」
ケイン隊長が無線で呼んでもウォーカー軍曹の返事はなかった。グランドも観客席も闇に覆われた。
「サーチライトを準備しろ。」
部下にサーチライトの準備を指示するとケイン隊長は部下を連れて連絡が途絶えたウォーカー軍曹のいる三塁観客席に向かった。三塁側の壁に来るとトレーラーの荷台に飛び乗り、トレーラーの荷台から三塁観客席に登った。
「ウォーカー軍曹。」
と呼ぶと観客席の上から、
「ケイン隊長。」
と呼んだのでとケイン隊長は観客席を登った。ウォーカー軍曹は倒れていた。
「ウォーカー軍曹は大丈夫か。」
「気を失っています。動きません。」
ケイン隊長はウォーカー軍曹の喉に触れ脈を探った。
「脈が弱い。ロン。救急隊を呼べ。」
ロンに指示するとケイン隊長は急いでベンの所に移動した。二人の防火服の兵士がベンを介抱していた。防火服の隊員も激しい落雷でベンの近くまで吹き飛ばされてコンクリートの床に叩きつけられ頭や肩を押さえていた。
「ベンは無事か。」
「気を失っています。動きません。」
ベンは倒れた時に頭をコンクリートに強打して気を失っていた。
「もう少しで救急隊が来る。ダンを下の方に運べ。ミスターN・Hはまだ照明塔にへばりついたままか。」
防火服の兵士は顔を見合わした。
「分かりません。落雷の時に私達は吹き飛ばされたのでミスターN・Hのことは分かりません。」
ケイン隊長は照明塔を見た。ミスターN・Hが居た場所は暗くてミスターN・Hの存在を確認することができない。ケイン隊長は身を屈めながら照明塔にゆっくりと近づいた。照明塔の数メートルまで移動したがミスターN・Hの姿を確認することが出来なかった。ミスターN・Hは消えていた。ケイン隊長は照明塔を見上げた。照明塔の上にもミスターN・Hの姿は見えなかった。観客席を見回したがミスターN・Hの姿を見つけることはできない。
 観客席にサーチライトの光が当たり明るくなった。
「ミスターN・Hが消えた。サーチライトで他の所を照らしてミスターN・Hを探してくれ。私の所にも十人の応援を寄越してくれ。それに火炎放射器を操作できる奴も寄越してくれ。ダンは気を失ってしまった。」
ケイン隊長は無線で指示してから部下と一緒にミスターN・Hを探した。観客席の通路に隠れているかも知れない。ケイン隊長は部下に観客席をしらみつぶしに探すことを指示し自分も最上階の通路から一段づつ探して歩いた。しかし、ミスターN・Hの姿を見つけることはできない。動きが鈍くなっていたミスターN・Hが遠くに逃げたとは考えられない。ケイン隊長はミスターN・Hがカミナリの高圧な電圧で消滅したこともあり得ると考えた。照明塔の方に戻り、ミスターN・Hが立っていた照明塔や近くの床を調べた。しかし、ミスターN・Hがカミナリで焦げた痕跡は見当たらない。ケイン隊長の淡い期待は裏切られた。
「ピート。ミスターN・Hは見付かったか。」
「見付かりません。」
ケイン隊長はカミナリが落ちた時、ミスターN・Hがカミナリのショックで重症を負い、瀕死の状態になると思った。しかし、瀕死の状態になるどころかミスターN・Hは消えてしまった。ミスターN・Hが空を飛べるとは考えられない。人間の姿をしたミスターN・Hは走る速さも人間並みであって超人的な速さではなかった。ミスターN・Hが消えた原因は球場内のどこかに隠れたか球場外に飛び降りたかの二通りしか考えられない。それとも、カミナリの性で消滅したのだろうか。消滅したらのならケイン隊長にとってうれしいことではあるがミスターN・Hがカミナリの性で消滅するだろうか。ミスターN・Hがカミナリで消滅したことを期待しながらケイン隊長はミスターN・Hを探した。
もし、ミスターN・Hが三塁側の観客席から飛び降りたのなら下で警戒している兵士が気づく筈である。ケイン隊長は外で警戒している兵士に確かめるように指示した。
「カミナリが落ちた直後にここから下に落ちた者があったか確かめてくれ。そして、三塁側一帯を詳しく捜索してくれ。」
ケイン隊長は観客席の中段に戻り再び観客席の中の操作を始めた。応援に駆けつけた隊員にも球場の観客席の捜索をするように指示した。
「ハンクスです。ダンの変わりに火炎放射器を扱うように命令されて来ました。」
「上の方に火炎放射器は置いてある。壊れていないか確かめてからいつでも火炎放射ができる準備をしてくれ。」
「分かりました。」
ハンクスは階段を上っていった。
 ケイン隊長は観客席の通路を探していると足元に妙な感触を感じた。軍靴で踏んでいる床がコンクリートにしては弾力がある。床を見下ろしたがサーチライトの光りを客席がさえぎり床は暗かった。床にゴムのカーペットが敷いてあるようだ。野球場の観客席の一部にゴムのカーペットを敷くのは変である。ケイン隊長は再度踵を押し付けて足を回転させた。すると弾力は縮むどころか逆に厚くなった。不吉な予感がした。ケイン隊長は固い軍靴の踵で弾力ある思いっきり床を蹴った。ヘビの類いならまっ二つに裂いてしまう程の強烈な蹴りであったが床の弾力はケイン隊長の蹴りを跳ね返した。床の弾力とミスターN・Hが消えた原因とどのような因果関係があるのかどうかは推測できなかったが、奇妙な床の弾力がミスターN・Hが消えたこととなんらかの関係があるに違いないと考えざるを得なかった。ケイン隊長は床を手で触るかどうか迷った。しかし、軍靴の底で床の弾力の正体を感知するのは困難だ。気味悪いがケイン隊長は手で床の弾力に触れる決心をして腰を屈めた。その時、床の弾力が早いスピードで上の方に移動したので反動でケイン隊長は観客席の上に倒れてしまった。急いで体勢を立て直して上の方を見ると二つ隔てた観客席の影から黒い物体が盛り上った。盛り上った黒い物体は達磨のような姿になり、首の部分が細くなって頭と胴体に別れ、手や足が延びて二メートルの大男の姿になった。
「みんな、こっちを見ろ。」
ケイン隊長は大声で叫んだ。黒い大男は観客席を跨いで上の方に歩いていく。ケイン隊長は拳銃を抜いて黒い大男を撃った。一発二発三発四発と連射したが黒い大男は何事もないように歩いていく。
「ハンクス。」
ケイン隊長は大声で火炎放射器を持っているハンクスを呼んだ。
「は、はい。」
ミスターN・Hの突然の登場に驚き慌てふためいたハンクスの返事が聞えた。
「ミスターN・Hに火炎を放て。」
「は、はい。しかし、隊長にも火炎が当たる恐れがあります。早く移動して下さい。」
ケイン隊長は急いで移動した。黒い大男は観客席の最上段に向かって歩いた。火炎放射器を構えようとしていたハンクスはサーチライトを後ろから照らされた二メートルもある黒い化け物がどんどん自分の方に接近して来る姿が実物よりも数倍の大きさに感じ、その大きい黒い姿に恐怖し火炎放射器を構えることを忘れて後ずさりをした。ミスターN・Hは階段を上ると照明塔に向かって歩いた。
「ハンクス。火炎をミスターN・Hに発射しろ。」
ケイン隊長の威圧ある声にハンクスは気を取り直し火炎放射器を構えるとミスターN・Hに向けて火炎を放射した。
「ハンクス。もつと接近しろ。」
ケイン隊長の命令にハンクスは少しずつミスターN・Hに接近した。炎を浴びながらミスターN・Hは照明塔に登り始めた。
「ハンクス。もっと接近しろ。」
ケイン隊長の叱咤にハンクスは前進するが、恐怖に足が震えてわずかしか前進できなかった。ケイン隊長はハンクスの側に来た。
「ハンクス。もっと前進しろ。こんなに離れていたのでは火炎放射の効果はない。」
ケイン隊長が側に来たのでハンクスにミスターN・Hに接近する勇気が出てきた。ハンクスは火炎を放射しながら照明塔に接近した。
 ミスターN・Hは火炎を浴びながらゆっくりと照明塔を登り続けた。火炎放射を浴びせられて動きは鈍くなっていったが、照明塔を上り続け頂上に到達した。
「ハンクス。火炎放射を止めろ。これだけ距離が離れては火炎の効果はない。それに日本の公共物を破壊すると後でやっかいな政治問題が発生するかも知れない。」
ケイン隊長にとってくやしいことであるが照明塔の頂上にたどり着いたミスターN・Hに火炎放射するのは断念せざるを得なかった。頂上に上ったミスターN・Hに攻撃を仕掛けることができなくなったケイン隊長は悔しがった。どうすればミスターN・Hを照明塔から下ろすこどかできるか。ケイン隊長は思案した。
 数個のサーチライトに照らされた照明塔に立つミスターN・Hはまるでエンパイヤーステイトビルに登ったキングコングのようである。しかし、キングコングのように派手な動きもなければ美女と野獣のドラマもない。ミスターN・Hは無言で照明塔のてっぺんに立っているだけである。雨は止み、雲は去り、空には星が見えるようになっていた。
なす術がなくなったケイン隊長は司令部に直ぐに電話するかどうか迷った。ケイン隊長は三十分以内でミスターN・Hを処理すると司令部に言ったが、約束した三十分を過ぎてしまったのに事態は最悪でミスターN・Hを捕獲する可能性が無くなった。ケイン隊長は悔しい思いをしながら司令部に連絡する決心をした。
 ケイン隊長が照明塔の頂に立っているミスターN・Hを眺めながら司令部に電話しようとした時、ミスターN・Hに異変が起こった。ケイン隊長は電話をするのを止めて照明塔の頂上に立って変形していくミスターN・Hを見詰めた。ミスターN・Hの体は縦に伸び始めた。人間の姿から棒状になり、棒の先端が縄のようになって空中に延びていった。縄の先端は次第に扇のようにひろがり扇の姿が五メートル十メートル次第に大きくなっていった。不思議な光景にケイン隊長はあっけに取られて見ているだけだった。扇の姿は二十メートル三十メートルと広がり、ミスターN・H体が全て扇になると扇の根元も広がり扇形から多角形の絨毯の姿になり、絨毯はエイのひれのように波運動をやって、照明塔から離れて空中に浮いた。ミスターN・Hが変形した絨毯はどんどん大きくなり直径が五十メートル以上に広がった。
 ケイン隊長は我に帰り、ミスターN・Hに機関銃を撃つように命じた。サーチライトは一斉に照明塔の上に浮かんでいる黒い絨毯を照らした。三つの機関銃が一斉に火を吹いた。無数の小さい火の玉は直径が五十メートル以上に広がった黒い絨毯に目指して飛んでいく。ケイン隊長は機関銃の銃弾が黒い絨毯に無数の風穴を開け、地上に落ちてくることを期待した。しかし、波のようにうごめいている黒い絨毯は柔軟ながらも強靭であり銃弾で風穴を開けることができなかった。銃弾が当たった場所はグーンとこぶを作り銃弾の勢いは絨毯を上に押し上げた。黒い絨毯は上昇しながら風に流され野球場の内野の上空に流れてきた。ふわふわと波打つ絨毯は鳥の羽のように空気を上から下へと抱え込んで自力で上昇する能力もあり、機関銃の弾丸、サーチライトの光熱も飛翔のエネルギーにして上昇していく。十メートル二十メートル三十メートル四十メートル・・・・・・・百メートル二百メートルと黒い絨毯は上昇を続け、球場から次第に遠ざかっていった。機関銃の弾丸は届かなくなり、サーチライトの光りも届かなくなる高さまで黒い絨毯は上昇を続け、風にながされ、球場に立つケイン隊長の視覚から消えていった。
「隊長。ヘリコプターの出動を要請しますか。」
放心状態のケイン隊長は我に帰り、
「そうだな。・・・・いや、止めよう。我々は特殊任務の仕事をしているし、ミスターN・Hの情報を他の軍部に漏らすわけにはいかない。」
ケイン隊長は苦笑した。
「それに空中に浮いている黒い絨毯を探す理由でヘリコブターの緊急出動を要請できると思うか。笑われるだけだ。UFOを探すためにヘリコプターを飛ばせと要請するより笑いものにされる。司令部に報告して、後は司令部の判断に任せる。とにもかくにも我々の目の前から化け物は消えたのだから我々の任務は終わった。日本の民間地域に長居はできない。早く撤収しよう。ロイ・ハワードを呼んでくれ。」
苦虫を潰した顔のロイ・ハワードがやってきた。
「ロイ。私達は撤収する。後始末と情報操作は君たちの専門だ。日本の警察やマスコミにはここで起こったことをうまく隠してくれ。それにこの野球場を出入り禁止にして急いで復旧作業をすることだな。後はお前達に任せる。」
そう言うと、ケイン隊長はロイ・ハワードの返事を聞かずに去っていった。

 翌日の夕刊にはアメリカ軍の軍事物資を積んだ大型トレーラーが横転してコザシティー野球場付近が通行止めになったことと、野球場の中で十名近くのホームレスが酔って暴れて野球場に火を点けたり公共物を破壊したことが掲載された。野球場は補修のために一週間は使用禁止になると説明されていた。

 啓四郎と仲里は野球場の事件の一部始終を外野席に隠れて見物していたが、ミスターN・Hが空飛ぶ絨毯になって空の彼方に消えたので野球場を出てそれぞれの家に帰った。
五日後の正午。仲里はいつものように駄菓子屋ほうれんそうで店の準備をしていた。仕入れてきたお菓子を棚に入れ、散らかったコミックを棚に戻し、床を掃き、店前を掃き、トイレを掃除して、シャーベット機にマウンティーデューを入れ、冷水を入れてスイッチを入れた後、オンボロなソファーに座って休憩する頃には午後二時になっていた。午後三時には小学生がどっと店に押し寄せてお菓子やシャーベットがどんどん売れた。小学生の群れを掻き分けて啓四郎が入ってきた。
「よお。繁盛しているな。」
「お前の部屋に何度も行ったがお前は居なかった。」
「ああ、あれから性質の悪い風を引いてしまってな。入院していた。今日退院したんだ。」
元気のない啓四郎はソファーに腰を下ろした。
「ロイ・ハワードやチャン・ミーの仲間がお前を見張っている様子はあるか。」
「ううん、はっきりとは断定はできないが、見張られている感じは全然ない。彼らは暫くは反省会をやって僕たちを見張ることはしないのじゃないのかな。ミスターN・Hが居なくなったのだから僕達を捕まえる理由もないだろう。」
仲里は他人事のように言いながらシャーベットにマウンティーデューと冷水を入れた。
「そうであることを願うよ。」
「シャーベットを食べるか。」
「いやいい。水をくれ。」
仲里は冷蔵庫を開け、水の入ったベッボトルを出してシャーベットを入れるプラスチックコップに水を注いで啓四郎に渡しながら啓四郎の側に座った。小学生が居なくなった。仲里はいつものようににこにこ笑いながら、
「おもしろいものを見せよう。」
と言って壁のコンセントの蓋を開けた。
「見ていろよ。」
と言うと仲里は人差し指と中指をカバーを外したコンセントの二つの銅版に押し当てた。感電するはずの仲里が平気な顔をしている。啓四郎はコンセントに電気が流れていないのだろうと驚きはしなかった。すると仲里は左手で啓四郎の腕を掴んだ。啓四郎の体にビリビリと電気が走り、啓四郎を悲鳴を上げると後ろにのけぞった。
「一体どうしたのだ。お前は電気人間になったのか。」
仲里はにこにこ笑いながら、
「次は手品を見せよう。」
と言って裏戸に使用している南京錠を出して鍵を入れて啓四郎に渡した。
「鍵は壊れていない。確かめて。」
啓四郎は南京錠を手に持ち、鍵を引っ張ったがびくともしなかった。仲里は啓四郎から南京錠を取り、布巾に使っている手拭いを被せるとちちんぷいぷいと言いながら両手で南京錠をいじくった。
「ほら、見てみろ。」
手拭いを取り払って啓四郎に翳した南京錠の鍵が外れていた。しかし、中年の男が鍵外しの手品を見せられて驚くことはない。啓四郎は苦笑いをした。
「そんな手品は見なくていいよ。それより電気に触れても平気なことが気になる。お前は電気人間になったのか。」
仲里は啓四郎の質問を無視して、
「鍵外しのネタを見ればお前もびっくりする。どうだ見たいか。」
「鍵外しのネタはいいよ。俺が手品師になるわけでもないしな。」
仲里は啓四郎の返事を無視して、
「いいか、見ていろよ。」
と言うと鍵が入った南京錠を翳して、鍵穴に右手の人差し指を当てた。
「ちゃんと見ろよ。」
仲里の真剣な顔に啓四郎は南京錠を凝視した。すると仲里の人差し指の先端が小さな鍵穴に入っていった。人差し指の半分が鍵穴の中に入った時、
「いいか、見ていろよ。」
と仲里は言って人差し指を回転させた。すると南京錠はカチっと金属音を出して鍵が外れた。啓四郎は呆気に取られて、
「お前、その指は・・・・・」
「へへへへへへへ。見ての通り種も仕掛けもないよ。」
「その指はどうなっているのだ。電気のことといい。お前の体になにが起こっているのだ。」
仲里は首を傾げて、
「僕にも分からない。多分、カミナリが落ちてミスターN・Hに覆われた時にミスターN・Hの遺伝子のようなものが僕の体に移ったのだろう。」
「体は大丈夫なのか。」
「以前より健康になった気がする。」
啓四郎は顔を曇らせた。
「ていが強靭なアメリカ人を投げ飛ばすことができたのもミスターN・Hの遺伝子が仲里に移った性なのか。」
「そうだろうな。ボクは体力はなかった方だから。」
「もしかするとていはミスターN・Hのようになっていくのじゃないのか。」
「そうなるかも知れないしそうはならないかも知れない。」
と仲里はにこにこしながら言った。

 啓四郎と仲里がミスターN・Hやコザシティー野球場の事件の話をとりとめもなく続けている内に中学生がどどーっと入ってきて駄菓子屋ほうれんそうは市場のように賑やかになった。仲里は忙しくシャーベットを売り捌いている。当分の間は仲里は忙しい。仲里の不思議な体については仲里の仕事が終わってからスナックで酒を飲みながら聞くことにした。啓四郎は仲里とスナックで会う約束をしてソファーから立ち上がって外に出て行こうとした時、店の入り口からいい香りがしてきた。この香りがした瞬間に自然と頭に浮かぶ美しいしかし危険な毒が一杯の女性チャン・ミー。チャン・ミーの姿が啓四郎の頭に浮かんだ瞬間、
「今日は。仲里さん。啓四郎さん。」
という声と一緒にチャン・ミーの実物が啓四郎の眼前に立った。チャン・ミーを見た瞬間に啓四郎は恐怖して逃げようとしたが出口はチャン・ミーに塞がれていて逃げ場はなく後ずさりした。シャーベットを入れようとしていた仲里は唖然として動きが止まった。中学生はチャン・ミーの艶やかなチャイナ服に見とれて「きれい。」とか「超すごい。」とか言って騒いでいた。チャン・ミーが現れた理由はひとつしか考えられない。仲間を連れて啓四郎と仲里を捉えに来たのだ。
「どうしたのお二人さん。そんなにびっくりすることはないですわ。」
チャン・ミーは微笑みながら言った。しかし、チャン・ミーが微笑んでも啓四郎と仲里は顔を強張らせていた。裏口があるが突然の美しく毒のあるチャン・ミーの出現に啓四郎は驚き裏口から逃げることを忘れていた。チャン・ミーを押し倒してでも逃げなくてはと思いながらも啓四郎の体は硬直して動けなかった。
「私も中に入っていいかしら。」
と言いながらチャン・ミーは啓四郎に近づいてきた。啓四郎はソファーの所まで後ずさりした。チャン・ミーはカウンターの中に入って来た。
「心配しないで。あなた達を誘拐しに来たのではないわ。この前助けてくれたお礼と、お二人に朗報を持ってきたのよ。」
啓四郎と仲里はほっとした。
「私たちのグループは本国に帰るわ。仲間の何名かは敵に捕まったし私達の正体が敵国に知られてしまったから沖縄で活動することができなくなったの。例の黒い大男さんが消えてしまったからあなた達を捕まえる理由もなくなったの。だから、あなた達は安心な生活ができるわ。ロイ・ハワードのグループも帰国することになったわ。アメリカも例の黒い大男さんの調査を打ち切ったらしいわ。だから仲里さんと啓四郎さんはロイ・ハワードのグループに狙われる心配もなくなったわ。」
チャン・ミーの言葉を簡単に信じるわけには行かない。チャン・ミーの言っていることが本当かどうかを確かめるためにチャン・ミーに質問をしたかったが緊張して喉が遣えて言葉が出ない。啓四郎と仲里は体が強張って黙ってチャン・ミーを見ていた。
「ねえ、私を助けたお礼にお二人をスナックシャンハイに招待するわ。今夜は私と一緒にお酒を飲みましょう。うーんとサービスをするわ。」
チャン・ミーは誘うようにウィンクをした。仲里と啓四郎はチャン・ミーのウィンクに恐怖し後ずさりした。
「宮里さん啓四郎さん。私がうんとサービスをするわよ。」
チャン・ミーは甘い声で言った。
「いえ、けっこうです。」
血の気が引いた啓四郎と仲里が同時に答えた。
「そう、残念だわ。もう二度と会わないと思うけど、仲里さん啓四郎さん。お元気で。ごきげんよう。」
と言ってほうれんそうから出ていった。仲里と啓四郎はシャーベットを注文する生徒やお菓子を買う生徒を無視して恐る恐る店の前に出た。店の前にはお菓子を食べながらたむろしている中学生が五人いるだけでチャン・ミーの仲間らしい人物は一人も居なかった。チャン・ミーはゆっくりと通りを歩いている。啓四郎と仲里は呆然とチャン・ミーを眺めていたが、チャン・ミーは振り返って啓四郎と仲里の姿を見ると手を振った。啓四郎と仲里は思わず身を隠そうとしたが姿を見られてしまってから隠れるというのは無様である。啓四郎と仲里は手を振った。
「美人だったなあ。」
「ああ、スパイでなければよかったのに。」
啓四郎が言うと、
「それは違うな。あんなに美人で頭もいい女性が仲ノ町のスナックで働くはずがない。スパイでなかったらエリート官僚になっていたはずだ。スパイだったから僕達と同じ席に着いたのだ。チャン・ミーがスパイだったから会えたのだ。チャン・ミーがスパイであったことに感謝しなければな。」
仲里の変な理屈に啓四郎は苦笑いした。
「それにしても、がっぱいや諸味里やたっちゅうは事故死なのかそれともチャン・ミーのグループかそれともトム・ハワードのグループが殺したのか分からずじまいだ。昭光はまだ行方不明だ。じょうさんも本土に逃げたのかそれとも彼らに捕まったのかはっきりしない。チャン・ミーに聞けばよかった。」
「聞いたところで死んでしまった人間が生き返るわけではないし。無理して聞く必要はない。昭光やじょうさんもどこかで生きている筈だよ。」
仲里は他人事のように言い、
「それより僕達を捕まえないことになったということは本当だろうか。チャン・ミーの言ったことを信じていいだろうか。」
とチャン・ミーが言ったことの真偽を気にした。
「チャン・ミーがひとりで来たことから考えると本当かも知れない。」
「もし本当ならチャン・ミーとスナックシャンハイに行きたかったな。あんなに綺麗であんなに頭がいい女性には二度と会えないかも知れない。」
「勿体ないことをした。」
「ああ、勿体ないことをした。」
啓四郎はチャン・ミーの予期しなかった突然の登場で極度に神経が緊張した。チャン・ミーがその疲れがどっと出てアパートに帰る気がなくなった。今夜は仲里と一緒に仲ノ町のスナックでどんちゃん騒ぎをすることにしよう。啓四郎はアパートに帰らないで、ほうれんそうのソファーに座わり忙しく動き回る仲里ととりとめの話をしながら時間を潰した。午後八時には中学生の姿は減り、仲里も暇になった。

「お前の体はどうなっていくのだろう。なぜ電気に触れても平気なのだ。お前の体は電気の絶縁体になったのか。」
「絶縁体になったら電気を通さない。その逆だ。電気を体の中に蓄積できるようになった。ミスターN・Hも電気をエネルギーにしているのだろう。」
「電気を蓄積するということは体がバッテリーになったということか。」
「ううん、そういうことになるのだろうな。しかし、現代の科学では不可能であるけどね。とにかく電気が蓄積できるようになった。」
「指が鍵穴に入るのはなぜだ。」
「指が自由に変形するようになった。」
「え、本当か。」
「ああ。」
「信じられない。それじゃ指を小鳥の形にしてみろ。」
「それはできない。鍵穴とか形のあるものに押し付けて変形することができるだけだ。」
「それでもすごいことだ。お前、自分の体を研究して論文を書けよ。有名になれるぜ。」
「研究するには大学の研究室が必要だ。」
「大学に戻ればいいよ。」
「有名にはなりたくないし、大学は嫌だ。大学に居ると精神がおかしくなる。僕は今の生活がいい。余生をのんびりと楽しく過ごすのがいい。」

啓四郎と仲里に平穏な生活が戻ってきたようだ。





        終わり

題名・黒いフランケン

筆名・ヒジャイ

  
Posted by ヒジャイ at 20:58Comments(0)長編小説